2002年9月中

●2002年9月20日(金)

マッキーから電話で、明日子供たちを連れて遊びに来るとのこと。私もうれしいが、マッキーファンのスイセイはさぞ喜ぶことだろう。
午後、自転車に乗って西荻の歯医者へ行った。ほんとうに久しぶり。走りながら、今まさにこの季節、外に出ない人はばかですぜというような天気に驚きました。うかうかしていたら通り過ぎていってしまう、ちょうど良い秋なのだ。帰りに公園に寄って、デジカメで「秋の日」という題の写真を何枚か撮った。帰ってからスイセイに見せたらけっこう褒められました。「そろそろ、みいの写真展でもふくう食堂でやろうかのう」と。デジカメってすごいなぁと思う。失敗したらすぐに消せるし、なぜ失敗したのか見れば分かるので、次にはすぐにちゃんと気をつけることができる。人に教わるんではなくて、自分のやったことから自分で分かるというのがとっても良いと思う。機械音痴の私にはびったしだ。
帰ってからスイセイにマッキーのことを伝え、「うれしいか?」と聞いてみた。「え?、ふつーで」と言う、ふつーのオクターブがかなり高かった。早速プレゼントについても考えているらしく、材木をみつくろっていた。
海苔のしけったので佃煮を作り、上手くいって調子にのってきたので栗の渋皮煮を今作っているところ。残りの栗は明日豚肉といっしょに洋風に煮てみようと思う。晩ご飯は、ホッケの開き、水菜のおひたし、こんにゃくとチクワとじゃが芋の炒め煮、オクラ納豆、大根の味噌汁。
渋皮煮は黒砂糖で煮てみた。煮上がった汁はトロリとしてまるで黒みつのよう。明日まで蜜に漬けておいた方が良いのでまだ食べてないが、さぞかしおいしいことだろう。栗は川原さんからいただいたもの。黒砂糖はしおりちゃんが波照間で買ってきてくれました。

●2002年9月19日(木)

秋晴れのすばらしい天気だが、ちょっとばかし二日酔いだ。
ヒラリンから小包みが届いた。高知の享子ちゃんの店の手作りまんじゅうだ。ころっとした素朴な形の焼きまんじゅう。ヒラリンは自分で食べればいいものを、高山さんにと言われたから、だけど帰るのはまだ先になるからと言って、この間高知から電話をしてきた。「だめになっちゃうといやだから、返しに行こうかとも思ったの」と困っていて、小包みで送ったらどうかと私がアイデアを出したのだ。晩ご飯の後にでもだいじにいただこう。
スイセイはおしりにできたオデキを取る手術で病院へ。このオデキは、私たちが出会った頃(14年前)からすでにあり、近ごろそれがすっかり大きく盛り上がって、富士山のようになっていたもの。固い表情でスイセイは出て行った。
夕方仕事の依頼の電話が3本あった。ひとつは料理だが、キッチンの収納と、もうひとつはバンドのボーカルの女の子との対談の仕事。私の本のことを好いてくれているそうで、びっくりしました。嬉しい限りです。しかし、何を着て行ったら良いのだろうと今からちょっとばかり心配。
みょうがを大量に塩漬けしたのがしょっぱすぎたので、ゆうべから塩抜きしておいたものを、茄子といっしょに油で炒めて赤だし味噌を加え、焼き味噌を作った。この間いただいたみどりちゃんが作ったのがとてもおいしかったので真似をしたのだ。味噌は上等なのは使わなかったが、それなりにおいしくできた。対談の時にビンに入れて、バンドのメンバーの方々に持って行ってあげようなどと、田舎のおばちゃんみたいに思っています。ご飯にとても合うので。
病院から帰って来たスイセイは、ホッとしたのだろう、なんだか元気そう。今は麻酔が効いているからまったく痛くないらしいが、けっこう大きく切って縫ったというから、今夜は痛いだろうな。可愛そうだな。おしりに大きな絆創膏がはってあるのを、記念にデジカメで撮りました。
夜ご飯は、栗ごはん、ムキガレイのパン粉焼き、焼きトマト、キャベツとレタスの千切り、玉ねぎとじゃが芋の味噌汁。

●2002年9月18日(水)

