2004年1月下

●2004年1月31日(土)青森は晴れっぽい曇り

9時15分に起きて、10時にフロントに集合し、弘前駅へ。
コーヒーを飲みながら、今日の予定を決める。
るみこちゃんは、このまま岩手に取材なのでここでお別れだが、倫子姉弟と一緒に、私は津軽方面に小旅行です。
短い時間だったけど気持ちは合宿状態だったので、るみこちゃんと別れる時に、ほんの少し泣きそうになる。
そして私たちは3人で、五所川原行きの電車に乗る。
弘前駅から少し走ると、すぐに景色が変わった。
五所川原駅から、ストーブ列車というのに乗った。
一面の雪景色と、ぽつんぽつんと立っている電信柱が、宮沢賢治みたいだ。
ストーブ列車は、「映画で使われることがありそうやね」と倫子ちゃんも言っていたが、本当にそんな感じだった。
作り物みたいにそれらしい雰囲気たっぷりなんだけど、昔から地元の人々に利用され、実際に使い古され、手垢が黒光りしている様な本物の列車だった。
ストーブでは、乗客がするめを焼いていて、炬燵を囲んでいるみたいな和気あいあいした空気。
写真を撮っているお客さんがたくさんいることを除けば、観光の列車ではなく、交通の手段のためだけの列車という感じだ。
だから列車が観光客に負けてなくて、写真を撮っている人があちこち歩き回っていても、ちっともいやな感じがしなかった。
太宰治の斜陽館がある駅で、たくさんの人が降りた。
終点に着いて、タクシーで湖の方へ行く。
食堂まで行ってもらって、しじみ汁の定食を3人でおいしく食べ、てくてくと雪道を歩く。
雪は降っていなかったけど、確実に弘前より雪が深かった。
倫子ちゃんは写真を撮っていた。
弟を連れて、どんどん向こうの方に歩いて行く倫子ちゃん。
立ち止まっては写真を撮っている。
撮るつもりはなかったんだけど、暇だから私も写真を撮ったり、雪の上を足踏みして跡をつけたりしてゆっくり過ごす。
さっきの運転手さんに電話をして、タクシーで迎えに来てもらう。
運転手さんも、映画に出てきそうなおじさんだった。
けど役者さんではなく、実質的にタクシーの運転手を長年やっている、ただの本物のおじさんだ。
またストーブ列車に乗って、五所川原に帰り、バスの待ち合い所のスタンドで、倫子ちゃんと熱燗を飲む。
しつこいが、このスタンドがまた、映画に出てくるような風だった。
「寅さんに出てきそうやな」と、倫子ちゃんも言っていました。
私は、旅をしながら、どんどん倫子ちゃんを大好きになり、気がつくとまた倫子ちゃんの右腕と私の左腕がくっついていた。
そんな風にしてまたバスに乗って空港に着き、飛行機に乗って帰って来ました。
家に着いたのは、12時近かった。
スイセイと、懐かしい気持ちでそれぞれの2日間の出来事を静かに報告し合い、風呂にも入らずに、顔だけ洗って寝た。

