2002年9月下

●2002年9月30日(月)

本の追加の撮影。
1時にぼつぼつとスタッフが集まり出し、「久しぶりー」と言い合う感じは、同窓会みたいだと立花君が言っていた。ほんとそんな感じだ。撮影の日々は、もう1年前のことだったと言われても、そーかー、もうそんなに経ったんだと思ってしまう遠い日の楽しい思い出だ。もちろん、今日の撮影も楽しかった。が、あの真っ最中の日々ほどの狂おしい楽しさはもう薄くなっていた。もったいなくて、終わってしまうのが切なく胸苦しくなるほどだった、あの懐かしい日々よ(大げさでもなんでもなく、ほんとにそう思っている私だ。あの感じは、これからまた同じメンバーとやっても、違う人たちとやっても、二度とないだろう一期一会なので)。
撮影が終わってから、みどりちゃんは次の打ち合わせに、赤澤さんは抱えた仕事をやりに、立花君も斉藤君もしおりちゃんも爽やかに早々と帰ってしまった。
残ったメンバーでなんとなくワインを飲み始め、焼酎を飲み始め、酒屋に追加の酒をいろいろ買いに行ってもらって、やはりまた飲み会になってしまった。そして今まで撮った写真のベタ焼きをひとりで見ていたら、私の体の奥で、ある小さい塊が、ぶつぶつと大きくなろうとしている感じがした。触発されて発酵してゆく感じ。これから私は、だんだん大きくなってゆくその塊が何なのか、よーく感じて、見極めて、そっくりそれを言葉に直して文章に書き写す作業をすれば良いのだなと、酔っ払った頭で思いました。
それにしてもウォッカなんかがんがん飲んだものだから、2時には眠くなってしまい、ミキちゃんと先に寝ていた丹治君にはさまれて川の字になって寝た。私も酔っぱらっているので女が出てしまいそうな危険を考え、丹治君には別の掛け布団をかけてやったが、引き止める私を振り払い、丹治君は帰って行きました。ぜったいに崩れない丹治君のことを、私はかなり深く信頼しています。
川原さんとスイセイはふたりで朝まで起きていた。何を話しているかは聞こえないが、なんだかんだと川原さんとスイセイの元気な声がずっと聞こえていました。真夜中にふたりでうどんを作って食べたりもしていたらしい。
ミキちゃんは朝まで私の隣でぐっすり眠っていた。何処でもよく眠れる娘って、それだけで良い娘だなと私は思う。
そういえば、丹治君が作ってくれたトーバンジャンとバルサミコ酢とナンプラーのチャーハンがえらいおいしかったなー。普段は黒酢で作るし、桜エビも使うらしいのだが両方ともなかったので、「丹治君、たまにはアレンジしなさいよ」と私はえらそうなことを言い、「器もなんでも丹治君がいちばん良いと思ったものを使いな」などと、すっかりねえちゃんになっていた私。チャーハンは、塩豚もにんにくもご飯粒と変わらないくらいに細かく切ってあって、味がよく混じり、ご飯はツヤツヤに炒めまっていて、ほんとうにたまげるおいしさだった。ミキちゃんの作ってくれたトマトといんげんのサラダもおいしかった。いんげんのゆで加減といい、トマトの切り方といい、ワインビネガーのドレッシングといい、なかなかやるじゃんっという感じ。ミキちゃんは、日常的に作っているんだろうなきっと。

●2002年9月29日(日)

クウクウではゆみちゃんと、「海辺のカフカ」についての感想を言い合いながら働いた。お互いに好きな本や映画の感想を、好きな人同士で軽く言い合うのって、楽しいんだよな。「星野さんてよかったよねえ」と私が言うと、「もう、私は星野さんとナカタさんのところが好きで好きで、そこだけ飛ばし読みしたい感じでしたよー」と、ちょっと涙目になって言っていたゆみちゃんでした。そして、佐伯さんが高山さんと重なっていましたと意外なことを言われた。姿勢を良くした高山さんの後ろ姿と、などと言われ、私はひじょうに照れ臭く、「げげげ」と下品に笑い飛ばしたが、ちょっと嬉しかったりもした。
クウクウが終わってから、なんとなしにスイセイと本についての話をしているうちに、私の仕事机をカウンター代わりに「バーたかやま」になってしまった。焼酎やグラッパをけっこう飲んで、4時過ぎに寝た。スイセイって、たまにこんなふうにまとまった話をする時、鋭いことを言ってくれる。私の暴れている想いをぐっとつかまえて、それを私自身の力でもとのサヤに納めさせてくれるような、とても納得のいく良いことを言ってくれるのだ。

●2002年9月月28日(土)