ほんとうによく眠れる今日この頃、昨夜は3時に寝て熟睡し、11時半に起きました。武田泰淳の「眩暈のする散歩」を読みながら寝た。何度も読んでいるが、やっぱり好きな小説というのは色あせないものだ。とくに百合子さんのくだりは、何度読んでも新鮮な感動だ。
洗濯物を干しながらベランダから下を見ると、どんぐりが生っている。まだ黄緑色だが、大きさはすっかりふつうのどんぐりだ。1階の大家さんの家に誰か来ているらしい。ハル(雑種)の友だち(ビーグル犬)もいて、2匹が庭をただ行ったり来たりしている。吠えもせず。というか、ハルが友だちの後をしつこくついて回っているという感じだ。
昼ごはんに海老の炊込みご飯を作った。とても簡単なわりにおいしくできたのでレシピをここに書きます。米を研いで炊飯器に入れ普通の水加減よりちょっと少なめにする。だし昆布、酒、ナンプラー、塩、ごま油を加えてざっと混ぜ、上にムキエビをドサッとのせる(米の表面がかくれるくらい)。そしてスイッチオン。味付けは、調味料を混ぜた水をなめてみて、ちょっと薄いかな?というくらい。炊き上がったら、ゆでた三つ葉とすり胡麻をのせ、黒胡椒をひいた。
3時から赤澤さんと打ち合わせ。体調があまり良くないらしく、私はとても心配だ。ゆうべから何も食べてないというので、海老ごはんをおかゆにしてやった。
そしてクウクウのヤノ君からお誘いの電話があり、夕方から三鷹のやまもと酒店に、クウクウで出す秋冬ワインの試飲会へ出発です。スペインの赤ワインとイタリアの白、赤いグラッパを気に入り、買って帰りました。このグラッパがくせもので、すぐりを漬けたものだそうだが、甘くて口当たりが良いので、ヤノ君宅で飲んでいい感じにべろべろになってしまいました。夜中3時くらいに帰ってからそれでも風呂に入り、枕につっぷして寝た。なんか、いい日だったなと秘かに胸をいっぱいにして。

●2002年9月17日(火)

昨夜の夜中の散歩はおもしろかった。ウォークマンでオザケンを聞きながらひたすら歩きました。もちろんべろべろに酔っぱらっています。どこまで歩いたかというと、西荻の「のらぼう」までだ。当然もう閉まっている時間なのは分かっていたけど、マキオ君片づけとかしてるかな?とちょっとだけ期待したりして。「のらぼう」は電気はついていたけどシャツターが閉まっていたからタッチして、こんどはちょっと違う道をてくてくと歩いて帰って来ました。よっぽどのたのたと歩いていたのだろう、家に着いたら3時だった。
雨上がりの道は水たまりがけっこうあって、ズボンの裾はびしょびしょになったが、木々の緑がいきいきと動いていて、百合が逆さになったような、下を向いて咲いている白い大きな花は、遠くからでもすぐ分かる匂いがした。男っぽい強い冷ややかな匂いだ。そして、どこかの家の塀の隙間から、ハーブ系のバスソルトみたいな匂いがしていた。それはなんか、ひじょうにしあわせそうな家族的な匂いだったので、鼻をくっつけてしばらく嗅いでいたら、あこがれの気持ちでちょっと泣けました。しかし、真夜中の歩道で塀に鼻をくっつけて匂いを嗅いでいる中年の女というのは、誰なのだろう。ちょっと誰それー?っていう気もするが、それは子供の頃から延々と変わらずに高山なおみの中にいる、「なみちゃん」という人だ。とりあえず、その人を落ち着かせないと私は眠れないのが分かっているから、こうして夜中の散歩に出たわけでした。時々、「乾電池ってえらいなー」とも思いながら。酔っぱらってハイになっている私を楽しませて、ずっと働いている冷静なウォークマンの乾電池に対してだ。
今日は、1時過ぎに丹治君からの電話で起きました。連載の仕事について。丹治君は明日は大阪に出張なんだそうだ。皆えらいなーと思っていたら、こんどはヒラリンから電話だ。今、高知にいて、享子ちゃんのところ(ワルンという店)に行って来たんだそうだ。私の知らない間に、世の中は動いていたのだなーと実感。しかも驚くのはこの気候だ。撮影を始めた頃は、暑くて暑くてクーラーをガンガンつけていたのに、今日あたりストーブ出そうかなっていう感じなのだもの。まるで浦島太郎だな私は。

●2002年9月16日(月)

