2003年1月中

●2003年1月20日(月)快晴

撮影でした。
とんとん拍子に進んでゆき、4時にはすべて終わった。今日のはレシピもすべて決めてあり、変更がきかなかったので(カロリーや塩分が決められていた)、アドリブをきかせられなかったが。カメラマンは青山さんという女の人だった。たぶん、昔ダンチューかなにかの時にも、クウクウで写していただいた。さっぱりしてすごく良い感じの方でした。彼女の仕事のノリが私は好き。というか、声と話し方が好きだった。こういうことって、いくら仕事でも大事だと思う。動物的に、その人といっしょに過ごしていて、気持ちがいいか悪いかっていうこと。
正月に実家に帰った時に、私がまとめておいた本やらビデオやらが届いた。
昔の料理の本、父がテレビから撮ったビデオ「ビルマの竪琴」と「生きる」、漆のお椀、そして庭の夏みかんだ。
料理の本は、私が小学生の頃から家にあったもの。昭和30年代のものだ。ちゃんと見直してみると、これがすごくいいんです。昔だから、食材も調味料も少なかったのに、すごく工夫してあって、中華や洋風や朝鮮はもちろん、沖縄料理もあるし、「ロシア風鍋」なんていうのもある。どうやって家族の人たちを喜こばそうかしらと、そればかりを実直に考えている感じが、とても良いと思う。豊かだなーと思う。
夜ごはんは撮影の残り(野菜ものばかりで健康的!)がいろいろあるので、これから夏みかんでマーマレードを作ろうと思う。

●2003年1月19日(日)どよんとした曇り

ずっと寝ていました。夕方の5時まで。
布団に背中をぴったりつけて。私は落ちこむと寝こむんだなと気がついた。
毒を布団に吸ってもらっている感じ。獣がひとりで体を治すように、ずっといつまでも寝ていればいいのだと思いながら。
明日は大きめの撮影だから、いろいろ準備しなくてはならないのに、どんよりした気分。調子よくのぼりつめたり落ちこんだり、最近の私はいったいなんなんだろう。
だけどなんかカレーが食べたい。

●2003年1月18日(土) 曇りのち晴れ

今日というか昨日から、私はむちゃむちゃ元気みたい。やっぱり夢からエネルギーをもらったんだろうか。
朝から掃除をして、大量の買い物に行き、クウクウに荷物を届けてまた買い物。
その間、電話もたくさんかけた。私はふだん電話ってあんまりしないんです。
夕方から川原さんが遊びに来るので、なんか嬉しくていそいそとしてしまい、昨夜なんか牛乳寒天を仕込み、黒砂糖とはちみつを合わせて煮て、即席黒みつまで作った。
今夜のごちそうは、いんげんの油炒め、こんにゃくと大豆のにんにく炒め、にんじんの塩もみ、ごぼうの酢煮、煮豚、鮪のなかおち、しめ鯖、あんこうと豆腐のちり鍋、玄米餅の磯部巻き。デザートは、牛乳寒天小豆のっけ黒みつかけ。

