2002年8月上

●2002年8月10日(土)

佐賀町の食糧ビルで、クウクウの子たちがグループ展をやっているのに行った。
座る所もあって、食べ物飲み物も少しあって、お店のようになっていました。なんか、私の妹弟たちがごにょごにょと何かをやっていて、なーにやってるんだろうねこの子たちはと思って行ってみた感じだったが、ちょっと皆を改めて見渡すような、私の知ってるつもりから外れていて、「へえー」と感心した。
帰りに「のらぼう」でご飯を食べ、りうも誘って飲み会になった。りうがガンガンビールを飲んで、店のマキオ君に堂々と話しかけていた。りうって子供だとばっかり思っていたけど24歳なんだし、マキオ君は27歳だというから当然だよな、ふたりが付き合ったりすることだってありうるわけだ。などと感心しながら、隣でへらへら焼酎を飲んで酔っぱらった。

●2002年8月9日(金)

いちぢく入りのパンは、チーズをのせて焼いて黒胡椒をひいて食べた。
それにしても今日は電話とファックスが多く、まったくオフィスのようだった。あまりに立て続けにかかってくるので、私はクールな仕事人のようにテキパキと爽やかに受け答えをしていたけれど、ファックスの紙詰まりを直しながら受けているスイセイは、パンツとTシャツで、脇からふくろがこぼれている。そして私はタンクトックにひざ丈スカートで、首にはタオルを巻いている。
次の撮影のメニューを考えたり、これから始まる連載の内容についてポヤンと考えたりしているうちに晩ご飯の時間に。塩鯖、おぼろ豆腐の湯豆腐、ゴーヤの梅醤油かけ、焼き茄子、玄米。おぼろ豆腐はざるに上げて自然に水を切ってから、昆布を入れた水をはった鍋で静かに煮るのです。塩ごま油か、醤油ごま油をちょっとかけ、越生で買ってきた青ゆずをしぼって食べた。

●2002年8月8日(木)

美容院に行ってきた。
帰りに紀伊国屋で、いちぢく入りの黒パンや、冷やしラーメン(冷やし中華ではなく、スープが冷たいぶっかけラーメン。これに青唐辛子の酢漬けをかけるのが最近気に入っている)など買い、おいしい魚屋さんで水ダコの刺し身、サザエ、カンパチの切り身を買った。カンパチは照焼きにでもしようと思う。
スイセイはファックスを分解して直している。さっきからずっとやっているので、「楽しいか?」と聞いてみたら、「うんにゃ(ううん)」とひと言答えて、またやっている。「俺は因果な性格かもわからん。」とも言いながら。壊れたら新しく買い替えたり、修理に出したりせずに、まず自分で修理するのがスイセイのやり方なのだ。靴下やパンツを干す用の物干しも、洗濯ばさみが取れたら、針金で付け直したりして、もう何年も同じのを使っている。
今気になっている本は、穂村弘の「世界音痴」。

●2002年8月7日(水)

白米を炊いて、あやさんの所でいただいた鵜こっけいの生卵をかけて食べたら、手の平や足の裏がポーッと温かくなり、ぼんやり眠くなってきた。
畳の部屋で寝転がって「ドリトル先生」を読んでいたら、寝てしまった。
仕事の電話で起こされ、干してあった布団をずるずると敷いて、本格的に寝た。腰のあたりからじわじわとものすごい眠気がくるのを感じながら、ひたすら眠った。目が覚めても起きる気になれないくらいに、まだ眠気が体に詰まっている。
セイリだし、腹もこわしているし、なんだか悪いものをたくさん出して、寝ながらも体の重たいものをたくさん出しているような気持ちで、延々眠った。たぶん原爆についてのイメージを、昨日1日の間に、私は体の中に溜めたのだと思う。
次に目が覚めたら外は真っ暗で、網戸ごしにいい風が入ってきていた。
晩ご飯は、昼間に作ったピーマンとソーセージの炒め物と、冷蔵庫にあったひじきと、わかめと麩の味噌汁と、冷やしトマト。
りうが広島に行っていないので、スイセイとふたりでいると、娘が独り立ちした老夫婦のような、つつましい気持ちがする。

●2002年8月6日(火)