撮影最終日。やっと、ついに終わりました。
終わってからちょっとした打ち上げで、ビールを飲みながら今日の撮影風景のビデオを皆で見た。私がすりばちで魚のすり身をすっている時にでんぶの話になり、「ピンクのでんぶ、弁当に入れるんですよ家の親。入れるなって言ったじゃねーかよ!って小学生の時おれは本気で喧嘩しましたよ。あと、ウィンナーもタコにするなよーって言うんだけど、やるんだよな家の親」とか斉藤君が言い始めて、立花君は「そういうのがあこがれだったんだよおれは。家なんか弁当なんとなく茶色いんだぜ。残りもんの煮物とか入ってて卵焼きも焦げてるから黄色いとこ少ないんだよ。あとチャーハンだけとかね」。「チャーハンなんてまだいいじゃん、私なんか焼きそばだけが入ってる時もあったよ、平らに」と、川原さんだ。そういうくだらない事を言い合ってげらげら笑いながら、私たちは撮影をしていました。きっと良い本になるにちがいない。
撮影の間は、毎日10時間以上皆といっしょにいました。うんざりするほどいっしょにいて、ほんとに楽しかった。打ち上げの時丹治君が、「ギラギラしてるっていうのはまだなまくらだっていうことでしょ」と、あのやさしい声で言っていたのにぐっときた。やる気満々でたくらみもあってギラギラしてる時ってのは、まだまだ鈍いってこと。
打ち上げを、私は朝までやるのかと思っていたが、皆けっこう早々帰ってしまった。11時にはもう誰もいなくなり、ぽつんとしてしまった私。スイセイも酔っぱらって早々と寝てしまった。ひとりでオザケンを聞いていたが、(今回の撮影のバックグラウンドミュージックは、なぜかブラジル音楽とオザケンだった)泣きそうな感じになってきたので、涙を振り払い襟巻きを巻いて上着を着て、ポケットにウォークマンをつっこんで散歩に行くことにした。

●2002年9月15日(日)

クウクウは大忙しだった。なんたって、連休の中日だから。私は必死で働きました。ホールでは穂高君とヤノ君の大声の「いらっしゃいませー」「ありがとうございましたー」が何度も元気に響いていた。居酒屋のようでもあるが、ちょいとちがうよっていうほんとうな感じ。若いって迫力だなーと感じながら働きました。片づけが終わって賄いを食べている時に気がついたが、手の甲に火傷ができていた。

●2002年9月14日(土)

昨日は試写会が渋谷だったので、ちょっと早めに出て下北沢で降り、チクテカフェにシタ君の様子を見に行った。シタ君はクウクウの時よりも、チクテの方が似合っていた。どこがとかはっきりは言えないが、肌の色が、とでも言っておこう。試写会で何を見たかは書きませんが、あまりピンとこなかった。あの映画でコメントを何かくださいと言われたら、私は困っただろーな。さっさと電車に乗って阿佐谷の「西瓜糖」へ。赤ワインを1杯飲んだらほろ酔いで気分良く、吉祥寺に帰って来て下田さんの旦那さんがやっているいつもの店へ。ゆで落花生、焼きなす、鮭のハラス、もつ煮込み、ゆでブロッコリーを次々食べながらワインを飲み、焼酎ロックを1杯飲んでやっと落ち着いて、木の葉が揺れるのを眺めながらフラフラと帰って来ました。夜ごはんは、レタスとトマトのサラダと買ってきたコロッケ。ししゃもを焼いて、冬瓜のおつゆを作った。スイセイもりうも冬瓜を気に入って、おかわりしていた。
そして今日は2時に起きました。昨夜は「向田邦子の恋文」を読み倒して2時に寝たから、ちょうど12時間だ。けど、もっともっと眠れると思いながら寝ていたから、4時くらいのつもりだった。だからこれでも案外早く起きたつもり。「向田邦子の恋文」は今ひとつだった。ちょっと読者をみくびらないでねって感じもしたが、どうなんだろう。ベストセラーってのはそんなもんなのか。とりあえず、手元に置いておかなくてもぜんぜん良い本だな。
夕方から川原さんが来てちょっとした撮影をするので、今から風呂に入ってきます。

●2002年9月13日(金)

朝トイレに起きた時、廊下のところで変な匂いがしたので見てみたら、冬瓜が新聞紙の中でかわいそうなことになっていた。表面をけずってビニールに入れ冷蔵庫へ。撮影の時にはピンピンで絶好調だった野菜らも、当たり前だが日々くたっとしてゆく。昨日から私は脱力の日々だが、野菜も私と同じになっている。自分は休めばまた元気になるが、野菜らはほっておいたら死ぬからなと気がつき、寝ぼけながらもどんどんケア(?)をしていった。かぶは塩でもんで漬物に、きゅうりは塩水漬けに、冷蔵庫の中で黒くなりかけていた青じそは、とりあえず塩をふりかけてもんだ。これは後でしょうゆをかけて漬ければ、ごはんの良いお供になるのです。ふと思ったが、機械でも道具でも何でもそうだが、ケアというかメンテナンスというか、そういう方法を知らなければ、やっぱだめなんではないだろうか。
今日はこのまま起きてしまって、映画の試写会にでも行こうと思う。

