2002年3月中

●2002年3月20日(水)

クウクウは今日貸し切りパーティーだった。
謝恩会だそうです。
今日が卒業式の学校って多いのだろうか。袴姿の女子大生をたくさん見かけました。
20人にひとりくらいの割で、洋服の娘がいる。
「がんばれー」と、洋服の娘に心の中で応援しました。なんとなく。
家に帰ったら、試食の日々。今日もまた豚こま切れ肉だ。
子供の頃、私はよく肉屋に買い物に行かされた。
買うものはいつも決まっていて、「豚のなみ肉」というのだった。
なんのことはない、今で言う豚こま切れのことだが。
自分のことを、なみちゃんと自分で呼んでいたので、なみちゃんの肉とつぶやきながら肉屋に行くのがきまりでした。忘れないように。

ハーブを使った料理のことを考えていると、「バベットの晩餐会」をよく思い出す。バベットが田舎の辺鄙な場所で、教会の料理番になったばかりの頃、老人達に配るオートミールのお粥を少しでもおいしくしようと思って、ハーブらしきものを山の中で探している場面。
村に1軒しかないよろず屋は食材がとぼしいから、バベットは山に行く。
強い風が吹いていて寒い中を、立ち枯れた何かの植物の匂いをかいで、一瞬だけ微笑むバベット。何かのハーブをみつけたのだ。

●2002年3月19日(火)

今、柿の種を食べながらこれを書いています。
スイセイは仕事でマックをやっているし、りうの部屋からもカシカシとキーボードの音が聞こえてくる。わが家はマック家族。夜中の3時だというのに。
今日は、雑誌の打ち合わせだった。
編集の方は、お母さんという感じのいい雰囲気の大人の人でした。
バランスをみるために、他の先生方のメニューをだいたい教えてくださったが、平松洋子さんのがやっぱり良かったなあ。男の人の料理って、良い素材のおいしいところだけをふんだんに使って、料理を作るようなところがある気がするが、平松さんのは、炒めものには絞った物を使うけれど、残った汁で工夫しておいしいつまみを1品とか・・・。(何を絞るかはまだ秘密にさせてください)
いつも日常的になにげなく作っている感じが伝わってくる。

その後は最後までクウクウでした。忙しかったなあ。
まかないで、良美ちゃんの畑のヘチマを、豚肉とキャベツと炒めた。
冷蔵庫のまかない用ケースの中にあった「カラメルナンプラーソース」で。
ベトナム風のソースだが、キャベツのウスターソース炒めの味。おいしくできました。
ヘチマは軽く炒めるだけで、油をあまり吸わせなくても、汁をよく吸ってくれて、
とろりとした茄子のよう。

●2002年3月18日(月)

明日の打ち合わせのメニューを決める。
夕方は図書館に行き、「リトル・トリー」をついに返してしまった。
続けてインディアンものが読みたくて、「大地の子エイラ」を借りたが、だめだ。
読めないかもしれない。
字がぎっしりと小さいのだ。そして説明的な気がするのだ。
「リトル・トリー」はおもしろかった。それに言葉が良かった。童話を読むような感じで、ふとんの中で3回くらい読みました。
15年以上前に話題になった本だが、あの頃はいくら皆に「おもしろいよー、目からウロコだよー」と薦められても、ちっとも読む気がしなかった。
なんでだろう。流行りすぎたからか? なんか、くさそうだなと思ったのだ。
あの頃は料理をしていても、栄養とか、体に良いとか、作物をだいじにしっぽまで使うとかいうのが、かっこ悪いと思っていた。ばばくさいと。
今は、そういうことが実感でわかってきているので、私の料理は変わった。
だから、「リトル・トリー」はしっくりきた。

昼ごはんに、波照間島の良美ちゃんが作ったじゃが芋を、せいろで蒸して食べた。
塩とバターをつけたら、おいしいけどふつうの味。
時々何もつけないで食べた。もったいないので。
そうすると、良美ちゃんのじゃが芋の味がよくした。

●2002年3月17日(日)

ひさびさにクウクウを最後までやり、労働の喜びを感じつつ、終わって帰ってみるとひじょうに疲れている。左の腰が痛い。ひねりそうに痛い。
今までなんともなく動いていた動きが、できないようになった。
できるけれど、持続できない。後にひびく。
若いというのは、それだけですごいことなのだと思う。
けれど、年をとってからでないとそれに気がつかない仕組って、いったい何なんだろう。
じーんと背中と腰をふとんにぴったりくっつけて眠った。

●2002年3月16日(土)

午後からテレビの打ち合わせで、女ばかり4人のスタッフが来た。
いつもお世話になっている4人組みだ。
来るなり、「ここら辺はもう桜が散りかけてるんですねー!」と元気いっぱいにおっしゃる。まだ桜は咲いてない。杏の花だよと言うと、「でも似てるー、そっくりー」と口々に不思議がっていました。
テレビの人たちって、いつも元気だ。
テレビ局に行ってもそう思う。全員が元気なのだ。
それで私も伝染して、だんだんに元気になる感じ。

