2002年4月中

●2002年4月20日(土)

朝からひたすらレシピ書き。
とちゅう洗濯をしたり、意味もなくベランダに出たりしながら。
建物の屋上のところで鳩がセックスしているのを発見。
ずっとパソコンに向かっていると、後頭部のでっぱりの下のところに鈍痛がくる。
脳を司るどこかがいやがっているのだろうか。
それで気分転換に昼ごはんを作りました。
かんずりとナンプラー味の玄米チャーハン。
卵を炒めてからひき肉を炒め、さらに玄米ごはんを焦がすようにフライパンに押しつけながら炒め、ふと思いついて、かんずりみたいな(森下の博多みやげ「赤ゆずこしょう」とかって言ってたかな?)のを爪の大きさくらい加え、ナンプラーで香ばしく炒めた。セリのざく切りとすり胡麻も最後に加えました。これが、ばかうまかった。ほんのりゆず風味の辛み。
スイセイにかんずりチャーハンだよと言うと、「かんづめ?」と聞き返していた。
味にはうるさいが、料理についてはあまり知らないスイセイ。
しかし、ふだんコンピューターの仕事をしている人はたいへんだろうな。
脳の肉体労働っていう感じだ。これは前にスイセイが言っていたが(スイセイはコンピューター関係の仕事をしています)、今私はそれを実感している。
おいしい魚屋さんにスイセイを誘って、てくてく歩いて買い物に。
塀に向かってじいさんが、緑色のちらしのようなものをひらひらさせている。
何だろうと思っていると、猫のしっぽが見えてきた。
じいさんは、ちらしで猫にちょっかいを出しているところだった。
猫は、毛ずくろいなどしていてじいさんのことは無視している。しっぽだけは片手間に動かしてじいさんの相手をしている。
「なんだよーおまえ」とじいさんは猫に向かってつぶやいていたが、私と目が合うと照れ臭そうにこっちを向き直ってへへーと笑った。
通り過ぎてから振りかえると、またじいさんはちょっかいを出している様子。

●2002年4月19日(金)

5月らしいさわやかな良い天気だなと思いながら自転車をこいで鍼に行ったが、ああまだ4月だと気がつきました。
撮影の仕事は季節先取りなので、ほんとうに分らなくなるのです。
鍼の先生が首すじを押さえていて「かなりきてますね。これは手か目を使いすぎ」と言っていた。
うわー、それは目だ。パソコンだ。
そして、顔や首筋にも鍼を打ってくれました。
ぼわっとして顔があったかくなり、あまりの眠気に帰ってからまた昼寝。
3時間ほど寝て起き、ひさしぶりにねこちゃん(枝元なほみさん)から電話があり、近況など語り合う。ほんとうにめちゃくちゃな忙しさだろうが、元気そうでよかった。
ためていた宿題の牛乳のエッセイを書き直したり、レシピをまとめたりとコンピューターの仕事ばかりしていた。時々目の根元を押さえたりしながら。
夜ごはんは玄米と、鶏のスープ蒸し煮となかおちのエスニックなめろう風と、鶏をゆでたスープに菜っ葉とかき卵を入れた。きゅうりの塩水漬けは昼のうちに作っておいた。
簡単なので、ここに作り方を書いておきます。
きゅうり3本を1センチくらいの輪切りにして、1カップの水と塩小さじ1強と酒小さじ1を混ぜ合わせた塩水に漬ける。こんぶ3センチと唐辛子を入れて。しょうがを加えてもいいかも。
冷蔵庫でキンキンに冷やす。明日も食べるのが楽しみだ。
今日は、もうここらへんでやめとこ。目のために。

●2002年4月18日(木)

自宅で雑誌の打ち合わせ。
オフィスのようでした。電話も途中で鳴ったりして。
終わってからスイセイとウイスキーをちびちび飲んだ。
そして昼寝。宿題はたくさんあるけれど。
「いいよね、にょうにょう(寝よう寝よう)」とお互いにつぶやきながら。
夜ごはんは、あっちゃんの下関みやげの塩鯖を焼こう。大根おろし用に大根までもらいました。
家族3人でひさびさの晩ごはん。塩鯖はすごいおいしさでした。
だいたい頭つきの塩鯖など私は初めて見た。頭は丸のまま、身だけ2枚に裂いて塩をしてある。
だから左右の身を合わせると、もとの1匹の鯖の姿にもどる。すばらしいデザイン。
地元のものって、こういう理にかなったすばらしい形のものがある。そのものの美しさ。
はっきり分かるほど、こっちの塩鯖よりも塩がきつい。保存面も発酵の具合も、その塩加減は塩鯖のプロッ!という感じ。いいものをいただきました。
そういえば、あっちゃんはたまにロンロンの魚屋で塩鯖を買って来て、まかないに出していた。
あっちゃんにとって塩鯖というのは、だいじな懐しい田舎の味だったのだなと思い返しました。

