2004年9月下

●2004年9月30日(木)快晴

台風一過の日本晴れ。
まだ疲れがとれない気がしていたが、あまりの天気の良さに、10時半に跳ね起きる。
布団干し、たまっていた洗濯、掃除をして、また九州日記の続きを書く。
私も佐藤さんも「晴れ女」のおかげか(カメラマンさんも晴れ男だというのが、最終日に分かった)、偶然天気には恵まれた。
台風の被害をニュースで見ながら、本当にありがたく思います。
1日ずれていたら、当然帰って来られなかっただろう。
黒酢の取材の時なんか、屋内で説明を聞いている時はしっかり降っていたのに、雨が止んだばかりか青空まで出てきて、太陽が眩しいほどだった。
「くるりが来とるで」と、スイセイが不思議そうに言っていたが、それはくろず(黒酢)の宅配便だ。今朝、届いたのです。
NHKの連続ドラマ、田中裕子が出ているせいもあるけれど、ずっと気になっていてお昼に初めて見た。九州の宮崎の話だし、焼酎だし。
何か、一気に九州が近くなった感じだな。
前に新潟に取材に行った時も、初女さんに会いに青森に行った時もそうだった。
お昼に冷やし中華を作り、キムチ、ワカメ、ゆで卵をのせて冷麺風にする。
そこに黒酢をちょっと加えたら、とても大人っぽく、おいしくなった。
物販所で買った切り干し大根(3センチ幅くらいの、きしめん状)は、昨夜もどして、塩でもんで漬物にしておいた。
酢やしょうゆや酒を加えようかと思っていたのだが、大根自体が肉厚で、甘みも辛みもある、ひなびたおいしい味だったので、塩でもんで昆布とみりんをちょっとだけ加えておいたのだ。
それが、とってもスイセイ好みの味になっていた。
7時までかかって日記を書き上げる。
恐ろしく長いものになってしまった。
夜ごはんは、枝豆、茄子と豚こまの味噌炒め、水菜のお浸し(黒酢じょうゆかけ)、干し大根の漬物、大根の味噌汁(柚子こしょうを天盛りに)、玄米。

●2004年9月29日(水)雨、肌寒い

ぐっと疲れが出て、2時まで寝てしまった。
家のせんべい布団に寝られる喜び、隣にスイセイが寝ている喜びを味わいながら、目が覚めては寝くさっていた。
4時より藤原さんと打ち合わせ。
3品なので、ささーっと決まった。
6時からは吉祥寺のギャラリーで打ち合わせ。
夜ごはんの材料を買ってバスに乗ったが、路線が違うのに乗ってしまった。
角を曲がって、ずいぶん走った所で気がついた。
荷物を持って土砂降りの中を歩くのはあまりに辛いので、そこからタクシーに乗って帰って来ました。
夜ごはんは、こんにゃく(物販所で買った。老人クラブ連合会の松田シゲさん作)の炒り煮、めだいの煮付け、タコの刺し身、ニラと豆苗の塩炒め、落とし卵の味噌汁、玄米。
豆苗は、切り落とした根っこを、また水栽培にしてみた。
夜は、旅行中の日記をひたすら書く。
くらりと体が揺れるような、脳が揺れるような感じになったので、続きは明日やることにする。
風呂から出たら、ゴミ教室だ。
10月からゴミが有料化になるし、出し方も今までと変わるので、スイセイが先生になっていろいろレクチャーされる。