●2003年1月17日(金)晴れ 夜は寒いが昨日よりはちょっとまし

「下田直子の刺繍」の本が送られてきた。みどりちゃんがスタイリングをしていて、バッグを持つモデルで私も手伝ったので。久家さんの写真がすんばらしかった。そしてそれは企画力というか、本の芯の考え方というものに裏打ちされているので、新鮮だけど浮ついていないのだ。もちろん下田さんの作品群はすごいが、そのすごさを伝えながらも、「皆さんにも作れるんですよ」という気持ちが、バッグの展開図や刺繍の刺し方の、親切な図を惜しみなく出すことで伝わってくる。これで1400円はかなりお買い得。
みどりちゃんの仕事の目の厳しさを知っている私は、こういう本ができたことが妹のように喜ばしく、すぐに「いいのできたねー、すごいねー」と電話し、喜び合った。
それからも興奮冷めやらず、下田さんの本をさかなにスイセイとトーキングで盛り上がり(番茶を飲みながら)、今朝スイセイが見た万葉集と言葉についてのテレビの話やら、家の死んだとうちゃんの話やらいろいろして、もの作りについての考えを交換し合う。気がついたら6時になっていた。
夜ごはんの鮭ごはんを電気釜で炊き始め、塩を炒っていたら、なんとなくどっぷりと疲れてしまい、そのまま布団にもぐり込む私だった。またその眠りが、久々に半睡眠の陶酔を味わった感じ。背中がじーんとして、電気ストーブの熱が真夏の太陽みたいで、体が溶けそうに眠りながらも、小説を読んでいるように、言葉が頭の中でつらつらと流れてゆくのです。主語も述語も完ぺきな言葉が。その言葉は遠くから聞こえてくるような感じ。どこかが覚醒しているからだと思うが、もっともっとその覚醒の方面を鍛えられたら、その物語を紙に書けるようになるかもしれない。その前に頭くるっちゃうだろうか。
そしてもうひとつは、夢自体とセックスをしているような、本当にとろとろの陶酔感を味わった。夢からエネルギーをもらうような感じ。いやー、気持ちよかっただ。
夜ごはんは、塩鮭と大根の炊込みごはん(長尾さんレシピの真似)、ハムとかぶの葉の塩炒め、大根おろし、ごぼうの酢煮、ニラとわかめの味噌汁には、冷蔵庫の中で忘れられていた、柚子の皮のカラカラになったのを入れてみた。「この意外な組み合わせがいいねー」なんて、りうがなまいきに言っていたが、ほんとにばっちりの組み合わせだった。
「きしきしして、歯がツルツルするみたいな歯ざわりだ。」と、酢ごぼうのことをりうが言っていた。たしかに、今回は酢が多すぎたかも。切り方も縦半割りはさすがに大きかったかも。本番の撮影では、酢を減らしてごぼうもさらに半分に切ろうと心に決める。

●2003年1月16日(木)晴れ 夕方からすごく寒い

はなまるマーケットで、私の塩豚が人気レシピの2位になったそうだ。去年の暮に放送したらしいが、私はぜんぜん知らなかった。超うれしい!だってそれは審査員とかではなく、視聴者の方々が決めてくださったのだから。
今日は塩豚のビデオを見直したりして、ひとりで興奮していた。
収録の時は風邪をひいていて、せき止めシロップを飲みながらがんばった。初めての番組だったし、言葉が出なかったりどもってやり直したりして、くらーくなっていた。そう、じとじとしたいやーな雨も降っていました。
あ〜、断らずにやっておいてほんとに良かった。「こういうことがあるから、初めてのことは何でも挑戦せんにゃだめで。」と、プロデューサーらしい意見をクールに言っていたスイセイだが、けっこう喜んでくれている様子。
夕方、連載の原稿を書き上げ、次の撮影のレシピまとめをし、どうしても読みたい本があったので街に出て本屋に行き、注文してきました。帰りに試作用の材料と夜ごはんの材料を買いこんだはいいが、どーしても1杯飲みたくなって、「晩酌や」さんへ。
ひとりでたて続けに焼酎お湯割りを3杯も4杯も飲み、おでん、鷄軟骨とねぎの塩炒め、ほうれん草のおひたしなどを食べ、9時半には帰って来ました。
大急ぎでごはんの支度をする私。鮭のムニエル(焼きトマトとバルサミコのソース)、カリフラワーのおひたし、おでん(お土産で買って帰った)、玄米。
今夜はりうが家の中を撮影するらしい(卒制のため)ので、さっさと風呂に入って、今日買った本「花降る日」有元利夫、容子著を布団の中で読もう。すごくたのしみ。

