●2003年11月30日(日)雨
朝、パチッと目が覚めて、田舎に(リカといっしょに)帰ることを思いつく。
3時に家を出て、着いたのは7時過ぎでした。
新幹線で帰ればもっと早いのだけど、せっかくリカが節約して東京に出てきたので、私もそれに便乗したのだ。
ロマンスカーで小田原まで行き、小田原からは鈍行列車に乗った。
まずは、みっちゃん(双子の兄)とリカが二人で暮らしているボロ家(リカがそう呼んでいる。トイレは水洗ではない)に向かう。
みっちゃんは鍋を作ってくれていた。
私は、凍らせておいたあのすばらしい牛ステーキ肉の残りを1枚持ってきたので、塩胡椒(すでに混ざってるやつ)で焼いて、みっちゃんだけに食べさせる。
わけあって何年も奥さんと別居中の、仕事仕事でめちゃめちゃくたびれているみっちゃん。
日曜日もなく働き続け、クライアントに文句を言われながらも、それを腹の底に沈めて頑張っているみっちゃんに、この肉を食べさせてやりたかったのだ。
食べたとたんに「ぐっ」という変な声が出て、「溶ける〜〜、うみゃあ〜〜」とみっちゃんは大声を出し、上半身を揺らしていた。
舞茸、しめじ、春菊、白菜、ねぎ、黒はんぺん、しらたき、鮭、肉だんご、鮭の白子(どっさりで200円だそう)の鍋だった。
鍋の素のスープだし、肉団子はつみれみたいなスーパーのだし、春菊はくたくたに煮えているし、薬味もなんにもない鍋。
「鍋はいいねー、野菜もいっぱい食べられるし、簡単だし、明日の朝は雑炊ができるしねー」と、口々に言い合いながら3人でふーふー言いながら、はーはー言いながらおいしく食べる。
そして夜11時くらいに、みっちゃんに送ってもらって実家にやって来た。
前回帰ったのは、2月くらいだったかな。
その時はまだ古い家を壊している最中(この時の写真がスイセイのホームページの扉に使われています)だった。
それが9月に新しく建て直って、私はそれから帰ってなかったから、新築の家に初めて帰ったというわけです。
敷地内は半分が駐車場になり、小さなアパートもできていて、実家は今まで借家があった場所に建っていた。
母はすでに寝ていたので、コソコソとあちこち探検する。
すべてが新しいので、家の中の方角がまったくわからない。
方角どころか、トイレに行くのもいちいち考えて思い出して行く感じ。
夜中に小腹が減って、階段をコツコツと降り台所に行くと、焼きそばがお皿に入っていて、鍋のフタがしてあった。
なんでこうなるんだろうというくらいに、麺が2センチ長さにちぎれている。
おいしくないんだろうなーと思いながら、恐る恐る食べてみた。
醤油ともソースともいえない薄味で、桜エビとおかかと紅しょうがが混ざって炒めてある。
そう。まさにこれが、子供の頃さんざん食べ飽きた母のやきそばの味なのだ。
私はこの味をすっかり忘れていた。
というか、どこかに押し込まれていたのが、食べたとたんにずるっと出てきた。
とてつもなく懐かしく、おいしかった。
益々お腹が減り、炊飯器から見たこともない茶わんにごはんをよそり、真新しい冷蔵庫を開けてキムチを取り出す。
見慣れない台所で、きょろきょろしながらひとりキムチごはんを食べる私。
2階では母が寝ているが、ドアはバタンと閉じてあるし、古い家って、そういえば(造りが)開放的だったんだな。
誰が今風呂に入っているか、誰が今電話で誰と話しているか、空気で分かったもんな。
家はすばらしくきれいになったし、実用的になったみたいだけれど、そういうのがなんだか淋しいな、なんて夜中の台所で思った。
布団に入って、やっとひと安心した私。
ただひとつ、布団の匂いだけが昔のままだったんです。
少しだけ黴くさく、少しだけ重たい布団。
私が高校生の時に使っていた黄緑色の毛布。
シーツをめくって布団の柄を見ていたら、遥か30年前の中学時代の思い出が。
死んだばあちゃんのことや、父のことが・・・。
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