●2004年9月28日(火)曇りのち雨、時々晴れ

7時半に起きて、ざぶんと温泉に浸かり、目を覚ます。
佐藤さんは、もうとっくに起きていらしたみたい。
朝ごはんは、牛乳、卵焼き、豆の甘煮、サワラの照焼き、切り干し大根の含め煮、茶わん蒸し、納豆、小松菜のお浸し、味噌汁、ご飯、漬物。
9時に宿を出て、地元農産物の物販所へ。
大根やらきゅうりやら何でも新鮮で、里芋など折り口がまだ白々として、朝掘ったばかりなのが分かる。
しいたけ、サツマ芋、赤目芋みたいな大きい芋など、どれもビニールぱんぱんに入って、100円とか150円とかで驚いてしまう。
店の中に入ると、ふくれ菓子という蒸しパンみたいなものが、ほかほかで並んでいた。
黒砂糖、ココア、小豆、よもぎ(ものすごい緑色だった)と種類も豊富だし、笑っちゃうでっかさと、いびつで大らかな形だ。
ゆでた蕎麦や、弁当、のり巻き、おこわ、いろんな餅菓子も売っている。
餅菓子は、柏餅みたいに何かの葉っぱでくるんであるが、柏の葉みたいに緑色ではなく、ちょっとくすんだ黄土色で、とってもシックな色合い。
肉桂の葉(細長くて小さい)に包まれているのもあった。
有名店の真似とか、流行りとかとは関係なしに、地元にあるだけの素材の中で工夫して、受け継がれ、作り続けられた食べ物って、そのデザインにグッとくることがある。
頭だけで考えられたのではなく、そのデザインにはちゃんとした理由があるから、浮ついてないし、芯に図太いものがある。
食べ物だけでなく、私は、何においてもそういうものが好きなのだなーと思う。
いろいろと買い込み、関平鉱泉(胃腸病や肌の病気に効く水。最近とても有名で、地方発送もしている)の試飲所で、スタッフたちを待つ。
プラスチックのコップで自由に飲めるようになっているので、私が待っている間にもいろんな人たちが出入りしていた。
じいさんもばあさんも、おじさんもおばちゃんも、グーッと飲み干すと、ッアーとかッハーとかって、ビールを飲んだ後にサラリーマンが出すみたいなため息をついては、何か喋りながら元気に出て行く。
中には、空のペットボトルに水を詰めているおばちゃんもいた。
「ごめんなさいねー」と、なぜか私に誤りながら。
物販所に来る人は、必ず目の前のここにやって来て、水を飲むんだと思う。
まるで、オアシスみたいだ。
クーラーを強めにしているのも、事務所の人たちが何も言わないで放っておいてくれるのも、たぶんお客さんの気持ちになってのことではない気がする。
ただ、なんとなく自分たちがやりたい様にやっているという、のんびりした感じだ。
次は、黒豚の焼き肉屋さんへ。
ここは、黒酢のタレで食べさせてくれるのが有名なのだそう。
豚トロ、骨つきカルビ、カルビ、ロース、ナンコツ、トンタンを、どんどん焼いて食べるが、男組お二人はイマイチ元気がない。
佐藤さんと二人でパクパクと食べ、盛り上げるが、編集者さんはずっと運転しっぱなしだし、昨夜は仕事を持って来てらしたから、かなりお疲れなのだ。
カメラマンさんだって、連日ものすごい量の写真を撮っているものなー。
私は食べたり、歩いたりしている所をたまに撮られるだけだけど、それでも何だかくたびれて、いつでも眠たいんだからな。
移動の車の中ではいつも寝ている私だけど、助手席のカメラマンさんも、佐藤さんも、ずっと起きているみたいだった。
次は、黒酢の取材に行く。
例によって、建物の中で説明を聞いている間中、私は眠くてたまらなかった。
外の畑(壺の並んだ集合のことを畑と呼ぶのは、壺を置いている土に酢が少しずつしみ出て、土の中の微生物や何かが、黒酢作りにとても影響しているので、農作物と同じように、畑と呼んでいるのだそうだ)に出たとたん、ぐーんと楽しくなってきた。
だいたい私は、中国の黒酢のように思っていたのだが、それはまったく違うものだった。
鹿児島の黒酢というのは、琥珀色の米酢なのだ。