●2002年4月17日(水)

貸切りパーティー。
バロックバイオリンの夕べ。
ごはんを食べながら、ラフに音楽を楽しんでくれるのかな?と勝手に思っていたが、そうではなかった。曲間は厨房ではさみを使っても音が響くというような静けさ。
あまりの緊張感に、私はホールの子たちとオフィスでこそこそして過ごしました。
厨房では電球だけの小さな灯りの下、背中を丸めて音を立てないように、しおりちゃんたちが料理の仕上げに熱中していた。
私は監督さんなので、その景色を外から眺めていることができる。
人々がそれぞれに、自分の作業に夢中になっている姿というのは、真っ直でよけいなものがなく、強くもなく弱くもなく、ただそこに居る。そういう人の形って感動する。
年配のお客さんもたくさん来てくださって、かわいいおばあちゃんなどもいて、なんだか嬉しい1日だった。
演奏が終わってから、本格的なごはんタイムになったが、クラッシック愛好家のおじさんたち(おじいさん?)がけっこういい調子に酔っ払ってきていて、それも嬉しかった。
立食形式のパーティーの予定は大幅に狂い、私たちはねずみのように動き回った。
大皿で出した料理を、めいめい取り分けて配ることに急遽変更したのだ。
年配の方々に並んでもらって、セルフサービスは申し訳ないと判断したので。
こういう時の臨機応変さは、原マスミのクリスマスライブで皆鍛えられている。
どうすれば効率良くサーブできるかというのを、全員が考えながら動くので、口で言うより先に気持ちが伝わり合い、移動せずにして厨房に指示が伝わったりもするのだ。伝言ゲームみたいに。こういうのをテレパしーと言うのだと思う。
しかし、くたびれました。背中がひさびさに痛いっす。
昼まかないの時に、リーダーが田舎から送って来たシャコのゆでたのを食べさせてくれた。
こわい顔と足をはさみで切って、「ほら食べなー」と、皆にどんどん食べさせてくれる。
テーブルの隅に座って、自分は食べずに。その様子は若いおばあちゃんの様でした。
シャコは塩とごま油でもおいしかったが、ナンプラーとレモン汁をつけたらたまんなくおいしかった。「ビール飲みてえ!」と誰かが叫んでいたくらい。

●2002年4月16日(火)

明日のクウクウ貸切りパーティーのために、いちごヨーグルトムースと焼き葱のマリネなど仕込み、夕方から本の打ち合わせ。
丹治さんは、今日も襟のつまったシャツ。細かいストライプの。
私は、自分の本でやりたいこと、伝えたいことをMDの前でしゃべりまくり、どんなつまらない言葉も録音されながら、あとはご飯タイムになりました。
自分の考えを本にしてもらえるということは、とてももったいなくありがたい。
けれど、それはきっと私が料理界きっての純粋なバカだからだなと思う。

●2002年4月15日(月)

埼玉の越生(おごせ)駅前の魚屋さんでおととい買った野菜。ほうれん草、せり、ふき。
魚屋さんなのに、農家で採れたような野菜がぶりぶりとビニールに入って店先で売っていた。
ふきと言っても、野ぶきよりも細い茎の、葉っぱつきのもの。
たぶん、大道あやさんが煮てくれたものと同じ種類のふきだと思う。その辺の山に生えているんだろうと思う。
それを葉っぱごとざくざく切って、あやさん風に煮た。
ゆでたりしてアクなど抜かないと言っていたから、ちょっと油で炒めてから、水としょうゆとにぼしを裂いたのを加えて、やわらかく煮た。
わざと酒もみりんも砂糖も入れなかった。
あやさんの家であったことを、今だに書けないのですが、それは私がケチだからだと思う。
言葉にしようとすると、あやさんの言ったことや声やその姿や、つまり私の思い出が、減るような気がするのだ。薄まるとかぼやけるとかそんな生やさしいものではない。
無くなる気がするのだ。
だから、今は唇にチャックの状態。

●2002年4月14日(日)

クウクウの日。
土曜日はめちゃくちゃに忙しかったそうだが、今日は静かな日曜日でした。
きのう忙しいのをがんばった皆には、申し訳ないような気持ちを持ちながら、けれど少しふつか酔いなので、ありがたいとも思いながら働いた。
新人の女の子のりえちゃんは、質問をしないでレシピを見ながらもくもくと仕込みをする娘だ。そして、だからまちがいもよくしていた。
私のレシピはいいかげん。細かいことは書いてないのだ。
細々と何でも質問をしてくる、うるさいくらいの娘もいるけど、彼女はひとりで自分なりに判断するのが好きな娘なのだなと思っていたけれど、あまりにも失敗が多いので様子を聞いてみた。
前の店では、質問をすると先輩に怒られたのだそうだ。
自分で考えろというわけだ。
それもわかる気がするが、おいしく良い料理を作るのが私たち全員の目的なのだから、確実にそれをできるようになるには、過程はどんなでも良いと私は思う。
何度も同じことを聞いてきたって、それが自分のものになるまで、私は何度でも教えてやる。だいじなのは、自分で分かって、身につけていくということだ。
それさえ達成できるのなら、どういうやり方をしてもいいのだ。
いちばん厨房に必要のないことは感情だ。そんなことは何も気にしなくて良い。