ゆうべ「海辺のカフカ」を朝の7時まで読んでしまった。途中、目の中に黒い点々が出てきて読みにくくなったけれど(目の疲れだ)、読み抜きたい気持ち一心で読んでいった。7時ではなく3時くらいだったら、たぶん私は最後まで読み切ってしまったことだろう。超おもしろくてやめられなかったが、まあ寝ることにした。
 3時に起きて昨日の洋風おでんを温め直し、パンを焼いてりうとふたりで食べた。スープは昨日よりもっとおいしくなっていた。そしてまた寝室にもどり、今「海辺のカフカ」の続きを読んでいます。昨夜よりはもう少しスピードをゆるめて。もったいないような気がしたので。
さっき読み終わりました。なんかすごく遠くまで行ってきた感じ。言葉にはもちろん普通の意味があるが、そのむこうまで行ってきた感じだった。こういうのが読みたかったんだ、というような小説でした。
夜ごはんは、さんまのごま油焼き、いんげんともやしの辛子和え、白菜の煮込み(おでんの残りのスープで)、ソースやきそば、玄米、油揚げとねぎの味噌汁。やきそばはおかずとして作った。

●2002年9月27日(金)

9時に起きて皮膚科(背中がアトピーっぽいのだ。乾燥し始めたこの季節になると最近そうなる)に行き、12時から打ち合わせを2本やった。
朝、皮膚科で料理のアイデアをまとめてスケッチを書いていた私。待合室の耳が遠いばあさんの隣に座って、心静かに、けっこう次々とアイデアも浮かんでいた。2本分のメニューもほぼ決まり、ラフスケッチのファックスも送って、次回の撮影の準備は完了。その後歯医者にまで行きました。
夕方、くたっと疲れて帰って来ました。家に着いたら即トリガラスープを鍋にかけようと心に決めながら。大根とこんにゃくも買って帰った。昨日買ったソーセージとちくわとじゃが芋も加えて、洋風おでんのようなものを作ろうと思って。なんてったって今日は寒いのだ。雨は止んだけれど、シーンと冷たい空気なのだ。
今、コトコトとスープをとっているところ。いい匂いはまだしてこない。これから3時間くらい煮込んで、それから具を入れてもう1時間くらい煮込む。りうが帰って来る頃には、ちょうど食べられる予定。
食後に、生クリームにクッキーを砕いて泡立て、きざんだ栗の渋皮煮を混ぜ、黒砂糖のみつを上からかけて「マロンシャンテーだよ」と出したら、スイセイはすごく喜んではしゃいでいた。「金持ちの上品な家族みたいじゃのう。オデはすんごくうまいんじゃが、はい、それではりうの意見は?」と、マイクをりうに渡す。「またこれと同じものを作って欲しいと思う」と、りうは真面目な顔で可愛いことを言っていた。

●2002年9月26日(木)

なんと2時まで寝てしまいました。とちゅう仕事の電話で起きたが、眠くて眠くて、またぐっすりと寝こけてしまった。
洗濯物を干す時に下を見たら、どんぐりがもう茶色になっていた。まだ完全な艶のあるどんぐりらしい茶色ではなくて、そこに白と赤を混ぜたような色。金木犀は木の上の方が満々開だ。深まりゆく秋、そして食欲も旺盛な今日この頃、どうやら私は少しずつ太ってきているようだ。やばいです。
4時くらいから、CDをかけたり、ベランダに出たり、ゆで卵を作ったり、じゃが芋をゆでたりしながら、パソコンの前に座り、本のための文章をずっとやっていた。夕方りうがアルバイトに出掛ける時、マジで「おかえり」と言ってしまった。これは文章に入り込んでいる証拠で、良い兆候だ。
夜は夜で、ごぼう入りのハンバーグにマヨネーズを混ぜたせいで、裏面を焦がしてしまった。隙間なく真っ黒に。しじみの味噌汁もしょっぱかったようで、スイセイはお湯で薄めていた。けれど、なんか文章の方は良い感じでできてきました。
食後に栗の渋皮煮を食べたら、ものすごくおいしくなっていた。黒砂糖のみつがよく染み込んでからまって、買ってきた上等な和菓子みたい。
今からまた本の文章の続きをやります。オザケンの「ライフ」を聞きながらだ。

●2002年9月25日(水)