スイセイを誘って近所の中央公園まで散歩に。
芝生の広場に座って、魚肉ソーセージをつまみに缶ビールを飲んだ。
お父さんと息子がサッカーボールで遊んでいる。その向こうでも、ふたりの男の子とおとうさんが、飛行機で遊んでいる。
ふっと、お父さんは芝生に寝転んで大の字になり、空を仰いだなーと思ったら、男の子のひとりがもどって来て、お父さんに抱きついたりしている。
ああ、今日は土曜日で明日は休みなんだ。
公園には犬を連れた人や、ひとりで紙飛行機を飛ばしているじいさん、桜の木の幹に座ってぼうっとしているおばさんもいた。
そして夕方になって寒くなって来たので、ぽつりぽつりと帰って行く。
きっと、家ではお母さんが晩ご飯を作っているのだ。
お父さんと男の子は、いっしょに風呂でも入るのだろうな。
私は今まで土、日と続けてクウクウで働いていた。
体が辛くなってきたので、これからは土曜日は休ませてもらえる
ことになった。
クウクウで忙しく働いてくれているみんなのことを思うと、少し胸が窮屈になる。ありがとうと思う。
 
夕方のニュースで、桜は今週中には満開になるでしょうと言っていた。
公園の桜は、もういつ咲いてもおかしくないような感じだった。
中にはもう咲き始めている木もありました。

りうが、「このブロッコリー私好きだ」と、きのう晩ご飯の時に言っていた。
農家のおじさんのブロッコリーだ。茎が細く、みるくて(やわらかくての静岡弁)、ゆでると深い緑色になる。
私はおじさんの気持ちになり、うれしい気持ちがこみあげた。

●2002年3月15日(金)

鍼に行って来た。
帰りに無人野菜売り場で、野菜をいろいろと買う。
きょうも無人ではなく、農家のおじさんは縁側に座っていて、ゆっくりこちらに歩いて来た。
お金を払いながら、小松菜の根元がぶりっと太いので、「ここがおいしそうですね」と声をかけると、「うん」とうなずいて嬉しそうな顔になり、次に何か言うのかなと思う笑顔のまま「・・・・」。
「・・・・」は、おじさんは何かを思っているけれど、それが言葉にはならないという意味。
ひと言で言うと、恥ずかしがり屋さん、照れ屋さん、無口な人。
ふつうなら、炒めるとうまいよ!とか、ゆでてちりめんじゃこかけるとバツグンだよ!とか、いい加減な感じで続けるのがここではしっくりくるが、このおじさんは、笑顔の無言の言葉でした。

夕方、洗濯ものを干しながら、ゆっくりだが雲が動いているのがわかる。
下の庭や空き地には、白っぽい花びらがいちめんに散っている。
杏の花びらだろうか。
後で畳の部屋に行ったら、花びらが一枚舞い込んでいた。
近くで見ると、薄桃色の花びら。

冬よりも、かえって春先に具合を悪くする人が多いのだと、鍼の先生が言っていた。冬の間に砂糖やら冷たい飲み物やら多くとって、暖かい部屋でぬくぬくしていた人や、調子の悪さを冬の間に治しておかなかった人が、春先にいっぺんに具合を崩すのだそうだ。
なんでだろう。春の強さにやられるのだろうか。
だから今日は混んでいたのだな。

今夜のごはんは、試作大会。
ベトナム酢豚と豚バラきんぴら丼だ。
豚ばっかりなので、とっておいて明日のおかずにまわそうと思う。

●2002年3月14日(木)

自信もなく楽しくもないことをやっていて、辛いという夢をゆうべみた。
そこはダンス教室のようなところで、体育館の中に6人くらいいる。
まず、体を慣らすために50メートル走らされるのだが、私は足がもつれてというか、ほんとうにからまるように足がなったまま走る。
先生にはバカにされ、みんなには相手にされていないという夢。
私は、そういうことが自分は得意でないのだということさえ分かっていない。
得意でないのだったらやらなければいいのだと、今の私だったら思うけれど、夢の中の私にはそういう発想がなく、ただやみくもにドキドキしたり、卑屈になったりしている。がんばらなければと思ったり。
それはほんとうに辛い気持ちだった。

目が覚めてからも、ふとんの中でじっとしていたのだが、今のクウクウで、もしもそういう人がいたら、それは良くないことだなあとぼんやり思った。
若い頃って、私はそうだったような気がする。
人には向き不向きというのがあるのに、あこがれや自分を過大評価するあまり、何が自分のやりたいことか分からずに、けっこう辛い思いをしていたような。
得意なことをしていると、楽しいし心地いいのでどんどん上達する。
そして人も喜んでくれる。