説明をしてくれていたおじさんが、帽子をかぶって出てきて、実際に壺のフタを開け、中を見せたり説明をしてくれる。さっきのおじさんとは別人と言っても信じてしまうほど、顔がぜんぜん違って(たぶん表情だけど、顔ごと変わったような感じだった)、すっかり職人さんの顔つきになっていた。
黒酢を手間ひまかけて面倒をみるのが本当に楽しいし、この仕事を大事に思っていることが、顔を見ているだけで伝わってくる。
別の職人さん(この人も肌がつやつやして、引き締まったいい顔をしていた)が、実際の作業をしているところを見せてもらったが、蒸した米(玄米に近い)も、麹(抹茶に枯れ葉を混ぜたような色)も、水(地下水)も、私にはとても美しく見えた。
すべてが清潔で、キラキラと光ってさえいた。
そして、何しろ自然がすごい場所なのです。
三方を山に囲まれ、畑(黒い壺がびっしり並んでいる)の向こうには、桜島の全景が見えるし、一面に広がった海は穏やかで、チラチラと光り輝いている。
「昔から変わらずにあるこの自然が、黒酢を作ってくれていると私どもは思っております。米と麹と水だけを壺に入れておけば酢が出来るなどというのは、学者さんからしてみれば、とても不思議なことだそうですが、私どもは代々この場所でやっておりますし、職人たちはどうやったら質のいい酢ができるのか、勘で知っております。酢に色がつく理由も、土のせいなのか、潮風が影響しているのか、今だに分かっておらんのですよ」。
これだけ同じような壺が並んでいるけれど、どの壺が仕込んだばかりで、何年熟成されているっ壺がどれなのか、目印は何もつけてない。
けど、職人さんたちは、毎日フタを開けて顔色を見たり、匂いを嗅いだり、音を聞いたりしているから、どれが今どういう状態なのか、ちゃんと把握しているのだそうだ。
向こうの方で、おばさんが3人くらい、壺を水洗いしているのが見えた。
女の人も働けるんだ。この土地に暮して、働いている自分を想像してみる。うーん、そしたら犬も飼えるな・・・などと。
味見をさせてもらった酢は、とてもおいしかった。
甘くなく、キレが良いのにふくよかな味がする。
火を通したりするのがもったいないような味だけど、ここの社長さんは、刺し身にも、餃子にもつけて食べるし、肉や魚料理にも火にかけて使うのだそうだ。
帰ったらいろいろやってみようと、夢は膨らむ。
バルサミコ酢みたいに思って、いろいろに使ってみよう。
とりあえず、餃子につけて食べるっていうのが、いちばん惹かれました。
これで3日間の取材はすべて終了し、レンタカーを返す途中、地元のスーパーに寄って、豆腐(固くて大きい沖縄のに似ている)、アベック・ラーメン(マルタイ・ラーメンの鹿児島版)、キムチ、さつま揚げを買う。
これですっかり満足、思い残すことは何もない。
7時半の飛行機で鹿児島を発ち、9時くらいに羽田に到着。
家に帰ってきて、お土産の焼酎を飲みながら、スイセイは私の部屋のソファーに座って、話しこみたい様子。
ひとりでけっこう淋しかったのかも?と思い、少し嬉しかったが、私はメールをチェックするのに忙しい。
明日は打ち合わせがあるので、もう寝ます。
そういえば、スロー・フードなんていう言葉は、今回お会いした人たち誰もが使っていなかった。
何十年も何百年も前から、当たり前なこととしてやっている仕事に、スロー・フードなんて流行りの名前をつけられたって、自分たちには関係ないっていう感じがした。
私だって、スロー・フードだとか、のんびりほんわかとか、和むとか癒し系とか自然体とか、自分では全然思っていないのに、そういうキャラになっている。
メディアを相手に働いている限り仕方のないことだけど、面と向かってそんな風に言われると、けっこういやな気分になるし、言った相手のことを疑ってしまう。
それは、人間や物事を理解しようとする姿勢が、誠実でないからだと思う。
じっくり観察していれば、そんなひと言では括れない筈、と思うんだがな。

