2005年9月中

●2005年9月20日(火)

昨夜はよく眠れた。
8時半に起きて、起きたそばから布団の上で母ちゃんといろいろ話す。
若いころの話や、スイセイが3歳の時に亡くなった、父ちゃんの話など。
「まあ、郁ちゃん(スイセイのこと)もあなたも、ええことを言うのう」と、原爆に遭い、女手ひとつで3人の子供を育て、82年も生きてきた母ちゃんに褒められました。
お昼に、ゴーヤチャンプルを作ってやり、鯖の干物(日曜市で享子ちゃんが買ってくれた)を焼いて食べる。
その後、デイサービスの施設へと、兄ちゃん、母ちゃん、スイセイと4人で見学に行く。
母ちゃんは、「私はこんな所に来たくない。たくさんの人と一緒に過ごすのは苦手じゃけえ」と言う。
私だって、そう思った。
母ちゃんは、「それより家で掃除したり、料理をしたりしていた方がずっとええけえ。やることがあるんじゃけえ」と言う。
まったくその通り。
物忘れがあるくらいで、まだそれほどにはボケが進んでいない母ちゃんは、4階アパートの登り降りも、私たちとほとんど同じスピードで足どりもしっかりしている。
スイセイはもうひと晩泊まるので、駅まで送ってくれた。
4時の新幹線に乗り、駅弁を食べていたら、眠くて目がくっつきそうになる。
そのまま新横浜まで爆睡。
夜、9時くらいに帰ってきました。
家に入った時、誰もいない部屋に帰ってきても、ちっとも淋しい気持ちがしなかった。
匂いとか、部屋の中の温度とかが、出掛けたまんまに残っていて。
私が帰ってくるのを、家が、ええ子してじっと待っていてくれて、「おかえり」と迎えてくれたような、そんな感じ。
家も家族の一員だったんだなあ。
洗濯機を回し、風呂にゆっくり浸かって、バスタオルだけ巻いて畳の部屋でくつろぐ。
窓を開けて外を眺め、夜の空気を感じながら、髪の毛を拭いたり化粧水をつけたりする。
そのひとつひとつのことが、すごく幸せ。
この家が大好きというよりも、ベランダから見える空ごと、空気ごと、木ごと大好きだったのだなと気がつく。
そして私には楽しみがある。
それは『沢田マンション物語』を読むこと。
前に川原さんにいただいてから、少し読んでいたのだけど、実は途中でやめていた。
字がいっぱいで、ちょっと説明が多いような気がして、なかなか入り込めずにのろのろ読んでいた。
でも今は、字がたくさんあるところがとても嬉しい。
写真も、見てきた部屋のがあって、隅々までじーっと見てしまう。
享子ちゃんが作ったチョコレートケーキとミルクティーを飲みながら。
チョコレートケーキ、超おいしい。
柔らかいチョコを食べているみたいで、すごい濃厚。
クルミやレーズンがほんのちょっとしか入っていないのが、とてもいい。
夕方、新幹線の中で天むす弁当を食べたので、ひとりの夜ごはんはチョコレートケーキ。
そういえば、読者さんからいただいたカードを読んでいて、夕飯にお菓子を食べて終わらせてしまうという人がけっこういました。
私だって、若い時分にはそんなことしょっちゅうだった。
ひとり暮らしには、ひとり暮らしの食卓というものがある。
なにも、無理して料理を作る必要なんてないし、食べ物というのは心の栄養でもある。
歳をとると体がくたびれてくるから、ちゃんとしたごはんを欲するように自然となっていくものと思う。
そうしたら、作ればいいんだもの。

●2005年9月19日(月)広島は小雨のち曇り

10時に起きる。
母ちゃんは3時くらいから起き出して、洗濯機を回したり、朝ごはんの支度をしていた。
スイセイも6時くらいに起きたみたい。
私は、1時間ごとに鳴る柱時計の音が聞こえながら、あまりよく眠れなかった。
起きてすぐに部屋を片づけ、隅々まで掃除機をかける。
母ちゃんは、ごぼうと人参の大きさをそろえながら、ゆっくり丁寧に刻んで、きんぴらを作っている。
その間、私は雑巾掛けをする。
お昼ごはんに、享子ちゃんが日曜市で買ってくれた鯵の干物を焼き、大根おろし、卵焼き、冷やしトマト、きんぴら(母ちゃん作)を3人で食べる。
洗濯機の脱水が壊れていて、母ちゃんはずっと手で絞っているというので、修理のお兄さんにきてもらう。
それでも直らないので、夕方、電気屋さんにスイセイと新しいのを買いに行く。
古い家(スイセイと出会った頃に住んでいた)の跡地(駐車場になっていた)を見ながら、てくてく歩くが、私が大好きだったその通りは、古い家々が壊されて、ほとんどが新築されていた。
味もそっけもない町並み。
電車に乗って広島駅の方に出る。
段原の方まで歩いてみるが、ここもことごとく壊され、骨董品屋が並んでいた戦前のままの町並みは、あとかたもなくなっていた。
壊されるとは聞いていたが、ここまでなくなっているとは。
駅前の市場(ここもずいぶん寂れていた)に戻ってきて、ホルモン焼きとお好み焼きを食べて帰る。

