2002年10月上

●2002年10月10日(木)

「終わりの蜜月」ゆうべで読み終わりました。そばに置いて何度でも読みたくなる本だ。最後の方で、みな子が随分快復してきた頃、「雨もまたよし」という天気の日があった。「雨もまたよし」という字を見たら、私は少し泣いた。
1時から鍋ものの撮影。終わったのは6時くらいで、くったりとくたびれました。スイセイも徹夜明けで部屋で寝ていたようだが、「お腹が空いたらみいのケイタイに電話をかけるけ」という作戦は、失敗に終わりました。何度かかけたらしいが、どういうわけだかつながらなかったらしい。電話がないからスイセイはぐっすり寝ているのだろうとばかり思って、ご飯を持って行ってやらなかった。
ふたりで汁ビーフンを食べ、焼酎を軽く飲みながら「終わりの蜜月」についての感想を話し、そしてふたりでぐったりと昼寝をし、私は9時半に起きた。スイセイはお尻のおできのもうひとつの方をおととい手術したので、けっこうくたびれ度が激しい様子。まだぐっすりと寝ている。
そろそろりうが帰って来るので、今晩は鍋のスープで雑炊でもしようと思う。
そして、風呂に入って調子が良ければ、連載の文章を書こう。

●2002年10月9日(水)

キッチンまわりの撮影。さわやかに2時半には終わり、明日の撮影の仕入れをしに紀伊国屋へ。おいしそうな酢があったので、自宅用に買って来た。吟醸酢って書いてある。日本酒かあんたはっていう感じの瓶に入っている。味見をするのがたのしみだ。帰って来てから近所の八百屋で、撮影用の野菜をいろいろ買う。
「終わりの蜜月」は、かなりおもしろい。ゆうべはけっきょく5時近くまで読んでしまった。日記なので、日付の下に天気が書いてあるのだが、それがまた良い。「曇り、午後は南風が一時強い」とか、「快晴、風がひどく冷たい」「晴れのち曇り、穏やか」「曇り、夜は雨」とかだ。天気というのはそれだけで、想いを描かせるものだ。関係ないが、私はテレビの天気予報を家族で見るのが好きです。
利雄という名前がよく出てくるので、息子さんのことなのかと勝手に思っていた。心臓が悪かったりずいぶんと病弱な息子さんだし、みな子(大庭)さんの言動は、息子を溺愛しすぎているのではないかなどと最初は思って読んでいた。どうもおかしいと思って本の表紙を見てみたら、利雄というのは著者本人の名前なのだ。この人は、自分のこともひとごとのように淡々と書いている。
ここのところ食欲があまりないし、なんだか寒々としているので、晩ご飯はもやし炒めとねぎをたっぷりのっけた味噌ラーメンにした。サッポロラーメン風のしっかりした黄色い麺で、思った通りのおいしさだった。私は小学生の頃、街にできたばかりの(それまではラーメンというと中華屋しかなかった)サッポロラーメン屋に、母に連れて行ってもらった時の味が忘れられないのです。その時食べたのが味噌ラーメンだったから、サッポロと言えば私は味噌だ。
秋田のササ坊(8月24日の日記の)がぶどうを送ってくれた。2箱も。りっぱな房が20くらいもある。どーしよう・・・早く食べないとだめになるし、クウクウの皆にくばってもまだあまってしまう。「ジャムと砂糖煮」という本をパラパラとめくっていたら、ぶどうジュースというのを発見した。明日作ってみようと思う。
晩ご飯のあとに、そのぶどうをいただいた。大きな粒ではなく、中くらいのがぎっしりと房になったぶどうだ。甘いだけでなく酸味もほどほどで味が良い。りうは「野性的な味。種のまわりの肉がプリッとして、さっきまで生きていたっていう味がする」と、うまいことを言っていた。おいしいおいしいと私たちはひと粒食べるごとにアッピールするが、スイセイは3粒ほどでもう残している。「オデはひと房食べるけえの」と、さっきは宣言していたくせに、きっと種が面倒くさいにちがいない。

●2002年10月8日(火)

ゆうべはスイセイが、背中をもむのとお灸をするのとを交互にやってくれた。右肩がかなり凝っているらしく、「ここにの、マルタイラーメンを束で入れてかき混ぜなかったみたいなのが固まっとるで」と言っていた。そしてぐっすりとひと眠りし、「終わりの蜜月」を読み始めた。淡々とした言葉の下にある沼みたいなのが、とても豪華で凄みがある。
昼過ぎに起きてからは、ずっと原稿書きの仕事をやっていた。やらなければならないことを箇条書きにしたものを、どんどん消しながら仕事を終わらせていった。なにしろ、いちばんやりたいのは本のための文章だ。来週1週間は、何も仕事を入れずに何の予定も立てずに空けておいてある。そこまでいきつくまでに、まだまだやらなければならない仕事が・・・ 晩ごはんは昨日の残りのいわしの塩焼きと、白菜と水菜をくたくたに煮たもの、マルシンハンバーグ、じゃが芋と大葉の味噌汁。なんとなく私は食欲がないと思ったら、7時くらいに玄米チャーハンと卵スープを食べたからだと気がつく。ごぼうとしめじ入りの、バルサミコ酢ナンプラーチャーハンだ。
明日はキッチンの撮影なので、早く寝るとしよう。