●2004年9月27日(月)曇り時々晴れ

昨夜は、怖い夢にうなされたりして、よく眠れなかった。
目の前が大きな川で、ゴーゴーいう音が心地よく眠っていたんだけど、たくさんのおばけが川の方から押し寄せてくる夢をみたのです。
6時半に起きる。
宿を出る時、濃い霧がたちこめていた。
寒くなり始めると、どういう理由か分からないのだけれど、毎朝川の上に霧が出るんだそうだ。
雨粒みたいな細かいシャワーが、肉眼で見えたほど。
ばななさんの小説には川がよく出てくるけど、その冬の川の景色を思い出した。
川から離れたら、すっかり霧がなくなったのも、小説の世界といっしょだった。
レンタカーで、おばちゃんたちが集まって漬物を作っている所へ行く。
創始者の91歳のおばあちゃん(今でも矍鑠として、若い人を叱りつけるようなハッスルばあさんだった)の話を聞きながら、いろんな漬物の味見。
下村婦人会という、お母さんたちの集まりが始めた、当時(昭和34年)の話が、『暮しの手帖』の記事になっていた。
そのボロボロの『暮しの手帖』の写真も文章もとてもよかったので、写真をとって、ノートに書き写しました。「すばらしき井戸端会議」という見出し。
「無水鍋というのが、このごろ農村で、はやっている、あれで台になるカステラを焼いて、その上に、バタクリームを、塗ったり、しぼったりして、形をつけるのだが、様子がわかったと○○(判読不可能)て、おととしは、みんなじぶんの家で作ることにした。
うまくできた家もあった 失敗した家もあった バタクリームがうまくいかなかったからだ。〈やっぱ一人じゃだめばい、みんないっしょにやっと、なんでん、ようでくるもんなあ〉(中略)」 「女たちが、自分で使えるお金が欲しかった。(中略 それで、なすの辛し漬けと紅しょうがを作り、自分たちで包装し、駅の売店で売り始めたそうだ。そのお金で)〈仲よし文庫〉〈こども遊園地〉、盆踊りに使う、組み立て式のやぐらを作った。おばあさんも、お姑さんも、若いお嫁さんもいっしょに働く。にぎやかである、たえず笑い声が上がる、ひとのうわさもある、家事の一寸したコツも教え合う、若い人は、年よりは若いものの考え方に教えられる 手も休まないが、口もやすまない つまりは井戸端会議である」 その時分の共同炊事場がまだ残っているというので、見せてもらった。
長いこと使われていないので朽ち始めてはいたが、〈なかよし文庫〉で使っていた本棚や、学校からもらって使っていた机と椅子もあったし、流しのタイルの色や窓枠の木や網戸など、私が子供時代の風貌が残っていて、ちょっとじーんとした。
今の作業場の方では、でこぼこしたいろんな大きさの青柚子が届いていて、これから柚子こしょうを作るのだそうだ。
柚子こしょうを専門に作っている人から、ひととおり手順を教わったりしながら、出来立てのものを味見する。
出来立ては色も鮮やかで、辛みも強くフレッシュでいい匂いがした。
作業場では、しば漬けのきゅうりとみょうがを塩ぬきしているところだった。
2人の女の人が、そんなに沢山でなく作業していて、のんびりした空気。
山に囲まれ目の前には畑が広がっているし、昔大根を洗っていた川の水は今でもきれいで、いちぢくの実がボトンと落ちる音がよく聞こえていた。
おばちゃんたちがにぎってくれたホカホカの塩むすびを、車の中でほうばりながら次の取材へ。
こんどは人吉市内の女杜氏さんがやっている球磨焼酎の酒蔵だ。
私たちが連絡もなく遅れてしまったので、女杜氏さんは「連絡してくれないと困るよね。出掛ける用事ができないからね」と、きっぱり怒っていらした。
怒るのは当然だが、語気も強くて、さすがは女杜氏さんだけある、男勝りな方だと私は思った。