●2005年9月18日(日)高知は快晴、広島は曇り

朝9時にロビーで待ち合わせ、享子ちゃん、ふたりの娘、芝ちゃんたちと日曜市へ。
陽が強そうなので、帽子をかぶって行く。
車が通る道路の片側に、テントを張って長く伸びているところは、まるでパリのマルシェみたいだった。
高知の生姜は色が濃くて皴も多く、ごっつい。
にんにくは、花束のように茎のところが紐で結んである。
みょうがは、東京にもあるようなふつうのものが、ビニールにいっぱい入って300円。剥いた皮だけがいっぱいに詰まって、100円。
葱、青じそ、りゅうきゅう(芋の茎みたいなもの)、空心菜、すごく臭うたくわん、ささげみたいな長いいんげん、柑橘類はブッシュカンが出盛りだった。
みょうがの漬物や、蒟蒻の中にすし飯が入ったかわいらしい田舎寿司や、餅菓子。
畑でひっこぬいてきたみたいな彼岸花や、金魚まで売っている。
私たちはゆっくりゆっくり見て歩くが、享子ちゃんたちはいつもさっと来て、買いたいものだけ買って帰るのだそうだ。
地元の人たちにとっては、新しいものが安く売っている日常的な市場だものな。
アイスクリン屋さんや、生姜あめとレモンジュース屋さん、サツマ芋の天ぷらと薩摩揚げを売っているお店なんか、買い食いできる所があるのもマルシエみたいだった。
ひととおりどんづまりまで歩き、ちょっともどって、カフェ(パリだとしたら)でおいしいアイスコーヒーを飲み、しばし休憩。
しばらく歩いて、享子ちゃんたちとはここで別れる。
あっちゃん(上の娘、小学2年生)が、あめ玉をくれる。
前に「クウクウ」を裸足で駆けずり周り、外に出てからも裸足で歩いていた、明るくたくましい3歳の女の子は、このあっちゃんだったのだと思い返す。
そうかあ。
芝ちゃんは、別れ際になってやっと私の本をカバンから出し、「サインしてください」と遠慮がちに言ってきた。
昨日も昨夜も会っていたのだから、機会は何度でもあったはずなのに。
こういう正直で純粋な娘が、私なんかのファンでいてくれることを、本当にもったいなく、ありがたく思う。
こういう人たちにこそ、私は支えられているのだなとじーんとする。
これからも私は、芝ちゃんのような人に恥ずかしいと思うような仕事は、ぜったいにやるまい。
というわけで、日曜市をもうひと周りしてじっくり見物し、ホテルに戻る。
今日のうちに東京に帰る桃ちゃんとも別れて、13時発の岡山行きの電車に乗る。
本州に通じる橋を渡り、岡山の街が見えてきたころ、高知のことを思い出してうっと胸が熱くなる。
さっきまで高知にいたことが、もうすでに思い出になっている。
そのくらい、他の土地とは違う場所だった。
スイセイは鉄橋を渡りながら、同じ工作者として感心していた。
「すごいもんを作ったんじゃのう。体の中に尻から鉄骨を突き刺すみたいな、すごいことじゃったんじゃのう」と。
岡山で新幹線に乗り換え、広島へ。
夕方、スイセイ宅に着くが、母ちゃんも兄ちゃんも留守。
仕方がないので、海まで散歩する。
私たちが出会った頃、よく行っていた堤防の道へ。
引き潮の浜には、白鷺とカラスが降り立ち、何かついばんでいる。
夕日が落ちて、水面がオレンジ色にさざめいている。
おじさんや若い人たちが魚釣りをしている端っこの堤防まで歩き、でっかい空と海を見上げる。
ここが、私の広島。
前はこの近所の古い一軒家にスイセイと母ちゃんが暮らしていて、そのころ私は、青春十八切符で何度となく通った。
来るたびにこの場所で瀬戸内の静かな海を眺め、缶ビールを飲みながら堤防の上で寝そべっているうちに、ほんとに寝てしまったこともある。
そんな、若いころの思い出の場所。
もう、18年くらい前のことだ。
母ちゃんと兄ちゃんは、野球を見に行っていた。
駅で買った弁当と、兄ちゃんが買ってきたニラ餃子を焼いて夜ごはんにする。
母ちゃんは、思ったよりぜんぜん元気そうだった。
そんなにボケてないように見える。
でも風呂に入ったら、「リンス」と太いマジックで書いたのが3本、「シャンプー」と書いてあるリンスが1本あった。
つまり、全部がリンスということ。
風呂から上がってスイセイと小1時間話し、12時過ぎに就寝。