クウクウを夕方で上がり、ひさびさに自由な時間ができた。
自転車で走りながら、顔がむくんでいるような、ふとクラッとめまいがよぎるような感じ。くたびれていたのだな〜と実感。
焼き魚を売っている魚屋さんでスズキとさんまの焼いたのと、生もずくを買った。もずくは、「雑炊に入れるとうまいよー」とおじさんに言われ、「スープにもおいしいですよね」とつい答えてしまう。「ほんとはいちばんうまいのはさ、うずらを落として三杯酢だよな」と、続けるおじさん。
生のもずくなので塩をしてない。能登半島のもずくだそうだ。
業務用のでかいパックなところも気に入った。

うずらで思い出したが、きのう見た「花子」の前にやった映画の予告編で、げっ!というのがあった。
美男と美少女が裸でからまって、卵黄をポトンと口移しにし、そのままキスをする場面。しかもスローモーションだ。
暗い映画ではない。陽光がたっぷり入る明るい部屋で、色白のきれいな裸のふたりがだ。
しょうゆが欲しくならないか?と、すぐに思いました。
たしか中国か台湾か韓国の映画だったと思うけれど。
どうなんだろう。卵黄って、官能なのだろうか。生ぐさくないか?

●2002年3月13日(水)

ユーロスペースで「花子」を見てきました。
おもしろかったー。
帰りに焼き肉がもうれつに食べたくなり、コンビニで焼き肉弁当を買った。
かぶと里いもの煮込みうどんも作り、いま食べ終わったところ。

クウクウのお釜は、少しはよかったそうだ。
ほどほどに黄色いけれど、ちゃんと全部使えるくらいの焦げ具合。
毎日、釜の底をきれいに洗うことにして、これからの様子を見てみましょうということになった。

●2002年3月12日(火)

クウクウの日。
ガス釜の調子が最近ずっと悪く、周りがうっすら焦げて、全体的にごはんが黄色くなってしまうのを、どうしたもんでしょうとずっと気になっていた。
黄色いごはんはお客さんに出せないので、まかないごはんがどんどんたまるのだ。
説明書をよく読んでみたら、お釜の底が汚れていると焦げやすくなると書いてありました。
さっそくお釜をひっくり返し、底の部分をきれいに洗った。
ついでに、本体もまわりの白いところもきれいに磨いた。
あまりにもほったらかしで、なんで上手に炊けないの!と怒っていたことを反省しながら。
明日はどんな炊き具合になるかたのしみだ。

●2002年3月11日(月)

風呂場の下の杏の花が咲き始めた。
ほの白い桃色の、ぼたっとした花。
窓の隙間からのぞくと、向かいの白い壁に花の影が映っている。
『ひかりのひにち』という歌を思い出す。原マスミの。
「♪ぼんやりと花のひかり、ぼんやりと・・・」

夕方からメディアファクトリーで打ち合わせ。
ぎりぎり遅刻してしまいそうだったので、渋谷駅からタクシーに乗った。
歩いても15分くらいの距離なので、近すぎてむっとしている運転手さん。
それでもめげずに、道順を説明しました。地理も苦手だし、車の運転もしないので、どこが何通りなのか分からない。
「その先の道路を右に曲がると、大きな道路にぶつかるんです」
へたくそな私の説明に、「何通りですか?」としつこい運転手さん。
私は明るい声で、メディアファクトリーのビルの周りの通りの感じや、近くに神社があることを伝えた。どうしてもそこに行きたいのだという思いを込めて。
そしたら、ぐっと伝わった瞬間がありました。
その時、沖縄にひとりで行った時のことを思い出した。私がテレビに出ているとか、本を出しているとか、そんなことなどまったく関係のない場所で、私は自分の行きたい所へ、思いさえ強ければ、そして財布にいくらかのお金があれば、どこへでも連れて行ってもらえる。
いくらべろべろに酔っ払っていても、思いさえしっかりしていれば、女ひとりでも危険なことなどない。その裸いっかんの自由さのことを、思い出した。

打ち合わせが終わり、「バル.エンリケ」にみどりちゃんに連れて行ってもらいました。長葱のマリネや、背黒いわしのマリネ、セミドライトマトのサラダ、塩だらとじゃが芋のオムレツなど、どれもとてもおいいしい。
塩が立っていなくて、酸味やオイルと混ざってなれていて、ていねいなおいしさ。
セミドライトマトを初めて食べましたが、やわらかい漬物のようでうまみがしっかりあって、あれはおいしいものですね。

打ち合わせの時、真向かいに立花君が座った。
白いトレーナーによれっとしたジーンズに毛糸の帽子をかぶっている。
私が用意したアイデアのメモをコピーした紙を、ただのA4のコピー紙なんだけど、机の上に3枚きちっとずらして並べて、その下に白いノートが開かれている。
紙を持ち上げたりしても、また定位置に置かれる。
その指使いや、メモを書き込むほど良い場所。
ああ、この人ってほんとうに紙の人だ。
デザインというのは、こういうことなのだ。
デザイナーという仕事は、この人そのものなのだな。と思いました。
私は自分の指の皺や、爪の中のきたないところを見て、隠したくなったけれど、
きのうクウクウで鍋を磨いたからしかたないのだと思い直した。
私は最近よく思う。心中してもいいと思えるような、自分から出てくるものについて。


日々ごはんへ  めにうへ