蔵を見せてもらい(酒の仕込みはまだこれからで、蔵は休んでいる状態だったけれど、古くから受け継がれてきたものを大切に、清潔に磨きあげられているのがひと目で伝わり、蔵の中はいい匂いがした)、いろんな話を聞いているうちに、だんだんに彼女の本意みたいなものが伝わってきた。
ちらっと見た笑顔に、ふっとにじみ出ている光みたいなものを、私は見逃さなかったぜ。
それは何かと言うと、女っぽい(母親っぽい)優しさや、包容力や勇気みたいなもので、それが体の中にいっぱい溜まって、あふれている感じがした。
実は、焼酎の作り方の話を聞いている時、私は眠くて眠くて仕方がなかったんだけど、その笑顔を見てから、ぐーっと引き寄せられていったのです。
「いくら旨い焼酎だからって、飲み方に決まりなんかない。お湯割りにしたって、梅干しを入れたって、ジュースで割ったって、その人がおいしいと思う飲み方で飲めばいいさと私は思うよ」「酒造りは、ほんとに子育てと同じさ。夜中におむつを取り替えてやらないとと思うんだけど、疲れてるし眠いし・・・だけど頑張って起きて替えてやれば、赤ちゃんだってかぶれずに明日を気持ちよく過ごせるしね。でも、あんまり過保護にしすぎても違うんだけど、いくら疲れていても、夜中に起きだして焼酎の瓶を覗いてやると、やっぱり愛情が沸いてきて、どんどん可愛くなるもんなのよー。そうやって面倒をみたものの方が、格段に品質が良いのができるんだからね。子育てと同じなんだから、女が酒を作ったっていいさねぇ」。
次は、鹿児島の霧島高原で、主婦たちが集まって、農家の野菜を使った料理を出しているレストランへ。
バイキング形式で、搾りたての牛乳、珈琲、野草茶、緑茶から始まって、春餅、春巻き、中華おこわ、いかときゅうりの酢の物、ひき肉餡のレタス巻きなど、食べきれないほどのメニューが、セルフサービスで食べ放題。
今日は中華の日だった。
料理上手な奥さんが作る、家庭料理みたいな懐かしい味でした。
何よりも、目の前は山で畑だし、風通しのいいテントの下で食べるのが気持ちよかった。
宿に早めに着いたので、温泉にどっぷり浸かり、浴衣に着替える。
風呂に入っている間に雨が降り出した。
網戸にして窓の方へ顔を向け、畳の上に寝そべる。
木がたくさん植えてあり、その向こうには川がゴウゴウと流れている。
そこを、みずみずしい風が吹きぬける。
他のスタッフたちは、宿の写真を撮ったり、温泉の写真を撮ったりして、まだ仕事をしていらっしゃる。
今回の取材は佐藤さんが文章を書いてくださるので、私は気が楽だけど、なんだか申し訳ないな。
私はタレントでもないのに、まるでモデルさんのように写真をバシバシ撮られ、歩いたり、振り向いたり、笑顔になったりしている・・・。
ふー。
これも仕事だが、でも、会う人たちは皆演じているのではなく、まぎれもない実際の姿を見せてくれるので、私が感動する気持ちは本物なのだ。
さて、今夜は佐藤さんと相部屋だから、怖いことはなくて安心だ。
夕飯のご馳走は、前菜いろいろ、地鶏のたたき、松茸の土瓶蒸し、黒豚のシャブシャブ、黒和牛のヒレステーキ、松茸ご飯、赤だし味噌汁、デザートは特産の梨と葡萄。
食べ終わって、男部屋で軽く飲み(女杜氏さんからいただいた焼酎の味見)、11時には部屋に引き上げて来たが、部屋の冷蔵庫からビールを出して佐藤さんともうひと飲みする。
佐藤さんとは、車の中でも、飛行機の中でも隣り合わせで、長時間過ごしているけど、どういう訳だかぜんぜん気兼ねがなく、リラックスできていた。
うすうす感じてはいたが、私たちは、気持ちいいな、楽しいなと感じること、反対に不快に感じることが、かなり似ているようなのだ。
そういうのって、匂い(実際のではない)で分かるものだ。
ちょっと酔っぱらって、佐藤さんと笑い転げたりするのが、本当に心から楽しいのだ。
というわけで明日も朝が早いので、12過ぎには布団に入った。