●2002年10月7日(月)

朝起きたら、左の背中がけっこうな重さで痛い。頭もぼんやりして低血圧な感じだった。ここのところの飲みすぎと、本にはまってパソコンまわりの仕事を根を詰めてやっていたからだろう。
2時からレタスの打ち合わせ。藤原さんが「おいしそうですねーそれ、いいですねー」とにっこり笑い、大きいえくぼができるのを見ると、なんか、体調の悪いのが吹き飛ぶ感じ。藤原さんは仕事熱心な娘で、打ち合わせの段階でいつもすべて頭に入っているし、レタスの読者の方々に、どうしたら料理を作ってもらえるかということに、ひじょうに真面目な人なのだ。人に癒されるというのは、こういうことを言うのだな。
4時からはクウクウでミーティング。話しながら、私はやっぱりこの子たちのことを好きなんだなー、と実感。なんというか、兄弟姉妹というか、べたべたするのがいやなので突き放そうとしているが、この子たちが大きくなるのを柱の陰からずっと見ていたいという感じだ。そしていつもだったら、ミーティングが終わったらばカウンターでぐだぐだと飲んだりするのだが、さすがに今日は帰って来ました。体が辛いし、なんか気持ちも繊細になりすぎてる気がするので。
帰りにおいしい魚屋さんで渡さんに会った。ドイツにロケに行っていたそうだ。私の大好きな番組、NHKドキュメント「わが心の旅」だ。私はとても嬉しい。自分の生き方を変えずに何十年もやってきた、飲んだくれの渡さんの歌のことを私もずっと好きで、日本中で何万人もの人々も好きで、たいせつに思われていて。
これを書いていて今思ったのですが、ここのところ私は自分のしつこさにあたったんだと思う。自家中毒という言葉があるが、まさにそれだ。
今日は、早めにご飯にして、風呂に入って寝てしまおう。スイセイが背中をもんでくれるらしいので。

●2002年10月6日(日)

クウクウの日。
いつもより30分早くに出掛け、パルコブックセンターに寄って、ランディさんの「セブンデイズ.イン.バリ」と「終わりの蜜月」を買った。「終わりの蜜月」は、今朝、朝日新聞の書評で高橋源ちゃんが褒めていたのを読んで、強烈に読みたくなったもの。大庭みな子のだんなさんが書いた介護日記らしい。なんてったって題名が良いではないか「終わりの蜜月」だって。
クウクウはなんだかすごく忙しかった。今日はいつもの日曜日と違って、遅い時間にわさわさとお客さんがいらっしゃった。くたびれました。
そして、仕込みの時に私は大失敗した。塩豚を使ったスープを仕込んでいて、水の量をレシピの2倍入れてしまった。しおりちゃんのレシピなので、気をつけながらていねいに仕込んでいたのに。私は今日、心が騒がしかったのだと思う。
今、スイセイが風呂から上がってきました。真っ裸でうろうろして、腕と胸の間に筋肉が出てきたのを自慢しています。最近スイセイはジムに通いだして2月たったのだ。確かに胸板も厚くなって、肩のところも少し盛り上がってきているような気がする。「腕の間になんかがはさまっている気がするんじゃけ」と、得意げなスイセイだ。

●2002年10月5日(土)

ゆうべから私ははまっています。何にかというと、本の原稿です。
頭がテンパッて、精神的に吐きそうになるくらい。そしてそんな状態で、文章もたくさん書いてしまいました。今、読み返したら「え?何これ」という感じ。誰がこんなもの読みたいかっという、下書きの下書きのような文章の数々だ。
夜、赤澤さんに来てもらって、この爆発度を訴えました。とりあえず、その混乱を赤澤さんに引き渡させてもらって、私はもうだらけます。風呂にゆっくり浸かって「エミールと探偵たち」でも読みながら、だらだらと寝ることにします。
夜ごはんは、春菊のおひたし、秋鮭の揚げたのをゆずしょうゆに浸けたもの根三つ葉のっけ、ゴーヤといんげんとしいたけの炒り煮、かにカマのマヨネーズ和え、めかぶ、大根の味噌汁、玄米。なんか、おかずまで複雑で混乱しているような。

●2002年10月4日(金)