●2002年9月12日(木)

2日連続の撮影も終わり、ゆうべはやっと普通に眠れました。けれど、早起きの癖がぬけなくて10時には起きてしまった。脱力しています。
ピーカンの天気の下、大量の洗濯物が風に揺れているのをぼーって見ているうちに、何の脈略もなく涙が沸いてきて目に溜まっていたが、「デリデリ、ビデオ撮るの忘れたじゃろ」とスイセイがドスのきいた声で部屋に入って来た時、振り向き際にぼろりと涙がこぼれ落ちた。ここのところずっと、涙も出やしませんと思いながら、あまりにも楽しい緊張感のある撮影を過ごしていたのです。「みいはまだ二日酔い状態じゃのー。ぜんぜんもどって来てないじゃん」とすいせいにばかにされたが、私は何かを見たり感じたりする時に、どんな風に自分がなるのかが予測できず、それが自分でおもしろくてたまらない。それはまるで私でないもうひとりの人が、高山なおみのことを観察して愉しんでいるような感じがする。
夕方もういちど寝たら夢をみた。鍋で豆のスープを煮ていて、その鍋の中の変化についてカメラマンとアートディレクターに逐一伝えているのだが、全員がやたらと真顔で緊張していた。私たち3人は、何万人もの人の命を救う兵器を作っているという使命を、なぜか預かっているという設定になっていた。
夜、波照間の良美ちゃんから電話があり、久々に長電話した。電話の向こうでグレープフルーツ酎ハイを飲んでいる氷の音がしたので、私も梅酒ロックを作って飲み合いながら。良美も私と同様絶好調らしく、朝帰りの日々だそうだ。朝帰りというのは飲みに行くのではなく、森の中へ寝に行っているらしい、ひとりで。穴を掘って体をすっぽり入れ、上から葉っぱをかぶして寝るんだそうだ。「ちょっと寒い時には腹巻をしていくさー」と言っていたが。
晩ご飯は久々に我が家らしいメニューだった。クレソンのおひたしおかか和え、ゆでブロッコリー、いんげんの炒め煮、塩鮭、なめこ汁、玄米。「みいはまだ味のピントがずれてないのー、ぜんぶうまいで」とスイセイに褒められ、りうはごはんをおかわりして、いんげんの炒め汁をかけて食べていた。

●2002年9月11日(水)

今日で撮影は5日目。
とりあえず恋煩いは落ち着いたみたい。だから、バカなことを言っている立花君のことを普通にばかにすることもできるようになった。しかし私は仕事だというのに楽しみすぎなんではないか?とも思うが。
買ったばかりのデジカメを、立花君のカメラみたいにべたべたとシールを貼り重ねて、ばかな機械っぽく作ってもらった。青いラインと流線型のボディーと安っぽい肌触りがどうも嫌いだったのだ。立花君のカメラを覗くと、覗くところも黒い点がところどころあり、臭くていい匂いがする。靴ひもをつけているせいだって立花君は言うけれど、多分それは立花君の手の匂いだと私は思う。画材とかインクの匂いだからだ。みどりちゃんがドライヤーで熱をかけてシールをきれいにはがしたり、赤澤さんが手帳に貼ってあっただいじな シールをはがしてくれたり(ジュースのキャラクターで、飲み終わって「くーっ」とため息を吐く青い猫みたいなの。しかもシールは盛り上がっている)、斉藤君は家のビデオのシールを勝手にはがしたりして、皆で協力してかっこいいのが出来上がった。あとは私がそれを使い込んで可愛がって汚してやれば完ぺきだ。撮影中に、そんなこともやっていた私たちだった。
今日は9011の特別番組があるからとみどりちゃんに教えてもらったので見ていたが、私はとちゅうで見るのをやめた。りうのためにビデオを撮ってはいたが、音を消して寝てしまった。ばかなカメラをラッコのように胸の上にのっけながら。
私はもう見なくてもいいやとどこで思ったかというと、消防士たちがロビーで集まっている時に、ドカン、ドカンと絶え間なく音がして、それは爆発音なのかと思っていたら、上の階から人が飛び降りる音だとテレビが言ったから。見た目は落ち着いて冷静な消防士たちの目が、その音がするたびに揺れていたから。

日々ごはんへ  めにうへ