●2004年1月30日(金)青森は曇りがちの晴れ

朝7時半の飛行機に乗り、8時半には青森空港に着く。
タクシーに乗って初女さんの家に行くが、メーターを見たらお金はたいした額ではなかったから、距離はそんなに遠くはないんだろうが、とても時間がかかった感じがした。
雪で道路が凍っているから、ゆっくり走っていたんだなと、後で気がつく。
玄関が開いて、お手伝いのおばちゃんたちが迎えてくれて、最後に初女さんが出て来た。
とても美しい人で、まずそれに驚く。
紫色の綺麗な着物を着ていて、髪もうっすら紫に染めている。
着物や髪の毛や口紅の色具合が、肌の色にとても合っていて、洒落た方なんだなーというのが最初の印象でした。
お話を聞いたり、初女さんが昨夜から用意しておいてくださった朝ご飯をいただく。
そして、台所に入って調理実習。
ごめんなさい。
私はまだここには何も書けません。
これから私は、その時あったことをクウネルに書くのが仕事なんですが、書き始めるまでに、何日かかけて想いを発酵させなければならないんです。
本当は、この日記にも書けなければだめなんだけど、書こうと思うともっとぐっと集中しなければ、書いては申し訳ないような感じなんです。
だけど、どんなでも、本当は書かなければならんのだが・・・。
とにかく3食しっかり、初女さんの料理(もちろんおにぎりも)をご馳走になって、取材がすべて終わってホテルに帰ったのは、7時くらいだったろうか。
倫子ちゃん、圭介君(倫子ちゃんの弟。今回はアシスタント君をやっていた)、るみこちゃん(クウネル編集)と4人で、ホテルの飲み屋にて軽い打ち上げ。
最初にビールを飲んだんだけど、私はあまりに腹がいっぱいで、胸もいっぱいで、ゲップをしたら口から出てきちゃいそうなほどだった。
なので、2杯目から焼酎に切り替える。
2合くらいを、ちびちびとゆっくり飲む。
何時間くらいいたのだろう。
私は大好きな人たちに囲まれて、とても贅沢な気持ちでゆったりと飲んだ。
時間がゆっくりと過ぎてゆく感じ。
朝、飛行機に乗ったことなど、もう1週間も前のことだったような、それを思い出すとちょっと眩暈がするような。
けっこういい感じにへべれけになって、それぞれの部屋に帰り、風呂に入る。
風呂に入りながら、(え?、ここは何処だっけ。何で私はここにいるんだっけ?)状態になった。
風呂から上がり、いつものように窓を開けたかったが、少ししか開けられないんだね、ホテルというのは。
7階の窓から見えたのは、雪も積もっていて、山に囲まれた街並みの夜の景色で、やっとここが青森だということを思い出した。

●2004年1月29日(木)晴れ、暖かい

ちよじの引っ越し。
私は手伝わない。
明日の青森行きのために銀行に行ったり、スケッチブックや帽子を買いに行くので。
帰りにクウクウに寄ったら、マスターとリーダーが二人だけで片づけをやっていた。
リーダーは、ずっと毎日来てくれているらしい。
後片づけは給料なしのボランティアだそうだが、リーダーって本気でクウクウのことを想っているんだ。
事務机みたいなのに座って、何か細々とした物を整理していたが、その小さい背中を見たらちょっと泣けた。
「えらいね、リーダーは」と私が言うと、「いやーぜんぜん。たいした事やってないし、ヤノ君も掃除に来てくれたんだよ」なんて頬っぺたをピンクにして言っている。
私は人間関係について、自他ともに認める薄情な女だが、リーダーみたいな人間を見るとグッとくる。
信じられるなーと思う。
クウクウは、ついにこの31日で引き渡しだ。
何もないクウクウには、未練はないけれど、なんだか、14年前クウクウを始める前の工事中の時に、ちょくちょく様子を見に来た時のことを、少し思い出した。
帰ってから、初女さんのお土産にする黒砂糖のケーキを焼く。
夜ご飯は、塩鮭、白菜と水菜の炒め煮(ごま油、酒、ナンプラー)、納豆、カマ大根(昨夜の残り)、豆腐の味噌汁、玄米。
明日は朝が強烈に早い(5時半に家を出る!)ので、8時にご飯にして、早めに片づけ風呂に入る。
ちょっと私は、かなりドキドキしています。
明日の午前中には弘前に着いて、初女さんに会えるのだ。
早く寝よう・・・。

