2002年6月下

●2002年6月30日(日)

クウクウの日。
サツカーの決勝戦。
お客さんは皆、実質のあるものばかりを(餃子、タイ風チャーハン、季節サラダ)頼んで、あまり飲まずに8時にはサーッといなくなってしまった。
早終いさせていただいて、11時には片づけが終わった。
帰ってから、きのことなすとトマトのカレーを作った。
夕方炊いておいたもちきびごはんがまだあるから、明日起きたら食べよう。
風呂から上がって窓を開け、できるだけ左の方を見ながらぼんやりした。
そこには大きな木が3本あるからだ。

●2002年6月29日(土)


ひさびさの休日。何もしなくても良い日。
波照間島のパナヌファから送ってくださった写真集を、家族で見る。
順君がデジカメで撮ったもの。
私のマックの周りに3人集まって、次々に見てゆく。
スライドショーの様。
スイセイが得意になってりうに説明していた。
「さとうきび畑の収穫が終わってからひまわりを植えるとの、土の栄養になるんと。見た目にもええから植えてるんと。」「今はおらんけど、ここにはやもりがたくさんおるんで。」などと。
写真の中の私は色白で、なよっとして希薄な感じ。
自分では、すごく自然児なつもりでいたのにおかしいな。
良美ちゃんはどれを見ても黒光りしていて、強い生命体という感じ。
そう言えば良美ちゃんに、「みいさん、今年はぽわーんとして可愛い感じ。去年と顔が変わったさ。女の私でもおっぱいさわりたくなっちゃう感じだよー」と言われていたが、そういうことなのか? 仕事で顔写真を撮られる時は、撮られている自分を意識して首を伸ばしてみたり、顔を斜めにしてみたりしてきどっているから、まるで別人のような写りだ。
確かに私は波照間の自然に抱かれて、ぽわーんぼよーんとしていた。
「え?今写真撮ってるの?そうなの」っていう感じで。
森や海や動物と同じように、良美ちゃんは自然だなーと、何度も思いながらそばにいました。じーんと伝わるエネルギーだ。
今日の夜ごはんは、きのこ玄米ごはん、おでん、ピーマン塩炒め、鯵の干物、麩のみそ汁。

これが6月19日(水)のブドゥマリ浜での良美ちゃんと私の写真です。
チャロも写っている。
順君がデジカメで撮ってくれたもの。

●2002年6月28日(金)

クウクウの日。
星丸君のピンチヒッターで働いた。
天気が重たいから、みんな貧血っぽく調子があまり良くないと言っていた。
なぜか私は元気。
体の芯に、おばちゃんの微笑みの様なものが座っていて、それがけっこうどっしりと動かないのだ。つい、にやにやして楽しくなってしまう。生きていることが。
波照間の力だと思う。
人にもよると思うが、自然の中にいることって、頭で想像するよりもかなり人体に影響があると今回強く思った。肉や内臓や骨や脳に直接染み込む。
自然、自然と簡単に言うから、もう使い古された台布巾みたいな言葉で、実感としての伝わり方がとても鈍くなってしまっていると思うが・・・ 人間がこの世界をひとりで作ってきたと思うことって、何も良いことを生み出さないと思う。それは苦悩の始まりだ。
料理を作っているから、私は元気なのかもしれないなーと、帰りに自転車をこぎながら思った。
コンビニ弁当が体に悪いと言っているわけではない。
私だってたまには食べる。
仕事が忙しくて、夕食はコンビニ弁当か外食ですましてしまうのが日課の人は、料理を作らないから、くたびれもひとしおなのではないだろうかとふと思う。
野菜をさわっているだけで、元気になってくるというのは本当です。
野菜は、まぎれもなくちいさな自然だから。

●2002年6月27日(木)

今日も撮影でした。
何かはまだ言えないが、1種類の素材を使って、ソースや保存ものから主菜から副菜から、たくさん作りました。
7時までかかってしまった。
ふーっという感じ。
最後に顔写真を撮るので着替えたら、鏡の中の私はすっかり目が落ちくぼみ、黒くもあり、どこの国の人だろう? 仕事がひとつづつ片づいてゆくというのは、体育会系の気持ち良さがあるものだ。
そして、ひとつづつ を作っていきながら、おいしいレシピが確実に増えてゆく。
料理家としての高山なおみの中心が、1枚づつ太ってゆく様な、非常に充実感がある気がしている。それは食べ物が、物だからだろう。
表現とか芸術とかと比べたら、本当にささやかなつまらないものだけど、味とか匂いとか量とかを確かに持った、実態のある物だからだろう。
それがどれだけ私の中心を支えているか・・・なんて、今日はレシピを打ち直す指の音がやけに力強い。
けれど、背中が痛いっす。