●2005年9月17日(土)高知は曇り時々雨

11時45分羽田発の飛行機で、13時に高知に着いた。
空港のロビーにいる人たちの顔立ちが、なんとなしに東京と違う。
なんか皆、前をがっしり見ているような肉厚な顔。
たとえば東京の電車の中やホームで見る人々の顔って、どこかうつろだ。
見て見ないふりをしているような、感じないふりをしているような。
それがそのまま板についてしまったような、薄っぺらい顔。
空港から出てちょっと走ると(タクシーで)、すぐに民家や畑があって、へえ、と思う。
石垣島にちょっと似ているかも。
大きな街道に出ると、道路沿いにファミレスやラーメン屋、うどん屋、ホームセンターなんかに混じって、野菜や果物を売っている店がある。
パイナップルやグレープフルーツみたいな柑橘系の果物、里芋やらじゃが芋やら、そういう作物たちが、カゴに入って、地面に近い高さの所に並べられている。
東京の八百屋さんより、見るからに低い位置。
店のおばあちゃんは、腰を曲げてカゴを持ち上げている。
ずいぶん走って、そのうちに路面電車や古い自転車屋さんが見えてきた。
だんだんに近づいてきた感じ。
これから、享子ちゃんがやっている食堂に行くのだ。
享子ちゃんとは、中野の「カルマ」時代(もう20年以上前のこと)に、1年ほど一緒に働いていた。
実家のある高知に帰って結婚し、食堂を始めたのはずっと昔から知っていたし、そこがおいしいくて、とても感じのいいお店であることも、何度も通っているみどりちゃんや桃ちゃんから聞いていた。
そのたんびに享子ちゃんのことを思い出して、行きたかったんだけど。
でも、こんなに何十年も経って、やっと来れることになった。
享子ちゃんは前に東京に遊びにきた時、「クウクウ」にも寄ってくれたので、会うのは5年ぶりくらい。
子供たちを3人引き連れて、旦那さんと来てくれた。
その時の享子ちゃんに、私はノックアウトされた。
すっかり母ちゃんになって、情が熱く、芯が太く、この人の作る料理はおいしいだろうなという、まさにそういう人になっていたから。
それから、玄米の炊き方で迷っている時に電話したこともあった。
浸水時間について。
「うちはお店で毎日炊いてるきー。でもね、忙しくて(玄米ごはんが)なくなっちゃって、大急ぎで水に浸けずに炊くこともよくあるきね。それでもぜんぜんおいしいし、そんなに変わらんよ」。
それを聞いて、私はどんなにか励まされたことか。
そういう享子ちゃんの、へこたれないおおらかさが大好きだった。
商店街をぬけ、ちょっと入った路地に面したお店は、まったく思っていた通りだった。
入り口が窓と一緒になっていて、開けっ広げで、まるで享子ちゃんのよう。
享子ちゃんは相変わらず元気そうで、若くて、ぜんぜん変わっていなかったが、子供たちは4人になったそうだ。
道に面したテーブルに、桃ちゃん、スイセイと3人で座り、シンハービールを飲む。
東京は晴れていたのに、高知に着いた途端すっかり曇って、雨まで降ってきた。
でも明るい雨だし、ぜんぜんオーケー。
そこに座っていると、なんでもオーケーという気持ちに、どんどんなってくる。
雨はすぐに止み、気がつくと、顔や腕の表面にしっとりと汗をかいていて、ビールなんか飲んでも飲んでもすぐに飛んでしまう。
空気が違うのだ。
ベトナムや、インドネシアや、波照間島のよう。
それを私の体がしっかり覚えていて、そういう空気にさらされた途端に、思い出した(体が)という感じ。
毛穴が開いて、胸が開いて、頭の力が抜け、自然児になってゆく。
鉢ごとのソムタムや、ゴーヤの味噌和え、いろんなおかず(豚の角煮と煮卵、南瓜とトマトのタイカレー、つみれ、レタスと白瓜のサラダなど)がのっかった玄米ご飯を食べる。
チベタン・モモやアドボ、何を食べてもおいしい。
トムヤムクンは1杯100円でついてくるんだけど、これをご飯にかけるだけで、充分満足なお昼になりそうなコクのある味。