新聞を見ていて今朝気がついたのだが、今日は広島の原爆の日だ。その日に合わせたわけではないが、埼玉のあやさんのお宅に行った。真ちゃんと私で12時に吉祥寺で待ち合わせ、池袋で森下と合流して、着いたのは3時くらいだった。
新刊の絵本「ヒロシマに原爆がおとされたとき」を見ながら、絵本についているCDのあやさんの語りを延々と聞いた。目の前ではその声の主が、斜めになる寝台に横たわり、鳩尾に手をのせている。目をつぶっているけれど、瞼の縁が時々動くから寝ているのではないみたい。窓の外は木が鬱蒼として、セミが合唱している。私はあやさんの話を頭の中にぎゅっと取り込んで、その悲惨な光景を思い描こうとしていたけれど、ひぐらしがすぐ近くで鳴いていて、私は汗をたらしながら良い気持ちになってきて、少しうとうとした。あやさんは、春に行った時よりも少しだけ夏痩せしたかもしれない。お昼の鯵の開きもほとんど残していたし、今日は酒も飲まないようだ。CDが終わった時、「終わった終わった。こーんなこまい(細かい)もんに、ようけ喋っとったでしょう。」と言って起き上がった。
帰りに、鵜こっけいの卵をお土産にいただいた。
電車を乗り継いで、井の頭線に乗って帰ろうとしている時、今日は真ちゃんとずっと隣り合わせで、ずっと電車に乗っていた日だったなぁと思った。
帰ってから、スイセイがビデオに撮っておいてくれたNHKの原爆のテレビを見た。あの日の光景をやっと絵に描き残す気持ちが出てきた、被爆者のじいさんたちが出ていた。絵を描くことは思い出すことだから、心に沈めていた強い悲しみを皆ずるずると引き出して、声も顔も震え、ゆがんでいた。この人たちは、そろそろ自分も死ぬと思っている。

●2002年8月5日(月)

広島のかあちゃん(スイセイの母)から電話があって起きてしまった。まだ9時だよ〜。りうがゆうべから、青春18切符を使って鈍行列車で広島に行こうとしているのだ。それでかあちゃんは朝から張り切っている。「りうはいったい何時に着くんかねえ?」昨日も同じような電話があったが。
洗濯をして掃除機をかけて雑巾がけをし、さらに今日は台所を集中的に掃除をした。もう半年以上も使っていない素材は、思い切ってどんどん捨てた。粉末ココナッツミルク、クスクス、生春巻きの皮、ミックスナッツなどなど。ベトナム土産のキクラゲ(バカでかい)はもどして冷蔵。白玉粉は近々だんごにしてやろうと思うので、捨てていません。あずきもあるし。だけど、大掃除って夏にやるもんではないなと思いながら、汗をだらだらかきながらやった。しかもファックスの調子が悪く、さっきから何度も紙づまりと表示が出て大急ぎで直しているのに、また続いてファックスの電話が。それが5回ほど続いて私は「もうーー!」と叫んだ。調子が悪い機械は大ッ嫌いだー!と、たたいてもみた。すると、昼寝をしていたスイセイが起きてきて、様子をみてくれました。これはつい最近気がついたのだが、スイセイって機械をいじる時、とても優しい手つきでやる。どんな機械でも道具でも。
私は台所に行って黒砂糖をひとつ食べました。波照間のおじいが、手の平に乗せてくれたつもりになって食べた。
夕方から丹治さん、赤澤さん、みどりちゃんと打ち合わせなので、スイセイの晩ご飯を支度してから出掛ける。あなごの卵とじとしじみのみそ汁だ。そういえば、しじみのみそ汁のことを「しみじみの味噌汁」と呼んだ娘が、昔クウクウのスタッフにいたな。
行って来ました、打ち合わせ。
アルタイ共和国のお土産で、水色のノートとはちみつをもらいました。はちみつは、とろっと濃くて蜂の巣が浸かっている。「小さい蜂も入ってたりしますよ。」 と丹治さんは言っていた。廃物のビンに入っているので、微妙に蓋が合わないが、いかにも農家で作っているような自家製な感じだ。明日、カスピ海ヨーグルトにかけて食べよう。

●2002年8月4日(日)

クウクウで働きました。
働きながら、最近の自分の環境(仕事がらみの)、そしてそれに振り回されている自分について考えていた。焼きビーフンを作りながら…。いやいや今はにんにくを炒め、ねぎ、しょうが、干し海老を炒めているのだからと、ぐっと料理を作っている自分に引き戻しながら。

●2002年8月3日(土)

撮影で久々にスタジオに行った。
内容は3品だしカット数も少ないのに、やっぱりとてもくたびれた。スタジオでやることの良いところは、後片づけが楽ちんというくらいだなと今日思いました。がっつんと抜けているのです、何かが。その何かは、たぶん料理と人間の関係になくはならないものだ。
帰りに本屋に寄って、水木しげるの「トペトロとの50年」と、おーなり由子さんの「月の砂漠をさばさばと」を買い、しゃぶしゃぶ用の牛肉も買ったら、ほわーっと心温かくなり、自転車でスイスイと帰って来た。トペトロはけっこう古い本で、前に図書館で2回借りた。どうしても欲しくて本屋で注文したら、すでに絶版だと言われたもの。上手く説明はできないが、こんな、のんびりと風通しが良くて、世の中にあってもなくても変わりないような本こそ、なくなってはならない本なのになぁと思い、がっかりしていたのだ。新聞で文庫の広告を見つけた時は、出版界も捨てたもんではないぞと感心しました。
晩ご飯は、柳ガレイの干物と冷シャブサラダとわかめと玉ねぎのみそ汁。