●2002年6月26日(水)

撮影が終わって、もうひとつ収納の撮影をしながら、4畳半の畳の部屋ではちょっとした打ち上げ状態に。本澤さんがおいしいコロッケやメンチとビールを持って来てくれました。
つまみが何もないので、いただいた「5穀せんべい」につける用にと、クリームチーズを30秒ほどチンして、自然塩と黒胡椒をひいたのをかけて出したら、これが好評でした。
冷蔵庫で固くなっていたクリームチーズを、ちょっとやわらかくしようと思っただけなのだが、予想以上に熱が入った。
「あったかいーおいしいー」と、日置さんがとても喜んでくださった。
食べてみると、確かにととてもおいしい。意外な感じ。
フィラディルフィヤの安いチーズなのに、言わなければわからない。
これは何かに使えるぞと、心に刻んでおいた。
今日は、りうがもと家(実の母の家)でごはんを食べて帰るので、スイセイと私は塩鮭を焼いて、焼き茄子のみそ汁とブロッコリーのゆでたものだけ。
早めに布団に入り、有本葉子さんの新しい本を読む。
メディアファクトリーから出た、2冊もの。
「家族のごはん作り」。
母親として、家族のために長年ごはんを作ってきたからこそ出てきた、有本さんの 料理のアイデアって、シンプルさに理由があるから、骨があっていちいちしびれます。

●2002年6月25日(火)

朝から台所の掃除。
そして、明日とあさっての撮影のためにレシピをまとめて、大量の仕入れに行った。電話もよく鳴ったし、オフィスの様でした。
クウクウの星丸君が家庭の事情でしばらく休まないといけなくなり、どうしたら良いものかと、ここのところ毎日考えあぐねていたら、ギリシャに長期旅行に行っているサン(3月いっぱいでクウクウを辞めた)から突然メールがきた。
アルファベットで書いてあったから、最初はいたずらか何かだと思った。
奥さんのシミズタ嬢に相談したのは今日の夕方だ。「もしもサンから電話があったら伝えておくよ。でも、いつ電話があるか分からないけどねー」と言われていたから、まったく期待していなかった。
それから何時間も経たないうちに、「俺、帰ったら手伝ってもかまいませんよ。」と遥か遠くにいるサンがメールをくれたのだ。アテネから。
ひえー、奇跡だ。テレパシーだ。
パソコンの威力を、私は今日初めて感じました。
時空を越えて、世界は本当につながっているのだ。
旅行の真っ最中で、帰ってからのことなど考えたくもないだろうに、私はサンのことを惚れ直した。星丸君に早く伝えて安心させてやりたい。
夜は、あさっての撮影分の仕込みをせっせとやった。
今はまだ何を仕込んだか言えませんが、ぜんぶおいしくできました。
白ワインを飲みながら、機嫌良くどんどん作っていった。
なんか今日はフル回転だったのでくたびれました。
肩甲骨のコリコリがまた出てきた様なので、もう寝ます。
そう言えば「アブ」というハエの様な虫が波照間の浜にいた。
オリーブ色のような奇麗な虫なので、足にとまったのをじっと見ていたら、「それはアブだから、唯一殺してもいい虫や。」と順君が教えてくれた。
しかし、いざ順君の方にもアブがとまったら、殺そうとしていない様なたたき方をする。平手でなくて、少し手の平を丸めて、パンッと強くやらずに、ゆっくりと押さえるみたいな感じ。だからアブはぶーんと逃げてゆく。何度でも。
この人は優しい男だなーと、それを見て思った。
順君て全体的にそういう感じ。
強い男だから、周りのものに接する時に余裕がある感じ。

●2002年6月24日(月)

テレビの打ち合わせ。
料理の他にもちょっとしたトークがあるらしい。
ビデオを見ながら、これならできそうだなと判断してお受けすることにしたのだが、喋るのが得意でないからどうも気が重い。
常々思っていたのですが、自分の中にふたりいる気がするのです。
ひとりは黙々とただ料理が好きで、寝起きの頭の様な素朴な人。
もうひとりも料理が好きだけれど、けっこうやり手のミーハーで、元気な人だ。
その人がけっこう出たがりだから、まいっちゃうんだよなー。
まあ、どうせやらなければならないのだから、気合いを入れてがんばろう。
今日もまだ早起きの癖がついていて、10時には起きた。
あちこち掃除をして、床にワックスもかけました。
沖縄から帰って来た夜、家の中の景色が違って見えた。
なんとなく全体に色がなく、白っ茶けて、無愛想な部屋に見えたのだ。
毎日ここで暮らしていたから不感症になっていたのかも。
あちこち埃がうっすらと溜まっていて、可愛がられていない部屋という印象だった。それとも、沖縄があまりに海や森の緑や空の青の色が強くて、光も強くて濃かったから、目がやられてしまったのかも。
夕方、スイセイと買い物に行き、野菜をたくさん買って来ました。
玄米が久しぶりに食べられるのが嬉しい。
夜ごはんは、鯵の干物、大トロの刺し身、ゆでブロッコリーのポン酢しょうゆ、絹さやのオリーブオイル炒め、じゃが芋と青じそのみそ汁。
手の平くらいの青じそが、束になって八百屋に売っていたのだ。
夏の庭にボウボウ生えていそうなやつ。
「手巻き寿司にしたらうまいよ。」とおばちゃんに勧められた。
旅行から帰って来たら梅干しを漬けようと思っていたのに、八百屋にはもう出残りのような梅しかなかった。しまった!のがしたか。
昨日、駅ビルの八百屋に良さそうなのがあったから、明日買いに行こう。