●2004年9月26日(日)小雨(九州は曇り時々晴れ)

辛子明太子の夢を見てしまった。
やっぱ、買って帰れということかいな。
もうすぐ7時で、これから車が迎えに来ます。
では九州の旅、行ってきまーす。
出掛ける時には雨だったけど、飛行機に乗って雲の上に出たら、いきなり晴れていた。
本当に、雲の上はいつでも晴れているのだろうか。私にはまだ信じられないが。
10時45分、熊本空港着。
そして熊本も、雲の上から引き続いて快晴であった。
今回は、ライターの佐藤さんと、カメラマン、編集者との4人旅だ。
レンタカーで人吉という街に行く途中、サービス・エリアで、熊本らしい食べ物に初めて出会う。
ちくわのチーズ詰め磯部揚げにすごく興味があったが、なにしろちくわが太いし大きいし、油っぽそうだし・・。
「それは給食みたいなものだろうなぁ」という編集さんのひと言で潔くあきらめ、生のちくわ5本入りを買ってもらった。
今回はB級グルメの旅ではないのだから。
「いきなり団子」という、素朴な形(大きさも形もまちまち)のまんじゅうみたいなのは、佐藤さんのおすすめで買った。
私はあまりまんじゅうとか食べないし、佐藤さんも酒飲みだと聞いていたので、?と思っていたが、食べてみたら納得の、とっても素朴なものだった。
皮はほんのり塩味で、さつま芋の蒸かしたのとあんこがちょっとの具。
それをセイロで蒸して、ビニールにおおざっぱに包んである。
何個でも食べてしまいそうな、好みの味でした。
ちくわもプリッとモチモチして、大きいのを手でちぎりながら、もりもりと食べる。
東京のものと、すり身度がぜんぜん違うっていう感じだ。
これが朝ご飯代わりだが、すでに羽田でサンドイッチを軽く食べていた私だ。
車から降りると、人吉は夏休みみたいな暑さだった。
日陰になると涼しいのだが、陽の光がかなり強いのだ。
栗めし弁当と鮎ずしを買い、肥薩線というローカル列車に乗りこむ。
じいさんばあさんの観光客が(特にじいさん)どやどやと乗ってきて、通路を行ったり来たりもして、元気にはしゃいでいた。
井伏鱒二風の、帽子に眼鏡のお洒落なじいさんたち。
男の子っていうのはいくつになって(じいさんに)も、鉄道にワクワクするのだな。
列車の窓から見えたどんぐりは、まだ青かった。
やはり秋になるのが東京よりも遅いのだ。
旅館に着いてしばしの休憩中、ズボンを抜いでくつろいでいたら、中居さん(おじさんとおばさん)がいきなり入ってきて、布団を敷き始めたのには驚いた。
けど、なんか田舎っぽくて心温まる感じだった。
豪華な晩ご飯(猪鍋や鮎の刺し身、塩焼き、天ぷらなどなど)をいただいて満腹なのだが、おいしい鰻屋さんに取材に行く。
取材旅行っていうのは、これがいちばんこたえる。
おいしいものは3日に一度で充分な私の食生活に、どかどかと旨いものばかりが押し寄せてくるのだ。
どうしても食べ残すことになるし、腹ぺこで食べる美味しさを味わえない。
用意してくださった方々に、そして素材(鮎やいのししや鰻や・・・)たちに、本当に申し訳ない気持ちになる。
こういう気持ちは私にとってストレスなので、取材の仕事はあんまりひんぱんにはやれないだろうなーなんて思いながら、ほろ酔いで温泉に浸かる。
だけど、鰻はかなりの旨さだったなー、スイセイに食べさてやりたかった。
焼酎もおいしかったし。
情熱大陸と世界遺産を見て、布団に入った。
情熱大陸でこぶ平が言っていた、「礼を持って祭ごとを行いなさい(林家三平の言葉)」というのが、やけに耳に残りながら。
しかし、何も九州に来てまでとも思うが、ウルルンを見るのを忘れたのが悔やまれる。

●2004年9月25日(土)曇り、一時晴れ、夜になって雨

午後から晴れてきたので、喜び勇んで洗濯をする。
明日から九州に出張だから、ためておきたくなかったのだ。
ちょっとワクワク、そわそわしている。
写真撮影もあるので、着替えをいろいろ準備したり、ハウスバーモンド・カレーの甘口と、コールスローを作ったり。これは、明日のスイセイの夜ごはん用。
今夜と明日のお昼用には、きのこご飯を今炊いている。
スイセイは、「そんなに支度せんでも自分でやるけえ、ええよ」なんて言っているけど、ぜったい野菜不足になるにちがいない。
けど、たまには私がいない時に、インスタントラーメン三昧をするのもいいのかも。
7時半から「鶴瓶の家族に乾杯」があるので、今夜は早めにごはんを食べる予定。
夜ごはんは、きのこ炊込み玄米(今日は、5時間浸水して40分炊いてみた)、小松菜のお浸し、あさりの味噌汁。
そういえば、10月から隔月の第三土曜日に、料理教室(すり鉢教室)をアノニマ・スタジオで開くことになりました。
しおりちゃんも、第四土曜日にアノニマで「週末食堂」を開くことになった。
しおりちゃんのランチは、その味といい、センスといい、おいしそうな盛り方(いつも大盛り)といい、クウクウ時代から大人気だった。
ついに、しおり母さん(和楽の母ちゃん)の味が復活だ。
応募などの詳しいことは「ちかごろ」をチェックして、アノニマ・スタジオのホームページに行ってみてください。