●2003年1月15日(水)快晴だが、夜になって今年最高の冷えこみ

ゆうべは朝までスイセイと飲んだ。ちょっと本のことで落ち込んでいたので、悩み相談みたいな感じで。
スイセイは、頭の後頭部をチョンチョンと撫でてくれながら、「みいのやろうとしとることは(本の中身のこと)、みいが死んでも遺伝子として伝わるけえ、だいじょうぶで。みいはしあわせじゃのう」と言ってくれた。その、遺伝子という所でグッときてしまい、ちょいと泣いてしまいました。
つまりこういうことだ。この間から私が思っていた、体は死んでも私の体の中にある、ぼわっとした熱いものは不滅だということと重なるのだ。そのぼわっとしたものの在り方って、遺伝子に似ているんだ。それを私が伝えることができたら、本を読んで共感してくれた人に伝わり、またその人から誰かに伝わり、子供や孫にまで伝わりという風に。具体的に言うと、料理に対する思いのことなんですがね。その思いって、実はもともと普遍的なものなんではないかなと思うのです。たまたま私が本を作らせていただく立場にあるから、私がチームリーダーみたいになっているけど、実はもともとたくさんの人の胸の中に、種のようにしてあるものなんではないのかな。これって、傲慢だろうか。それとも当たり前のこと? けれど私は、やっと最近それを実感したのだ。頭でなしに、体で感じたのです。
というわけで今日は二日酔いなので、昨日図書館で借りて来た本を、布団の中で読みまくっています。読書よ!ひさしぶり〜っていう感じで、しあわせです。けど、ほんとうは文章の締め切りがひとつあるのであった。明日締め切りなのです。
そういえば、成人の日なのですね。そして今日は「小正月」だそう。関西の方では「女正月」ともいって、正月のあいだ家の用事が忙しかった女たちが祝う日なんだそうだ。15日粥というのもあるらしい。昔は、小豆、ささげ、黍、粟、みのごめ、とろろいも、米を混ぜてお粥にしたのだそうだ。今は「小豆粥」といって、あずきと米とお餅のお粥を食べる日らしい。林家三平の奥さんは料理上手で本も出してらっしゃるが、林家さんちではそれに砂糖をふりかけて食べるんだそうだ。だけどそれを知ったのは、夜ごはんの後の布団の中でした。
イカとカリフラワーのにんにく炒め、大根葉と油揚げの煮浸し、とろろ芋、あさりたっぷりのスープ、玄米。

●2003年1月14日(火)快晴 すごく暖かく、長そでTシャツでも暑いほど

けっこう早起き(11時)して洗濯や掃除をし、1時からケイタリングの仕込み。
メンバーは、私のアシスタントのヒラリン、友人のマツナリ、柴田さん。開け放った窓から陽がサンサンとさしている中、バゲットを切り、春巻き2種を揚げ、黒いゴミ袋を切り裂いた即席シートを大テーブルにしきつめて、プチおにぎりをどんどん作っていった。スモークサーモンとディル、韓国肉みそと韓国のりの2種を、それぞれ150個あまり。そして、すばらしいチームプレイでどんどんできていくおにぎりは、ラップでかわいく包まれて、数をかんじょうしながら袋に収まってゆく。
「太陽バンド」→「はなれぐみ」→「オザケン」とBGMは移っていったが、オザケンがいちばん能率アップにぴったしだったように思う。
無言でおにぎりを握る柴田さんは編集者だし、マツナリもイラストレーターであり絵本作家なのだが、ばっちりのメンバーでした。「このメンバーでケイタリングチームができるねー。でも1日ひとり2万円は欲しいよね〜。」と私が強気で言ったら、「3500円でもいいからやりたい。料理覚えられるから。」と、マツナリは言っていた。謙虚だなー。
3時半にはすべて終わり、私を残して皆さんは銀座の会場へとタクシーで出掛けて行きました。ケイタリングは、なんてったって会場に運びこんでからがたいへん。その仕込みまでだったらなんとかできそうかもと、商売根性が沸いてくる私だった。