ゆうべは「太陽」で大酔っ払いし、日置さんとじゃあねと別れてから、「太陽」の脇の自転車置き場のような所で酔いを冷まそうとしているうちに、寝転がって少し寝てしまった。そして、郁子ちゃんにもらったクラムボンの新しい C Dをウォークマンで聞いたりしたもんだから、大泣きしてしまった。叫ぶように泣いていたような気もする。「うおー、うおー」と。自転車にはさまれて、寝転がって泣いている中年の女だ。そしてスイセイに電話をかけた。家の電話番号をぽかっと忘れてしまい、ひじょうに苦労して電話をかけた。「スイセイ、私のことを好きか?」と甘えた声で何度も聞いたらしい。
やっとのことで帰ろうと思い立ち、タクシーのところまでフラフラ歩いていたら、若い男が寄って来て、「おねえさんだいじょうぶ?俺が車で送って行きましょうか」なんてナンパまでされました。ほっといてくれよー、ひとりでいい気分なんだからよーと男らしく言いたかったが、「だいじょうぶです。私には夫がおります」とお断りし、タクシーに乗って帰って来ました。もちろん吐きました。タクシーを止めてもらって、どっかの道路に。ごめんなさい。皆さまほんとにごめんなさい。スイセイにも今朝怒られました。「今までで最高の酔っ払い方だったで。それ以上いくと、ひとのことも自分のことも傷つけることになるから、気をつけなさい」だそうです。
そんなわけで、今日は3時からテレビの打ち合わせだったが、尋常でなく目が腫れているのですっかりバレてしまいました。「高山先生、酔っぱらって泣いて寝ちゃって、さっき起きたっていう顔ですねー」と。けれどがんばってビシバシとメニューを決めていきました。

●2002年10月3日(木)

クラムボンの郁子ちゃんとの対談のため「太陽」へ。
インタビューが始まる前に、ご飯を食べながらふたりでちょっと雑談しました。詩と曲とどっちが先にできるのか聞いてみたら、「曲が先。メロディーが言っているから、それをできるだけそのまんま言葉にする」と言っていた郁子ちゃん。私はいっぺんで好きになりました。あまり動かずに話をするその居づまい、低くゆっくりな声、美しく可愛いけれどそれだけでない表情。私より16歳も年下なのに、成熟度(自分のことをわきまえている)のようなのが私といっしょな気がしました。もしかしたら私より大人かも?とさえ思った。
夕方からみどりちゃんと待ち合わせて、そのまま「太陽」で飲みに突入。日置さんもとちゅうから加わり、丹治くんもやって来て、大酔っ払い会になってしまった。
「太陽」のアルバイトの女の子で見たことがない娘がひとりいて、あまり笑わない娘だしなんとなくとっつきにくかったから(私もけっこう人見知りなので)、話しかけないでいたら、実は私のファンでいらした。それで、緊張していたみたいだと別の娘から聞いて納得しました。そういう人って、人間としていちばん信頼できるんだよなと、私はつねずね思っています。「高山さんのホームページを学校で見るのが楽しみなんです。いろいろあったりごたごたあったりした時に読むと、落ち着くんです」というようなことを、皿を洗いながらひとこと言ってくれました。「今日はこれが言えたからよかったです」とも言っていた。ほんとうの人のほんとうの言葉というのは、胸を打ちます。
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撮影でした。わりと多いカット数の。
私は撮影の時、アドリブをけっこうだいじにしています。そして、その時々で使う素材の表情はいろいろなので、素材の変化を感じるには騒がしいと気が散るのです。今日の撮影は、スタート時点からあまりにも関係ないおしゃべりで盛り上がっていて料理に集中できず、しばらく我慢していたが、とちゅうでついに言ってしまいました。「皆が同じ方向を向いていてくれないと、私は料理が作れません。編集の方は、もっと仕切ってください」というようなことを。
もの作りの基本を忘れている方々といっしょに仕事をするのって、とてもくたびれるのです。良いページを作りたいがために、カメラマンも編集者もスタイリストも料理家も皆同じ気持ちで集まっている筈だと思うのですが。こういう時、有本さんや長尾さんだったらどうするだろう?と、私はよく考える。料理について真面目に、というか、食材について気持ちをおろそかにしていない人のことを。ほんと言うと私は、雑誌よりも料理人よりも何よりも、その辺で売られている野菜や魚や肉の方が、いちばん偉いと思っています。

●2002年10月1日(火)

夕方4時に起きました。
明日の撮影の仕込みやレシピをやらなければならないのだが、頭がぼんやりしてどうもやる気になれません。今、スイセイが釜揚げうどんを作ってくれている。ワカメ入りだ。おいしいうどんを食べたら、レシピをやることにしよう。
けっきょく、うどんを食べてから、本の写真のカラーコピーを見ながらぼやーと考えているうちにまた寝てしまい、11時に起きていろいろやった。にんにくチップスを作ったり、漬物を2種類作ったり。
夜ご飯、今日はなし。りうは自分で白菜と海老入り味噌ラーメンを作っていた。

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