ふくう食堂/日々ごはん2002051

2002年5月上

●2002年5月10日(金)

スイセイが病院に検診に行くので、朝ごはんに玄米味噌ぞうすいを作ってやった。りうの朝ごはんには、玉ねぎとトマトをのせたチーズトースト。
材料がどれもひとり分づつしかないので、私はミルクティーとビスケット。
ふたりが出かけ、私は布団にもどって延々と本を読んでいた。
そのうちに、パタッと手から本を落とし、眠りに入る。その繰り返し。
雨の音がずっと聞こえている。
自分でも驚くほどよく眠れるものだ。
夢の中で夢をみている夢をみた。
というか、寝ている自分でない私が夢をみているという。
だから、同時にふたつの夢をみているような、捻れたというか、ずれて2枚重なっていたようだった。よくも頭が狂わないものだ。
夜ごはんは、かぼちゃの味噌汁となすの炒め煮とかき揚げを甘辛く煮て卵でとじたもの。
かき揚げはスイセイにたのんでスーパーで買って来てもらったもの。
うちの家族は、どんなに質素なごはんでも喜んで食べてくれる。

●2002年5月9日(木)

撮影。
表紙の撮影なので、慎重に。
目玉焼きを何枚も焼いた。黄身が黄色くぷるんとして、それをフォークでつぶし、流れて欲しい方向に道筋を作ったりして。
同じメンバーで4日も撮影を繰り返していると、だんだんに家族とまではいかないが、いい感じに馴染み合ってくる。
わざわざ会話をしなくても、なんとなくそれぞれが自分の持ち分の仕事をしていて、こつこつと進んでゆく。
頑張らねばという感じではなく、ゆるやかに集中している。
今日の天気のように、ぼわーっとして静かな集中だ。
ここのところ、ほとんど1日おきに撮影だったが、これが毎日になったりもするのだろうか。
けど、そうなってもだいじょうぶのような、どうにかやっていけそうな、今日初めてそんな気がした。
昨日シタ君と酔っ払って話していたのだが、確か私は「皆、平等だと思う。」と言った。
それは、誰もがやりたいことを、やりたい場所でやれるという可能性について。
切り開いていくのは、皆それぞれにかかっている、すべて自分次第だというところで平等なのだと私は思う。
職場を替えてもいいし、続けてもいいし、別のことを初めてもいいし、同じことをコツコツとやり続けてもいい。
というか、この前ちいちゃんにそんな様なことを言われたのです。
それをすっかり私の考えのようにして言っていた。
とちゅうでそれに気がついたが、まあ人の考えなんてそんなものかもしれない。
良い考えにはすぐに影響してしまうものだ。
私は、ちいちゃんにそれを言われてとても嬉しく、救われたような気分になった。だからシタ君にもおすそわけだ。
ゆうべ、帰ってから撮影用のお米を買い忘れたのに気がついて、夜中の3時頃自転車でコンビニに行った。レジのところで、お腹がもっこりとした、顔は見なかったけど、いかにも、なんとなく仕事でくたびれて帰って来たという感じの男が携帯電話をかけていた。そして追加で氷を買っていた。
それを私はぼんやり見ていた。
コンビニを出た帰り道、霧雨が降るなか自転車をこいでいたら、前の方にさっきの男が歩いているのが見えた。旅行カバンをキャリーで引きずって下を向いて歩いているその背中が、なんとも言えず重たい感じ。
出張から帰って来たのだろうか。
前方から傘をさした女の人が、手を振りながら近づいて来た。
くたびれ男はすぐにはそれに気がつかず、私が通り過ぎると同時に、たぶん気がついた。女の人はふだん着で、とてもにこにことして、くたびれ男を出迎えていた。さっき電話していた相手は、きっとこの女の人なのだ。
そしてこのふたりは久し振りに会えたのだ。
人が人を好きだという気持ちって、有無を言わせないきれいなものがある。
なんかわからんが、たかが人の恋路だというのに、私はちょっと泣いた。

●2002年5月8日(水)