●2004年1月28日(水)晴れ、とても暖かい

ベーコン入りのチーズトーストとミルクティーは、ちよじと私。
スイセイは昨夜のカレー。
それぞれの朝ご飯を3人で食べる。
朝と言っても、わが家の朝ご飯は時間的には昼なんですけどね。
そして昼ご飯は4時くらいに軽く食べ、9時に夜ご飯という時間割り。
2時からは、別の本の打ち合わせ。
いい具合に進んで、本の柱になるものが、かなりすっきり見えてきました。
昼ご飯は、昨夜試作で作っておいた海老のスープに玄米を少し入れて、チーズをのせてオーブンで焼いたもの。
これを3人で分けて食べる。
ちよじはいよいよ明日が引っ越しなので、荷物をダンボールに詰めたりしている。
よくもこんなにたくさんの荷物が、ひと部屋に収まっていたもんだという、なかなかの量に驚く。
ちよじは整理上手なので、いつも部屋の中はスッキリして、いない時と変わらないくらいだったんです。
おいしい魚屋さんに久々に行き、ぶりカマのおいしそうなのを買ってきました。
八百屋さんで大きな大根と、アサツキも買った。
夜ごはんは、ぶりカマ大根、カンパチのお刺し身、大根と切り昆布のしょうゆ漬け、アサツキのぬた(「晩酌や」さんの真似をして、辛子多めの甘すぎない酢みそで)、明太子、小松菜と麩の味噌汁、玄米。
カマ大根がとてもおいしくでき、スイセイもちよじも喜んでくれました。
これは私の料理の腕前なんかではぜんぜんなくて、カマが新鮮だったからだと思う。
切り口も皮の表面も、本当にピカピカしていたもの。
あと、冬の大根もずいぶん太っていてみずみずしかったのを、今日買ってきて、今日使ったからだと思います。
アサツキのぬたも大好評だった。
久々にちゃんとしたご飯を作れて、ちよじもいっしょに食べられてよかったな。
家での居候生活は、今日で最後だから。

●2004年1月27日(火)晴れのち曇り

午後からは図書館に行く。
サン・テグジュペリについてのおもしろい本「星の王子様 最後の飛行」、を昨夜読んだので、とても何かがひっかかっており、とりあえず「星の王子様」を借りてきた。
中学3年の時に、いたく感じながら読んだものだが、また改めて読んでみようと思って。
何かがひっかかっているのは、テグジュペリが飛行機を操縦している時の、空からの視線(その時の心持ち)というものについてだ。
日常的に空に飛び立って、国境もなく、人間の諍いの世界とは遥か遠い場所から、下界を眺めるというのはどういう感じなのだろう。
しかも地上から浮いている不安定な気持ちは、いつ死んでもいいというような気持ちも含まれているかもしれない。
いちばん借りたかったのは、「人間の土地」という小説だ。
まさに、その心持ちを言い当てている小説なような題名だと思ったので。
けど、貸し出し中だったのです。
「宮脇綾子アプリケの世界」も借りてきた。
クウネルで記事を見てからというもの、ちょっとすごいばあさんだなと思っていたので。
最初のページに、「制作の時の心得」というのが書いてある。
1. あっと驚く(いいものを見て感動する)。
1. 自然をよく見る。でもそれにとらわれない。
1. 日常見なれているものを、もう一度よく見直す。
何ページか作品の写真があって、また「制作の時の心得」があった。
1. 美は真似るものでなく、自分で見つけ出し創り出す。
1. 巧くやろうと思うな、唯、全力を尽くせ。
1. 世の中に同じようであって、同じものは二つない。
1. 作ることより知ることが大事。
野菜や魚たちは、これだけじっくり宮脇さんにみつめられ、ひらめいた布で大事にアプリケされ、布の上でいきいきとしている。
初女さんの料理と同じだな、と思いました。
宮脇さんのインタビューも載っていたので、これから読むのがとても楽しみだ。
夜ごはんは、ひき肉、大根、筍、そら豆のカレー(バターで炒めて、ルーが少なめの生クリーム入りにした。冷蔵庫の野菜整理作戦だが、そら豆がとてもおいしかった)、にんじんとキャベツのコールスロー。
スイセイとちよじは、カレーをとても喜んでくれた。
バターで炒める時、雪印のバターにしたら、戦後の料理上手のお母さんの匂いがした。
宮脇綾子さんの本を見ていたから、こんな洋食チックなカレーが作りたくなったんだと思う。