「太陽」にみどりちゃんの手伝いで川原さんと行った。窓を取っ払った夏使用の「太陽」で、夕方の空の色が変わってゆくのを眺めながら、ぼーっとしていた。お昼のお弁当がおいしかったなー。レバーカツ弁当だ。デジカメで弁当の写真を撮っていたら、川原さんはノートに絵を描いていた。
みどりちゃんの仕事も終わり、きんぴらごぼうなどつまみながら軽く飲み、8時くらいに解散した。私は地下鉄に乗って、久々に原君の家へ。
お母さんは元気だった。元気だったけれど、テレビを見ながらテレビが言ったひと言をものまねみたいにつぶやいて、それにつながる脈絡のないことを言っていた。「お母さん何のことだか意味がわかんないよー」と言うと、お母さんは喜んでケラケラ笑うので、何回もそんなことを言い合いながら、延々とテレビを見ていた。ソファーで隣に座っていると、お母さんの体は傾いてきて、いつも私の手にお母さんの手が触っている状態で。私が手を握ると、お母さんの手が条件反射をしたように軽く握り返してくる。クイズ番組が終わって、「鉄板選手権!」なんていう料理の鉄人みたいなのを、けっきょく最後まで見てしまった。
ほとんど酔っぱらわずに終電前で帰って来て、駅からてくてくと歩く健全な秋の道だった。ウォークマンではもちろん幸福感たっぷりのオザケンでした。
そしてついに買いました、村上春樹の新刊。今日出掛ける前にロンロンの本屋に寄ったら、10冊分の上下巻が交互に並べられ、それらが全部平積みになっていたので(つまり、縦横平積み)、思わずフラーッと2冊つかんで買ってしまった。サンやゆみちゃんや丹治君に貸して貸してと頼んでいたが、なかなか順番がまわってこなさそうだったから、買ってもいいかなとは思っていたが。しかし春樹さんの小説の新刊はここのところ必ず読んでいるが、読み終わったら誰かにあげてしまっている。なんとなく夢中になっておもしろく読むのだが、物語としては残るのだが、そばに置いておかなくても良いような本なのだ。1回読んで完結する感じ。それはなんでだろう。本の姿形にも関係があるのだろうか。

●2002年9月24日(火)

スザンナ.タマーロの「独りごとのように」を昨夜4時まで読んでいた。けっこう重いけど、私はこのひと好きみたいだ。
今朝は9時半に目が覚める。1時間くらいまどろんでいたが、けっきょく仕事の電話で起こされました。それにしても最近の私はなんという熟睡だろう。睡眠時間は短いのに、目覚めがスッキリとして、体も軽い感じだ。クウクウでたくさん働いていた頃は、慢性的に疲れていて、10時間睡眠が当たり前だった。なんか調子良いかも。節煙中なのも功を奏しているのか?1日に1本だけ煙草を吸って良いことにしている私だ。
今日もすばらしい天気。金木犀の香りって、この天気にぴったりだ。運動会日和っていうか、遠足日和っていうか。午後からまた西荻の歯医者に自転車で行くので、歯医者日和でもあるなと少し嬉しく思う。

●2002年9月23日(月)

朝9時半に目が覚めたので、本で何を書こうかなとぽわーんと考えていたのです、布団の中で。できるだけ頭の中を遠くに持って行って、料理とは遠いところの話を 思いつくように。かなりいいところまで考えたが、気がつくと寝ていた。それでけっきょく1時に起きました。
窓を開けたら、金木犀の匂いがはじめてしました。昨日はしなかったのに。うさぎ公園の脇にでっかい木があるのです。
誰も口をきかずに場の空気をそれぞれが読んで、プロジェクトを進めてゆくというチームに自分も参加しているという夢をみた。プロジェクトが何だったかうろ覚えだが、何かたくさんのものを正確に作ってゆくというような感じだった。ほとんどテレパシー状態で、ひとが何を思っているか、目の動きや仕草を感じるだけで、自分のことのように分かってしまう。気分良かったが、無駄なものが何もなくて埃もないような部屋にいる気分良さっていう感じ。つまり、ドキドキワクワクはしないってこと。
美容院に行って髪を染めました。帰りにおいしい魚屋さんで、さんま、大粒のあさり、まぐろ中落ち、わかめ、銀ダラの照焼き、鮭の切り身を買って帰った。銀ダラは明日のお昼にでもスイセイと食べよう。
夜ごはんは、かぼちゃの甘辛煮、さんまのバター焼き、ちんげん菜のおひたし、ピーマンのおかか炒め、あさりの味噌汁、玄米。そして、夕方作っておいた常備菜の大豆のにんにく炒め。

●2002年9月22日(日)