まだ明るいうちに集まって、サンの家でクウクウスタッフの飲み会。
ゴールデンウィークおつかれさんの会だ。
すでに辞めて別の店で働いている子たちも3人来た。15人くらいになったろうか。宴会というといつも率先してコーディネートをするヤノ君が、「皆、何か作って来るように」と日曜日に発表していたが、サンは、朝7時に起きておにぎりだの煮物だのかつおのマリネだの大量に仕込んであった。
そして、皆それぞれほんとうにいろいろ作って来ていた。
冷蔵庫にあったクリームチーズの残りや、撮影の残りものなど持って来た私のは恥ずかしくておよびでないって感じでした。
2階が宴会場だが、キッチンのある1階もたまり場になっていて、いつも誰かが何か作りながらだらだらと立ち飲みしたり、となりのリビングでくつろいだりしている。
その感じは、クウクウみんなの別荘のよう。
ヤノ君が、デザートのバナナを焼いている。焼いた後で砂糖を焦がしてカラメルを作っている後姿がやけにかわいいので「もっと焦がして!」などとちょっかいを出していやがられた。
アイスクリームにかけたら、パリッと固くなったカラメルはプロのような出来ばえでした。2階のみんなは、ハイエナのように集まってきて、「パパイヤは合わない」などと口々に言いながら、あっという間にバナナとアイスだけがなくなっていた。
夜中にタクシーで帰り、吉祥寺から自転車をこいだ。
サンは、来週からギリシャに行くのだそうだ。3ヵ月も。それでクウクウを辞めたのだ。最後に行ってらっしゃいを言おうとしたら、サンはベッドでいびきをかいて寝ていた。

●2002年5月7日(火)

ゆうべは家に帰ってから具合が悪くなった。
冷たいものを調子に乗って飲みすぎたからか。ちょっと寒かったし。
背中がずどんと重くなって、熱い風呂に入っても、温泉枕で温めても眠れなかった。朝起きてみたら、雨だ。
やっぱり。気圧のせいかも。
それでも撮影なので、ハリハリと夢中で動いた。
ナンプラーを使った火を通す料理6品。
おいしくできました。
とくに、ナンプラーとバルサミコ酢のチキンソテーはプチトマトを加えたことでばつぐんにおいしくできた。とても深みのある混じり合ったコクと旨み。ナンプラー単独の味がしない。
ゆずこしょうとナンプラーの玄米チャーハンも好評でした。
ナンプラーって、私はふだん何気なくどんなものにも臆せずに使うので、拡がりがある調味料のひとつです。だしがきいた醤油っていう感じ。
融通のきく変幻自在のそのおいしさを、皆さんに切にお伝えしたい。
撮影が終わって、倒れ込むように寝た。
マスミちゃん宅に行く約束をしていたのに、誰にも会いたくないような感じ。
起きてからこの日記を少し書いて、「黒い雨」を読みながらまた寝床で過ごす。
りうのごはんでも作ろうと思って夜中に起き出すが、まだ帰って来ない。
なんとなく冷蔵庫の野菜室を引き出したら、ここのところの撮影ラッシュでいろんな野菜がくたびれたり干からびたりしている。
撮影では見栄えの良いものしか使えないので、次々に買い足していった結果だ。
しかも、ぎゅうぎゅう詰めになっていたから、上の方の野菜は凍ってしまっている。
片っ端から細かくきざんでいった。セロリ、長ねぎ、しいたけ、三ッ葉、ぐずぐすしかけたミニトマト。変な形のにんにく。
きざんでいる時、頭の中に「供養」という言葉がポワーンと浮かんだ。
バターでていねいによく炒めてローリエと水を加えスープにした。ミネストローネみたい。
きゅうりと凍ったみょうがはきざんでしょうがも入れ、塩でもんで漬物に。
新しょうがはまったく使われずに先っぽが凍りかけていたので、濃いめのシロップで煮た。
これはクウクウに持って行こう。クッキーの具かケーキに使えるし、風邪薬にもなるから。

●2002年5月6日(月)