●2004年1月26日(月)快晴

スキップの撮影。
スキップさんの、おいしい野菜を料理する幸せ。
撮影は8品ほどなんだけど、6品目くらいから私はガンガン元気が出てきてしまい、あと10品くらいはアドリブで作れそうな勢いだった。
しおりちゃんが和楽を連れて遊びに来たので、抱っこしたり足の運動をしたり、じろじろみつめたりしていろいろにいじり、和楽欲も満喫した。
夕方からの打合わせに備えて、ぐっと集中して1時間ほど昼寝。
起きてみたらまだ外が明るくて、嬉しかった。
6時からは赤澤さんと、引き続いて7時半からは丹治君、みきちゃん、そして今回の本のカメラマン、新居さんもいらっしゃる。
とりあえず白菜とベーコンをくたくたに煮ておいたが、新居さんの顔を見たら、また次々と料理を作ってしまった。
メニューは、玄米おにぎり(豚そぼろひじき混ぜ。海苔を自分で巻きながら食べる)、キャベツとクレソンと水菜のサラダ、スモークサーモンとまぐろ刺し身のマリネ(わさび、薄口しょうゆ、白ごま油)、煎り銀杏、カルビーの堅揚げポテト。
りんごを剥いて、剥いたそばから皆で食べ、烏龍茶の新茶(みきちゃん台湾土産)を飲んで、解散となる。

●2004年1月25日(日)快晴、風もなく暖かい

洗濯ものを干していたらポカポカと暖かいので、朝ご飯も食べずに自転車に乗って、本屋さんに行く。
参考のために、料理本を3冊買った。
スケベ本のコーナーに女の子がたむろしていて、キャーキャーとしていたのは、いったい何だったのだろう。
「やっぱ秋吉久美子にする?」とかって言いながらヌード本を選んでいて、けっきょく買わなかったみたい。
男の子の目を意識しながらの行動らしいが、男にとってはただの迷惑なんではないかな。
お客さんのおばさんと本屋のおにいさんが、「七転び八起き」という本を捜していて、「ありませんね、おかしいですねー」と言っているのを耳もとで聞きながら、佐野洋子さんの新刊を捜していたんだけど、「七転び八起き」を、私はみつけてしまった。
「あっ!」と、つい声が出て指さしてしまい、捜していたお二人にはお礼を言われたが、私はひじょうに恥ずかしかった。
トランプの神経衰弱とか、かるたとりみたいに頭がなっていたのだ。
佐野さんの本はみつからず、明日の撮影の仕入れをして帰ってきた。
今日の夜ご飯は、ずっとスイセイに作ってあげたかったものを作る。
カキフライに千切りキャベツたっぷり添えの予定だ。
作りましたカキフライ。キャベツの千切りにはクレソンも混ぜた。
れんこん、アスパラ、豚ロースのオイル炒め蒸し、長いもの味噌汁、玄米。
ちょっとずつ残った野菜の、冷蔵庫整理メニューであった。