●2004年9月24日(金)曇り

どよーんとした天気で、とても涼しい。
洗濯ができないのが、何よりも辛い今日この頃だ。
11時より撮影。
鍋ものの撮影なので涼しくてよかったが、リビングで火を使うし、照明はつけているし、味見をすれば体の中から暑くなってくるしで、けっきょくクーラーをつけた。
6品だったけれど、大物ばかりなので、4時までかかりました。
カメラマン、スタイリスト、編集さんの3人の共同作業がひじょうになめらかで、私とヒラリンもとてもやりやすく、料理に集中できた。
「3人ともA型なんですって」と、ヒラリンが後で言っていた。小耳にはさんだらしい。
残りものをささっと食べて休憩し、赤澤さんがいらっしゃる前に、自転車をこいでアムプリンを買いに行く。
5時半だったから売り切れかも?と心配しながら大急ぎで駆けつけたら、あと8コで終わりだった。
私は4個、ヒラリンは2個ゲットした。
6時くらいから、赤澤さんとゲラの直しを一緒にやる。
アムプリンをお出ししたら、ひと口食べるなり、「うーん、懐かしい味!私、こういう味って、このへん(目じり)に涙がたまるんですよー」と言って、本当にためていた。
夜ごはんは、もやしとニラの炒め物、冷やしトマト、きんぴらごぼう、あさりと帆立のお汁(鍋の残りを合体した)、玄米。

●2004年9月23日(木)曇り

朝起きて、すぐにゲラをチェック。
お昼に、かぶの葉たっぷりとまいたけのしょうゆ味スパゲッティを作っていたら、電話がかかってきた。
スイセイにお願いして続きをやってもらったのだが、さらにナンプラーを加えたそうで、とてもしょっぱいのができてしまった。
麦茶をガブガブ飲みながら、全部食べる。
みどりちゃんに軽い用事で電話したら、1時間くらい長電話してしまった。
話しているうちに気がついたのだが、お互いに言いたいことがすごくあったみたい。
なんか、みどりちゃんとのお仕事、これからも益々おもしろいことになりそうで、明るく電話を切る。
慌てて身支度をして、明日の撮影の買い物に街へ出る。
「うちの玄米ごはん」を見に本屋さんに行ったんだけど、2軒ともおいてないのはどういうことなんだろう。
もしかして売りきれか?と、いい方に解釈し、前からずっと気になっていた、『ソーネチカ』を買って帰る。
私は本屋に行くと、買わずに出てくることができない。
春樹さんの新刊も、のどから手が出そうだったが、ぐっと我慢した。
音楽好きの人が、しょっちゅうレコード屋をチェックして、必ず何か買ってしまうのときっといっしょだな。
夜ごはんは、サーモン・ステーキ(バジルソースにしょうゆちょっと)、キャベツサラダとクレソン添え、ごぼうとにんじんのきんぴら、三つ葉と溶き卵の味噌汁、玄米。
ステーキは洋風なので、ナイフとフォークで私は食べる。
茶碗に入った玄米を、わざわざお皿に移しながら、生真面目にナイフ&フォークだ。
きんぴらと味噌汁の時は、箸に持ちかえて食べた。
スイセイは玄米に味噌汁をぶっかけて食べていたが、「今日の味噌汁は、本当にうまいのう」と言った。ほんとうのところを、ゆっくりと。
些細なことだが、私はめちゃくちゃ嬉しく、ちょっと涙がにじんだ。