スイセイを誘って西荻までてくてくと散歩。
友人のナナオちゃんの展覧会が最終日だったので。
ビーズで昆虫をいろいろ作ってあった。この間会った時にはクモしかできてなかったのに、ムカデやくらげ、薄羽かげろうやあり地獄など、たくさん作ってあった。
図鑑を見ながら作ったそうだ。途中で結んだりせずに1本のワイヤーだけででつなげたんだそうです。
半年前くらいに、ちい(ナナオちゃんの奥さん)が髪留めで初めてクモをつけてきた時はびっくりした。どこで買ったのだろうと思うかっこよさだった。
私は赤いムカデのブローチを買った。
「ムーハン」という海南チキンライスの店にくっついた会場なので、そこで安くておいしいごはんを食べていたら、ちいが来た。
そのうちにケイ君も来て、しばらくしたらリーダーも来た。
皆、クウクウの創立メンバーなので、親戚が集まった様な感じだった。
約束もしてないのに、会いたい人々に会えるというのはうれしいものだ。
たらたらとビールやらつまみやら食べながら、けっきょく9時まで長居してしまった。そしてそのまま搬出を手伝った。
ナナオちゃんは韓国料理屋でアルバイト。
ナナオちゃんもクウクウの創立メンバーで、やっぱり親戚みたいな感じ。

●2002年5月5日(日)

体育の日っていつも晴れている。
「外はやっぱりすごいなー」と、クウクウに行く時自転車をこぎながら思いました。ここのところずっと自宅にいて出かけてなかったから、すごさに気がつかなかった。
栗の花の匂いもむわーっとするし。
5月というのは爽やかというよりも、なんか金太郎!って感じ。
むんむんと元気なのだ。
歩いている人たちも皆元気そうで、私もどっか行かなきゃっなっていう気になった。ここのところ家でじっくり、「黒い雨」なんか読んでたからかも。
そういえば、この間「ユリイカ」をビデオで見たのだが、すごくおもしろかった。2本立てなのでとてつもなく長く、夜中から見始めて終わったのはもう外が完全に明るくなっていた。8時間くらい見たのだと私は思い込んだほど。
本当は4時間ちょっと。
あの時間の長さはとても不思議。見る側の(脳内?)時間と同じ流れに(たぶん)作ってあるので、気がつくとすでに、わらわらと自分が対体験してしまっている感じだ。
「黒い雨」もそうなのだ。
今読んでいるところは、主人公が被爆した当日からの日記を、4年ほど経ってから出してきて、その文面を筆で清書している。
その日記の1日1日の長いこと。深いし強い体験なのでとてつもなく長いのだ。
顔の半分皮がむけて、のどは乾くし歩いても歩いても駅に着けない。
その間にも見るもの聞くものすべてがすごいスピードで入ってきて、脳にどかどか溜まってゆく。
それを寝転がってかりんとうなどぽりぽりと食べながら、私は延々読んでいたのだ。外は、もりもりと狂おしいほどに新緑がはびこっている。

●2002年5月4日(土)

朝、布団の中で、昨日から読み始めた「黒い雨」の続きを読む。
戦時中の広島の食生活ぶりが書いてあるところまで読んで、腹が減ったので起きた。天気予報はぜんぜんはずれて、快晴の青空。
朝から洗濯をしたり、部屋を念入りに掃除したり、窓まで磨いてしまう。
りうもゆうべからごそごそ掃除を始めたようなので、今日はふたりで掃除の気分。陽が差してもったいないから洗濯をしたり、冷蔵庫の残り物をどうやってお昼に食べようかと考える、ふつうの日常。
夕方、昨日の残りのカレーが鍋に半端に残っていたので、そのまま水を入れてのばし、だしの素とみりんと酒と醤油を加えて、カレーうどんを作っておいた。
私がお碗1杯食べて残しておいたら、次に見た時にはうどんがなくなっておつゆだけになっていた。そしてまた次に見たら、りうが残りのスープを温めてよそっているところだった。家族3人で1食分のカレーうどんを食べた。
それからも「黒い雨」を読み続けた。
夜ごはんは、かぼちゃの天ぷらと焼きなす(6本も焼いた)と鶏のソテーバルサミコ酢ナンプラー味。しいたけと三ッ葉の味噌汁、玄米。
かぼちゃの天ぷらは卵を入れない白い衣の。酢醤油で食べるのが人気だった。
昨日の夢。
いっしょに暮らしている相手が、ほんとうはやりたくない仕事をがまんしてやっていたり、私の為に、疲れているのに無理をして起きていてくれたり、僕のしあわせはあなたの笑顔を見ることだと言われたり。
それが私にしてみればいやでいやで、窮屈で息苦しくて、「もうーやめてくれー!」と叫びそうになる夢。
このタイプの夢はよく見ます。相手はいつもスイセイではなくて、前のだんなさんらしき人。
私は自分の好きな時に本を読みたいし、自分で決めた時間に起きたいので、いっしょに暮らす人にもそうしていて欲しいと願ってしまう。それは好きなことばかりして怠けているということの正反対。自分のやり方に対して真面目でいて欲しいと願う。