●2002年8月2日(金)

雷がとどろいている。窓の外は鶸色というのだろうか、くすんだ緑で黄土色がかっている。向こうが見えないくらいの土砂降りなのだ。窓を開けると、3本の大きな木が、もたれ合うようにしてぐわんぐわんと揺れ動いている。生臭いような土の匂いもした。
朝ごはんは、マルちゃんのカレーうどん。
このところ、ぱったり仕事の依頼がなかったから、8月は夏休みだーと思っていたら、電話がたくさん鳴って、ばたばたといろんな依頼が。来る時っていちどに来るもんだというのを思い出しました。しかも今回は、料理の仕事からはずれているようなものが多いのだ。頭が混乱するが、とにかくひとつずつやっていこう。
明日はスタジオでコンロの撮影なので、何を着て行こうかまず考えることにしよう。そして晩ご飯で、明日作る料理の練習をしようと思う。
夕方になって、外が明るくなってきたと思ったら、天気雨のようになっている。鳥たちがゆっくり旋回し、下の階からピアノの音がしている。下の奥さんがピアノを弾く時間はいつも午前中と決まっているのだが、きっと今、窓を開けて気持ち良く弾いているに違いない。「戦場のメリークリスマス」を練習している。
雨がだんだん上がってきて、東の空が真っ青になっている。建物も木もシルエットがくっきりとして明るく艶があり、遠くまではっきり見えるから遠近感がないような感じ。どこかで見た感じだと思ったら、それはネパールかペルーの高地の景色だ。嵐が大掃除をしてくれたから、空気が特別に澄んでいるのだ。暗い部屋でパソコンをやっているスイセイを呼んできて、「ほーら」と自慢する。
ここのところ、水木しげるのことを足立倫行が書いた、「妖怪と歩く」をずっと読んでいる。水木しげるは大好きで尊敬する人だが、本人でなく大勢の他人が感じる水木像というのがいろんな角度から書いてあっておもしろい。そして、平行してドリトル先生も読んでいるので、水木しげるとドリトル先生と井伏鱒二(ドリトル先生シリーズの翻訳をしている)が、私の中でだぶって仕方がない。共通点は、3人ともデブで眼鏡をかけていて、酔っぱらった時の鋭さのような人生を生きている。と、ここまで書いてドリトル先生の挿し絵を見てみたら、眼鏡をかけていませんでした。あれは、眼鏡をはずした時のドリトル先生の絵ではないかと私は思う。

●2002年8月1日(木)

今読んでいる本は、野口晴哉著「健康生活の原理」。
かなり古い本で、うっすらと茶色になっている。文章が気がきいている。言葉使いが実感的で、とても分かりやすくおもしろい。昼間に寝転がってさんざん読み、活元というのもさわりだけやってみた。暇だなぁ私と思いながら。
夜、丹治さんに呼び出され、晩ごはんをごいっしょした。
アルタイ共和国の話をたくさん聞きながら、いちいち景色が、けっこうはっきりと頭に浮かぶ。森の中に1件だけ建っているミュージアムや、その中の部屋の様子、館長のじいさんが喋っている声が部屋に響いている感じが浮かんだ時、思わず鳥肌が立ったほどだ。千里眼というのは、もしかしたらこんな感じで見えるのか?たぶん私の見えているのは自分のイメージだから、実際とはぜったいに違うが、見え方はもしかして超能力者と同じかも。というか単に、丹治さんの説明の仕方や言葉の選び方が上手いのだという話だ。丹治さんは、アルタイに行ったことがよっぽど良かったらしく、今まで自分がかぶっていたものが全部落ちて(むけた?)、新しいものがムキッと出てきたという様なことをおっしゃっていた。「それってけっこう長持ちするでしょう。3ケ月くらい?」と気軽に質問してみたら、「とんでもないです。一生もちます。」と即答していた。
そういえば飲み屋で、カスピ海ヨーグルトについて「こんどあげるからやってみなよー。」とかなんとか言っている若い女の子がいた。流行っているんだろうか。恐るべしカスピ海、あちこちで菌が増殖しているらしい。「固まったら上の固まりを取ってから食べるんだよ。」という声も聞こえた。私は気にせずにガーッとかき混ぜて食べていたが、なんで?と質問してみたかった。

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