●2002年6月23日(日)

ゆうべ12時過ぎに、沖縄から帰って来ました。
東京は涼しい、と言うより寒い。
クウクウの日。
早起きの癖がついているので、9時には起きてしまった。
本を読んで布団の中で過ごす。
皆に、焼けた真っ黒だと言われながら働いた。
ちょうど良いくらいの忙しさでした。
倉庫に入って鏡に映る自分を見るたびにびっくりする。
誰だあの人は?という感じ。頭で思っているよりも、かなり私は真っ黒なのだ。

●2002年6月22日(土)

ゆうべ、コマーシャルに出演する夢をみました。
なんで神高い久高島の夜に、こんな下世話な夢をみたのだろう。
歌を歌うオーディションがあって、ヘッドホンをはめたら別の曲が聞こえてくる。それを聞きながら違う曲を歌うのが決まりらしい、という夢。
私はだいじょうぶ、ぜったいに受かるからと思っている。
自信を持って歌うと、太くて良い声が誰でも出るものなんだよとディレクターに言われて、なるほどとも思っているが、私は、この何人かの人たちの中で、ぜったいに自分が選ばれるだろうと確信している。だから、自分の中ではもうコマーシャルに出ることが決まっているのだ。
この疑いのない強い自信は、いったいどこから来るのだろうと、目が覚めながらぼんやりと思った。思い込みが激しいというか、私にはそういうところがある。
朝7時半に起きて顔を洗い、スニーカーに履き替えて準備を整え出掛けた。
スイセイとは途中から別行動で、島中をてくてくと歩いては日陰で休憩し、また歩いた。
「クボーうたき」を抜けたら、うっそうとした森の中に、ひとりしか通れないくらいの細い道につながっていた。やどかりを踏まないように気をつけながら、腰をかがめて降りてみると、思いがけず浜につながっていた。
浜に出ると、まぶしい景色がいっぺんに開けた。
海を眺めながら、浜の岩陰でぼんやり休憩していて、ふっと考えが浮かんできた。
この浜の貝殻やサンゴのかけらを、お守りにもらって帰ろうかなと思ったのだが、どこの貝でもどこの物でも、誰でもが、みんな同じなのだなーと思った。
この島は沖縄の中でも神聖な島で、私はそのことを実感で信じている。けれど、その浜の貝だからと特別に思うのは、結局は人が考え出した意味だけだなー。
本当はどんな物でも同じ様に、みんな価値があるのだ。
だから、それらをひとつひとつ自分の中に入れてしまえば良い。
自分の中に、「うたき」も浜もやどかりも入れてしまって、良美ちゃんも順君も波照間も風も入れてしまって、東京に帰って暮らせばいいのだな。
ここに来なければ会えないのではなくて、自分の中に拝めば良いし、悩んだ時にもどうしたら良いか自分の中に聞けばいい。
そんなことを考えてみた。
私の中心は、もう東京に帰る準備をしているのだ。
明日の今ごろはクウクウで働いているし、撮影もすぐに3本ある。
帰ってからのことを考えても、ちっとも苦痛でないのが不思議だ。

●2002年6月21日(金)

朝、順君、良美ちゃん、チャロに見送られて、夕方には久高島に着いた。
「ニライ荘」のおばあは憶えてくれていた。
去年も私は行ったから。
この島の子供たちは、皆「こんにちはー」と挨拶をしてくれる。
去年来た時から、私も島で会う人々全員に頭を下げる様になった。
なんとなく、この島に来させていただいているという気持ちになる、そういう島だからだ。
夕方、島に1件しかない食堂に行って、ゴーヤチャンプル、チャーハン、わかめスープ、海ぶどうを食べながらビールをちょっと飲んだら、強烈に眠気がきて、目を開けていられない程になった。
宿に帰り、9時には寝てしまった。


日々ごはんへ  めにうへ