●2004年1月24日(土)曇り時々晴れ

昨夜の上海料理は、やっぱり私にはきつかったみたい。
火鍋という、辛くて香辛料のいろいろ入った(八角、クローブ、山椒、月桂樹、肉桂、その他見たこともない実みたいなのも入っていた)鍋で、羊肉やら空芯菜やらをシャブシャブにした。
朝、胃の中がカーッと熱くて、重たかった。
そして、ちょっとだけピーピーだ。
食べている時には珍しくて美味しかったんだけど、普段食べているわが家のご飯がいかにおとなしいかということを思い知らされました。
そして、夢がまた疲れる内容のものだったんです。
大都会の空を、飛んで逃げ回る夢だ。
なぜか女相撲の団体に私はつけ狙われていて、私は相撲はやりたくないし、その団体は殺人やらいろいろな汚いことをやっている組織なのだ。
街のあちこちに組織の人がいて、非情な勢いで追いかけてくる。
一応は空を飛べる私なのだけど、低いところまでしか飛べなかったり、飛んでるうちに下降してしまったりするので、ずっと力が入っているような夢。
たぶん昨日の上海料理家さんの、トイレがあった場所のイメージが体に染みついていたんだと思われる。
そのトイレはベランダにあった。
ベランダと言っても軒下のように狭い所で、ビールの空き瓶なんかが積み上げてあり、なぜか金網に覆われていた。
鐘網の目の前は、飲み屋街の横丁の、赤や黄色や黄緑のネオンだ。
そしてガヤガヤと人の声がする。
私は空を飛びながら、そういう軒先や、ビルの屋上の排気口の脇なんかで羽を(ほんとに羽があった)休めてはまた捕まりそうになり、ちょっと仮眠してまた飛び立つという夢をみていた。
ふー、だからほんとに疲れた。寝た気がしなかった。
頑張って起きて風呂に入り、目を覚ます。
11時から撮影。
春野菜を使ったパスタを7品ほど。
カメラマンさんもスタイリストさんも、編集さんも皆女ばかりで、光も柔らかく、いい空気の撮影でした。
すべて野菜をいかしたパスタだったし、調味料もシンプルでとてもおいしくできた。
6時からミュージックフェアでタカシ君を見て、昼寝。
8時半に起き、白菜と大根入りのカレーうどんを作って、ちよじとスイセイと3人でおいしく食べる。
昨夜の新宿コマ劇場あたりの街は、なんだか怖かった。
駅の出口あたりに、色の黒い、パサパサした髪形の黒い服を着た男の子がたくさん立っていて、最近はああいう人が流行っているのかと思っていたら、どうやら彼らはホストさんらしいことが分かった。
皆まゆ毛を剃っていて、化粧っぽい顔つきで、透き通ったフレームのサングラスをしているか、手に持っている彼ら。
終電間際に帰って来たのだが、酔っ払いのおじさんたちも束になって勢い良く歩いているし、女の子たちは簡単にナンパされてるし、ホストさんたちの数も増え、(こういう所で火事があったり、殺傷ざたがあったりしても当然なのかも・・)と思った。
何か、皆が自分というものに自信があって、やけに堂々として歩いているんだけど、それはお酒の力を借りてそうなっている、というようなきな臭い感じ。
私は何度も肩にぶつかったり、鞄にバーンとぶつかったりしながら、スイセイにつかまって帰って来ました。
だからあんな夢をみたのだな。
相撲の組織は、新宿の街の象徴なのだきっと。

●2004年1月23日(金)快晴、とても寒い

2時からは打合わせ。
みどりちゃんにも久々に会えた。忘年会以来だ。
毛糸の帽子に、モコモコとした温かそうなコートを着て、「ソビエト崩壊後みたいな格好ですね」と有山君につっこまれていたみどりちゃん。
4時半には解散し、私は明日の撮影の仕入れに行く。
そして休む間もなく新宿へお出掛けだ。
今日は、アノニマ・スタジオのオープニングを手伝ったメンバーで新年会なのです。
それでは行ってまいりまーす。

●2004年1月22日(木)晴れのち薄曇り

今日はキッチングッズとキッチンの撮影。
自慢のフィスラー圧力鍋で玄米を炊き、豚肉と香菜の玄米チャーハンを作る。
フライパン自慢で、れんこんも焼いた。
皮つきのまま厚めに切って、じっくり焦げ目をつけ、塩と黒こしょうだけ。
昨夜のおでんもお出ししたら、スタッフの皆さんは喜んでくれました。
今は、キッチンのいろんな箇所を撮影しているので、私の出番はもう終わりだ。
なのでこれから、料理教室の生徒さんたちの、卒業制作の寸評を書こうと思います。
ところでこの圧力鍋だが、3年ほど前にスイセイが拾ってきたんです。
新品のものが箱に入って、マンションのごみ捨て場にあったんだそう。
それまでの私はセブの圧力鍋を使っていたが、フィスラーでやってみたら、すばらしく玄米がおいしく炊けたので、パッキングを交換しながら毎日だいじに使っています。
デザインもシンプルで丈夫だから大好き。さすがドイツ製だ。
撮影は2時には終わり、生徒さんの料理レシピの感想を書いているうちに、どうしても食べたくなってしまったもの。
それは、ある生徒さんが自宅で頻繁に作るという、「カレーのカリカリ」という料理だ。
じゃが芋を千切りにし、わざと水にさらさない。
フライパンに油をひいてカレー粉を加えつつじゃが芋を炒め、ナンプラーで味つけをして耐熱皿に移す。
かつおぶし、パン粉、粉チーズ、ちぎったバターをのせてオーブントースターでカリカリに焼くというもの。
それを再現して作り、出来立ての香ばしいところをかっこむ幸せ。
ひとり暮らしだったら、夕飯はこれとビールだわさ。
テレビを見ながら、だらしなく食べるのに最高だろう。
私はじゃが芋3個で作ったが、耐熱皿をかかえて食べる女ひとりの幸せを感じました。
残ったら、明日のお弁当のおかずにするだろうな。
カレー粉は、S&Bの赤い缶というところも気に入りました。
彼女はこれを紹介する時、「こんな、料理なんて言えないショボイものなんですが・・」と、たいそう謙遜してらしたが、皆が本当に食べたい料理というのは、こういうものではないかと私は思う。
ちょっと向田邦子さんにも通じる料理だと思うが。
お腹もいっぱいになり、昨夜の飲み疲れが出てきたので昼寝。
「今夜はご飯を作らなくてもいいか?」と聞くと、「ええで。今日は怠けたらええ」とスイセイが優しいので、10時まで寝てしまった。
起きてすぐに、葱とワカメをたっぷりのせて、ラーメンを作ってやる。
これはスイセイ用。
私は腹が減らないので、夜ごはんはなしにした。