●2004年9月22日(水)快晴、暑い

2時から打ち合わせ。
まるで夏のような最近の天気に、「暑いですねー」と言いながらも、心の底ではけっこう嬉しい私だ。
秋だというのにまだ夏日が味わえるなんて、得した気分なのだ。
10ページ分のメニューがとんとんと決まって、1時間ほどで終わった。
なんと、もう正月用のメニューです。
ファックスを送ったり、ゲラチェックを終わらせて、買い物に行く。
今夜は冷やし中華にする予定なので、早めにタレ(市販の冷やし中華のタレって甘すぎてかなわないので、しょうゆ、酢、砂糖、水、ガラスープの素、ごま油を小鍋に入れ、ひと煮立ちさせて冷やしておいた)を作っておいた。
なんで冷やし中華が食べたくなったかと言うと、昨夜『クウネル』を読んでいたら、ガラス器作家の辻さんが、夏の間よく食べている写真を見たからだ。
夕方、図書館の銀杏の木の下を通ったら、プーンとくさい匂いが。
もう銀杏か?と思って見上げても、まだ葉っぱは青くふさふさしてよく見えない。
けれど、ひと粒だけ落ちているのを発見しました。
早いなー。というか、もう着々と秋の木の実は準備をしているのだ。
買い物から帰って、久々に「ゆうがたクインテッド」を見る。
オープニングの曲の歌詞が、いつの間にか秋バージョンになっていた。
「枯れ葉が風に遊んだらー、聞こえてくるよ、ゆうがたクインテッド・・・」 夏バージョンは、「入道雲が笑うときー(だったかな?)、聞こえてくるよ、ゆうがたクインテッド・・・」。
この番組は、クラッシック音楽に合わせて、操り人形が小さい楽器を弾いたり歌ったりするのだが、動きが音とぴったりなのは当たり前、弾き方も弾く場所も、リズムも強弱も、本物と同じ(弓の動かし方とか、指の動かし方とか、体の動きとかも)。
今日じっくり見ていたら、本当に人形が楽器を弾いている様な気がしてきた。
楽器はミニチュアなだけで、本当にそこから音がしているような。
そんなわけはないだろうが、人形を操っている人は、少なくともその楽器を弾いている人か、音楽に詳しい人だと思う。
子供向けの番組だけど、細かいとこまでちゃんと作ってあるところが、さすがだ。
というか、子供が見るからこそ、そういうところをおろそかにしてはダメだ。
子供って、大人よりぜんぜん鋭いし、それがこの番組の命だからな。
時間と手間がかかっても、こういう仕事こそが、ものを作るっていうことだわさ、なんて思った。
関係ないが、ピアノを弾いているアキラさん(この人だけ人間)という人、音楽の虫っぽくて素敵だ。
いつもちょっとしか映らないから、見逃さないようにじーっとよく見ている。
スイセイは、定期検診の結果がちょっと良かったらしく、なんだかハリハリしている。
夕方、しっかり走って、Tシャツの前も後ろも肌が透けるほどびっしょりになって帰って来ました。
「ためしてガッテン!」が糖尿病特集なので、ふたりで真面目に見ながらごはんを食べる。
夜ごはんは、冷やし中華(薄焼き卵、ハム、カニカマ、きゅうり)、キャベツの塩もみサラダ、鮪の刺し身(ワカメ添え)。

●2004年9月21日(火)晴れ、一時天気雨

夏みたいな暑さだった。
けど、湿気はなく空気が乾いているところは、やっぱり秋なのだ。
最近、床の上が粉っぽい感じなので(乾燥のせい?)、朝からワックスを塗った。
12時から撮影。
玄関を開けたら、「いい天気ですよ〜!」とニコニコ顔のヒラリンが。
それに誘われて、益々、晴れ晴れとした仕事の気分になる。
昨夜私は、ちょっと落ち込みぎみだった。
それで、仕事モードに自分を持ち上げるために、自分の出ているビデオをくり返し見ていた。
ビデオの中の人はとても元気で、ニコニコと嬉しそうだし、やる気満々。
その人はまぎれもない私なのだから、「できるじゃん!」と、自分をその気にさせるのです。
それにしてもクーラーをつけても暑いのは、雑炊とかおじやの特集だったからだと途中で気がつきました。
味見をしていると、体の中があたたまり、汗が吹きだしてくる。
そりゃそうだ。
4時くらいに終わり、赤澤さんと打ち合わせ。
慌ただしくて、朝から何も食べていないという赤澤さんに、まずは汁かけご飯をお出しする。
というわけで、まだいろいろ残りものがあるので、今夜はごはんを作らないことにさせてもらった。
後でお腹が空いたら、食べたい時にそれぞれが食べることにして、7時半には風呂に入った。
今夜は早めに布団に入って、『クウネル』をじっくり読む予定。



日々ごはんへ めにうへ