●2002年5月3日(金)

本を読んでは寝、また読んでは寝ていた。
カレーと、山小屋でアルバイトしていた時に毎日作っていたサラダを作った。
きゅうりと玉ねぎとにんじんとセロリを全部塩もみして、マヨネーズと胡椒で和えるだけのサラダ。ほんとうはキャベツも入るのだが、撮影の残りのレタスやらルッコラやらクレソンやらいろいろ入れた。
夜になってから起き出し、これからやる撮影のレシピのまとめや、たまっていた請求書を書いた。
顔を洗ってないことにふと気がついたが、今日は洗わなくても良いことにした。
休日なので。

●2002年5月2日(木)

「ひと皿料理」撮影の3日目。
無事終わりましたが、ぐっと疲れた。
あとは表紙の撮影を残すのみ。
終わってから平りんとスイセイと軽く白ワインを飲んだ。まだ外が明るいうちに飲むワインは白だねやっぱりと言い合いながら。
今、ベランダから薄紫色のライラック(?)の花が咲いているのが見えます。大木なので、そこに鳥がとまったりしている。だんだんに夕暮れがやってくる今この時間が、いちばん紫がきれいに見える時だなと思いながら、できるだけ目を放さずにじっと見た。
図書館に行って本を10冊借り、風呂に入って9時には寝てしまった。

●2002年5月1日(水)

「ひと皿料理」撮影の2日目。
ムックではなく増刊号でした。
今日も5時くらいに終わったので、今だとばかりに鍼に行った。
かなり背中がきつくなっているので。
鍼の先生に、「料理を作る時、私は腰に力が入りすぎるのかも。そうすると姿勢が良くなって、すごいスピードで作れるのでついそうしてしまうのですが、それがたまって腰に負担がかかっているのではないでしょうか?」と質問した。
「それは、丹田に気を溜めて上半身はゆるんでいるということなのです。そういう状態のことを、写すと言うのですよ。自分のエゴが抜けて、周りの状況がそのまま入ってきている状態です。それはすべての道に通じることで、あなたはそれを仕事で体得したんですね。すばらしいことですよ。」そうかー。
そういえば私は忙しい時、エプロンの紐をキュッと締め直して、へその下に力を入れる。そうすると、流れるように空気に乗って料理がどんどんできてゆく。
1分の長いこと。
気分は穏やかで、厨房の子たちと主語なしで会話が成立するし、相手が欲しがっているものが無言で分かったりもする。3ヵ所あるタイマーの音もホール係の声も聞きのがさない。
そうかー。だとしたら、厨房の子たちは皆それを体得しているぞ。
丹田てよく言うけど、いまいちどこのことなのか分からなかった。
なんだー、そうかー。という気持ちで心も軽く帰って来ました。
帰ってから、自分が載っている記事を切って、たまっていた雑誌を整理していった。晩ご飯は残り物にしようと思っていたが、鮭を焼いて味噌汁とおくら納豆と酢のものと肉じゃがも作った。
じゃが芋の芽が出ているのが気になっていたので。
腰がもたないのは筋肉の問題なので、歩いて筋力をつけることですとも言われた。風呂から上がって、いつもより念入りにストレッチをした。顔にパックしながら。


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