●2004年1月21日(水)どんよりした曇り

4時から打合わせ。
「翼の王国」という、飛行機の機内誌の連載を4月からやることになったんです。
いつも飛行機に乗ると、隅から隅まで読みこんでいた大好きな雑誌だったので、とても嬉しい。
しかも斎藤君(「高山なおみの料理」のカメラマン)とやれることになったのが、益々嬉しい。
とちゅうから編集長もいらっしゃって、ごはん会になった。
メニューは、昨夜から煮込んでおいた自慢のおでん、スペアリブと昆布の波照間風煮込み、蕪の葉とクレソンのおひたし(ごま油、塩、黒こしょう)、白菜の芯をスティックに切って味噌マヨネーズ添え、白菜の葉とサニーレタスとディルのサラダ(かつおぶし、レモン汁、しょうゆ、白ごま油)、銀杏の塩煎り、玄米のひと口おにぎり(韓国のりで)。
編集長さんはおじさんなので、最初私はちょっと緊張していたが、その食べっぷりの良さに感激し、どんどん楽しくなっていった。
話が分かる頼りがいのある兄貴っ! という感じの方で、「何でも好きにやってくれればいいよ。やりながら冒険していけばいいんだからな」なんて太っ腹なことを言われ、たいそう安心しました。
彼は若き頃、「ポパイ」の創刊号から携わっていたという、ベテラン編集者さんだ。
たぶん業界ではとても有名な方だと思われるが、奥さんや子供の話をする時には、普通のおじさんみたいな顔になっていらした。
素敵だなー。
編集さんたちが帰ってから、久々に斎藤君とも飲んだが、何で私はこの人の写真が好きなのだろうというのが分かった気がした。
それは、斎藤君が私の料理に向かってカメラを覗く時の、見方のことだ。
自分の写真についてあまり話したがらない斎藤君だけど、こんなことを言っていた。
「俺、覗いてる時、たとえばグラスをじっと見ているうちに、これは何だろう? って分かんなくなっちゃうんすよ。頭では分かってるんだけど、別のもんに見えてきちゃって」。
言葉では把握していなかったけれど、私は斎藤君との撮影のたびに強く感じていた何かが、やっと分かりました。
喩えて言うと、バカの人みたいなのだ。
バカの人がひとつのことに夢中になっている時の、一途な集中力みたいなのを感じるんです。
被写体に対して、いつまでも慣れることがないという。
その迫力が、写真にも映りこんでいる。
スイセイは斎藤君の写真の撮り方を想うと、「念写」という言葉がいつも浮かぶのだそうだ。念力で映し撮るみたいな。
斎藤君はいつも箱形の大きなカメラで撮るんだけど、いちばん良い瞬間を逃しはしないそのシャッターの押し方が、私には「発射」に見える。
ドッピューン、射精のです。
私は私で、料理をしながら野菜の姿に惚れ惚れしてしまう時がある。
姿を生かそう、できるだけいじらずに・・と思うので、斎藤君のカメラを覗いている様子を見ると興奮する。
触発されて、ますます目が純粋になる。
というか、私の目が斎藤君の目玉になるんです。



日々ごはんへ めにうへ