●2002年4月13日(土)

早起きして森下と矢川さんと待ち合わせ、画家の大道あやさんのお宅へ行った。
埼玉の山奥だ。タクシーで着くと、犬たちが駆け寄って来て、タクシーの窓のところに前足をかけたりして喜んでいる。
しっぽをぐりぐりにふっている。
タクシーの運転手さんは、いやな顔などぜんぜんしていなくて、窓を開けて「よしよし」などと犬の頭を撫でていた。
犬の名前は、ビゴとふみ子さん。あと2匹の茶色の犬たちは家に入って来なかったので、名前はわかりません。

ここであったことは、あんまり良さ過ぎてここには書けない。
なぜかというと、思い出すとうーっと感動してしまうので、言葉が出てこないからだ。
あやさんは、93歳のばあさんです。
昼間から私たちは、酒をよばれました。
あやさんも、すいーっすいーっと酒を飲む。
ふきの葉のやわらかく煮たのや、竹の子の煮たのを作ってタッパーに入れてくれてあった。
だんだん減ってくると、もっと何かないかねと言って、いかをしょうゆの味で煮てくれた。
あやさんの料理は砂糖が入っていない。
私は料理の味のことなど、つまらなくてここには書いていられません。
あやさんという人が作った料理が目の前にあって、それをもぐもぐと食べたのだ。
どれもおいしかった。この味を忘れないようにしようと思って、たくさん食べた。

あやさんが入院した時、あやさんのことを慕っている犬が、家で「ひーんひーん」鳴いて、ごはんを食べなくなり、自分で餓死したそうだ。
「犬っていうもんはね、そうゆうもんじゃ」と言っていた。

大道あやさんのことは、ユリイカの増刊号「絵本特集」にインタビュー記事が載っています。
そして、私の著書の「帰ってから、お腹がすいてもいいようにと思ったのだ」でも、テレビのドキュメントを見た時の感想を書きました。

●2002年4月12日(金)

いやまったくリビングがオフィス化していた。
電話もたくさんかかってきたし、いろんな書きものをしたりして。
夜ごはんは、塩さんま、きゅうりとにんじんを塩もみしてナンプラーとレモンをしぼったもの、かき菜ともやしのからし和え、ソーセージのオムレツのベトナムケチャップ添え。
ベトナムケチャップのレシピをここに書きます。
ケチャツプ大さじ2、トーバンジャン小さじ1/2、ナンプラー小さじ2、酢小さじ1、おろしにんにく少々。以上をよく混ぜる。ビンに入れて冷蔵庫で1月くらいもちます。
豚の映画「ベイブ」をスイセイと見た。おもしろかった〜。

●2002年4月11日(木)

朝から(といっても昼だが)、じっくりと本についての構想を白い紙に書き出す。
予定が何もない日を作り、こういうまとまった時間がないと、私は入り込めないのだ。
なんとなく、頭の上の空間に、ポワ〜ンと本の姿かたちが見えてきた。
写真の感じや文字が入る感じも。
だけど、きっとこれをくつがえすようなことになるだろうな、ともぽつりと思う。
それが、本作りというものだ。
スタッフたちは、驚くような良いことを思いついてくれるのだから。
本というのは私ひとりの本ではないのだから。

きのう、テレビの収録後、指からずっと匂いがしていた。
玉ねぎやしょうがの匂いだ。
クウクウや家で料理をしている時には感じないのに、テレビ局やデパートにいると匂う。なんでだろうか。
郁恵ちゃんやイモちゃんは、タレントさんなのにえらいなあ。
指についた匂いのことは、きっと気になる筈なのに、肉をこねたりするのを、なんでもなくやるのだから。
夜ごはんは、ハンバーグ。つなぎの食パンが肉汁を吸っている感じがやけにおいしい。
肉汁にバルサミコ酢、しょうゆ、ウスターソース、酒を煮立ててソースにした。うまい。
付け合わせは、マッシュポテトとブロッコリーを混ぜたものと、レタスとトレビスを刻んだもの。もやしの味噌汁。そして納豆に大根おろしを混ぜたもの。以上。


日々ごはんへ  めにうへ