クウクウの日。
仕込みもけっこうあったので、忙しく働いた。
  サンが皿洗いで入っていて、営業中もいろいろ仕込んだり、仕込んだものを袋詰めしたり、そしてまた大量の皿を洗ったりしてガシガシと働いていた。お客さんも途切れてきて、そろそろ片づけも落ち着いてきた頃、昼1時から働いているサンの気持ちというのを、後ろに立ってシンクロしてちょっと考えてみた。私だったらとてもでないくらいバテテいるな、いやんなるくらい疲れてるよ。時計をチラッと見たサンに、「まだ10時前じゃねーかよー」って今思ったでしょと言ったら、「なんでですか?ぜんぜん思ってませんよ」とはっきり言われました。ぜんぜんシンクロなんかではなく、自分に置き換えてサンの身になってみただけでした。ひとの心というのは分からないものだ。

●2002年9月21日(土)

保存食1品と、それを使った料理1品の撮影だったので、2時半には終わった。マッキー親子を迎えに図書館へ。ついでに自分の本も10冊借りてきた。スザンヌ.タマーロの本が2冊、そして「エミールと探偵たち」と、あとは料理の本ばかりだ。大急ぎで焦って借りたので、料理の本は「えっ?」ていうのもある。「インドネシア料理」と「バリ島料理」だ。別に気になっていたわけではないのに、なんで私は借りたのだろう。
やっと首が座るようになった満帆(マホ)ちゃんは4ヶ月、おじぞうさんのような顔をしていた。ほっぺたが大きくふくらんで、目が小さくて、まゆ毛がつながっている。私のことを視線をそらさずにじーっと見るが、見透かされてるみたいな視線だ。そして、まったくぐずぐずしないし、ほとんど無表情にしていて、たまにふわっと笑う。抱っこしてやると、私の胸に顔をくっつけてまさぐるようにする。うーっ!なんて可愛いんだろう。そしてなんてやわらかいんだ! 「このぐらいの赤ん坊って、神々しくて胸が切のうなるのう」と言って、スイセイはティッシュで涙をぬぐっていた。りうの赤ん坊の頃のこととかも思い出しているらしい。私たちのでっかい布団でちっちゃくコロンと寝ている赤ん坊は、ほんとうに無垢で汚れていない。赤ん坊というのは、すごいもんだな。この歳になってやっとそういうことに気がつく私は、成熟がほんとうに遅れているな。この間も、りうと寝転がってビデオを見ていた時、別に何を喋るでもなしに、ただ同じ布団に並んで小さい画面をふたりで覗いていただけだが、なんとも言えずしあわせな感じがした。血がつながっていなくてもそうなのだから、実の子供というのは良いもんだろうな。まあ、良い時ばかりではないだろうが。
漣(父親)も来て、夜ご飯にハンガリアングラーシュ風なものを作って皆で食べた。にんにくと玉ねぎを黒くなるくらいに焦がしておいて、豚肉を焼きつけ、酒とあとは野菜の水分だけで蓋をして煮込むというもの。パプリカは入れない。塩と黒胡椒だけなのに、煮汁がビーフシチューのように茶色くこってりとする料理だ。これは、佐藤雅子さんというもう亡くなったおばあさんのレシピだ。キャベツが少ししかなかったので、にんじんとメークインのじゃが芋と、栗も入れました。すごいおいしさでした。
漣が小学生の頃から私は知っているが、満帆を片手で抱いている漣を見ていたら、まあ、いつの間に男らしくなって、頬もへっこんであごもとんがって、髭なんか生やしちゃって、お父さんになっちゃってなーという感じ。月歩(ツキホ)は4歳で、けっこう口が立つ。マッキーが自分の作ったご飯をおいしいおいしいと言って食べるのを、「お母さんそれはおかしいよ。自分が作ったものなんだから」なんて、最近こまっしゃくれたことを言うのだそうだ。私も、自分で作ったものに対しておいしいとよく言ってしまうが、それは、うまく言えないが、もうその時点では、自分が作ったとは思えなくなってしまっている。自分が作ったことを忘れてしまっているという感じ。野菜や肉や調味料や、鍋や時間や、そういういろいろなものたちに対して、おいしいーと感心している感じなのだ。焼き方や調味料の配分など私がやったことは、ただの偶然っていう気がしてならないのだほんとうに。これで良いのか料理人?と、たまに思うこともあるが、調理の仕方や調味料の分量をきちんと数字で表すことも私はできるけれど、そんなことよりも料理をする人としてだいじなのは、堂々と自分の料理をおいしいと感心できることの方だという気が実はしているのです。けれど、料理家としてだいじなのは、いかに作り方を分かりやすく伝えられるかだとも思っています。どんな人でも、どんな台所の設備でも、調理の仕組みを実感で分かってそれを作れるように説明すること。それが料理家のやるべきただひとつのこと、っていう気がします。なんか今日はマジになってしまった。まじめに生きている赤ん坊を触ったからかもしれん。

日々ごはんへ  めにうへ