●2003年1月13日(月)晴れ時々曇り

昨夜は、試作しながらレシピをどんどん書いていった。終わったのは5時くらいだったかな。またしてもよく眠れない夜だった。なんでじゃろと考えながら、そうだ昼寝したからだと気がつく私。なんか、どこかが興奮してもいるようで、旅行先の時差ボケ状態だった。3時から森下が来て、明日のケイタリングの準備。
ディップをいろいろ作ったり、おにぎり用の肉味噌を作ったり、トルコ春巻きとベトナム春巻きを、ものすごいスピードでふたりして巻いたりして、なんだか楽しかった。
「トルコの女の人たちって、近所の奥さん連中が集まってこうして春巻き巻いたりするんだけど、巻きながらシモネタ話で盛り上がるらしいよ。ゆうべ旦那がどうだったとかいうすごい露骨な感じらしい。」と森下。「ステキ〜!」と即座に答える私。
夜ごはんは、春巻きの残りの海老と長ねぎで炊き込みご飯にした。鷄の唐揚げと、小松菜のお浸しと、麩の味噌汁。

●2003年1月12日(日) 快晴

昨夜もまた変な夢をみた。
体から何か灰色の汚物のようなものが、それこそ股からどばっと出て、なんと鼻や耳からもズルズルーッと棒状になって出てくるのだ。あー、これで私の体は死ぬんだなーという夢。けれど、なぜかそんなにいやな感じではなかった。気がぬけてとろーんとした感じ。
最近、ずっとよく眠れてないのだが、それは本の最終段階でちょっとごたごたしているからなのです。そして、この間も肉体が死ぬという夢をみたが、それもまた本のことに関係があるのではないかと、この間風呂に入っていてふと思った。
体が死んでも、この胸の肌の中にあるもの(何だろか?)は不滅で、朽ちるどころかぜんぜん元気。ますます衰えずにぼわっといつまでもずっとある、と実感した。たぶんそれは、今回の本の内容と同質のこと。私が今回のスタッフたちとやろうとしてきた、めくるめく熱い、ぼわっとしたことだ。
ちょっと抽象的だけど、体が本という形なのだと思う。
私たちの作った本を手に取って、その内容の「ぼわっ」について、伝わる伝わらないにしろ、本は本なのだ。体は体なのだ。たかが、という言い方はよくないが、たかが本だ。と、あえて言ってしまいたいような、今日はそんな気分です。
それでも、次の仕事の試作をどんどん作らなければならないのが、私の仕事。
まずはアサリとキャベツのパスタを作った。麺はおどろくほど少なめでキャベツがたっぷり。にんにくもたっぷりだ。これが、すごくおいしくできました。
今日はあと8品ほど試作する予定だが、夜中になっても間に合うので、今からちょっと昼寝します。

●2003年1月11日(土) 晴れ 夜もけっこう暖かい

鏡開きの日だから、ほんとうは今日がおしるこの日であった。我が家は、何も考えず、先週のうちにおしるこ食べてしまったが。しかも今年は、鏡もちを飾らなかった。
夕方の渋谷はものすごい人だった。そんなわけはないが、同じ方向に向かって歩いている大勢の人々が皆、これからAXに「はなれぐみ」を見に行くのではないか?と焦ってしまった。
ライブは、とんでもなく良かった。とくに、アンコールからがめちゃめちゃつまっていた。何がつまっていたかって?ひとことで言うとそれは愛です。
そして、同じ曲のところでお客さんは泣き始めた。待ってましたという所でほんとうにその曲「サヨナラカラー」が始まって、会場のあちこちではすすり泣きが。もちろん私も泣いたが、パブロフの犬状態で誘われ、そのままどんどん本腰を入れて泣けてくる。
そしてめきめきと明るい曲になり、「ジャマイカソング」のところでは会場のコーラスとバンドがハモッていた。あまりに明るくて、ここでいちばん私は泣いた。
大勢の人々の気持ちをつかんでゆく現場を、見せてもらった感じでした。
その曲順といい、アレンジといい、タカシ君は確信犯みたいだった。
そしてライブが終わってまた打ちあわせ。夜中3時に帰って来ました。
2日続けて太陽に行ったが、太陽のごはんセットってほんとおいしい。このセットを毎日食べていたら、とっても安心できるだろうという穏やかなごはんだ。若いお母さんが、外から帰って来る家族のために、夕方から準備して作ってくれているような味。



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