近所に住んでいたら、サンダル履きで通って、トムヤムかけご飯でお昼にしたい。
料理は、どれを食べてもスパイスが効きすぎず、やたらと主張していない。
エスニック料理なんていう狭い分野にくくれないような、それはまさしく享子ちゃんの味だった。
おしゃれとか、新しいとか、かっこいいとか、頭で考えられたムード的料理ではぜんぜんなく、当たり前にある高知の素材を使って、無理なく享子ちゃんの体を通って出てきたような、まさにそういう料理だった。
気候にもぴったり合った、この店の開けっ広げ感にもぴったり合った味。
サラダのドレッシングについて、「カルマに入った日に、マルちゃんに教わって初めて作ったドレッシングやき」と、アルバイトの芝ちゃんと話しているのが聞こえた。
それは私にとっても馴染みのある味で、懐かしく、涙がにじむ。
「クウクウ」でも豆腐サラダのドレッシングのもとになった、「カルマ」の醤油ドレッシング。
オイスターソースや、黒のすり胡麻や、ごま油が入っている。
享子ちゃんのは、黒胡麻がすごく細かくすってあった。
もう20年も前に教わったものを、延々作り続けている。
それでいいのだ、と思う。
こういう感覚を、私は忘れていたなあ。
これぞおふくろの味だ。
さて、ごはんを食べている間にも、享子ちゃんの友だちのいろんな女の子が入れ替わりやってきて、遠慮がちにサインを求められる。
シアトルに発つ前に、自転車で汗をかきかき駆けつけてくれた娘もいた。
みどりちゃんの友だちの、陶芸家の小野哲平さんと奥さんのユミさんも、はるばる山の方から会いにきてくださった。
うちにあるのの弟分みたいな、ちょっと小振りの湯飲みを哲平さんにいただき、ユミさんには手縫いの麻のエプロンをいただいた。
皆さん、初めて会った方々が、こんなにも温かく迎えてくれて、申し訳ないような、もったいないような気持ち。
アルバイトの芝ちゃんも、私のファンでいてくださる。
本当に、ありがたい。
そして、「沢田マンション」が高知にあったことを、ふとスイセイが思い出した。
そしたらちょうど車で通りかかった女の子が、「沢田マンション」に住んでいる男の子と友だちだそうで、享子ちゃんが呼び止める。
その女の子が電話をかけてくれて、すぐにつながって、男の子も部屋にいて、トントン拍子で案内してくれることが決まった。
享子ちゃんが、子供たち(バレーを習っている)を迎えに行くついでに、「つんでっちゃる(乗せていってやる)」と言う。
車の中で、高知地震の話になった。
もういつ来てもおかしくないくらいになっているから、「高知の人は皆、けっこう準備しとる。昨日も訓練があったんよ。うちでは全員が枕元に靴をおいて寝とるんじゃけど、子供らはすぐ大きくなっちょうから、靴の交換が大変やき」と言って笑う。
「どこに集るかも家族で決めてあるんじゃけど、子供らが学校におる時じゃったらいややなぁ思うて。子供らとはぐれるんがいちばんいややき、それだけがいちばんいややき」と、享子ちゃんが前を見て運転しながら、世間話みたいに言った。
色白の肌に下にある、肉厚な情が透けて見える、涼しげなその横顔。
その時、目のカメラで私は写真を撮った。
そして、まず連れて行ってもらったのは、フランスのアンティーク雑貨屋さん。
うんと小さくて細長いけど、「タミゼ」の窓を開けて、高知の風や光を入れたみたいな、のんびりと気持ちのいいお店だった。
古いイニシャルのテープを見ていたら、リーダーのことを思い出したので、お土産に買う。
あと、白くて欠けた陶器のバターケースも買う。
店番をしていた女の子は、スッと背筋が伸びて余計なものがなく、清潔な木の人形みたいな人だった。
年月に晒されているうちに角がとれて、肌触りのいい、でも頑丈な、木でできたアンティークの人形。
これも昌太郎君の印象に似ているなあ。
そして「沢田マンション」へ。
ここにもまた、私の本を揃えてくれているファンの女の子が、ふたり住んでいた。
ここで見たものは、感動しすぎてちょっと今は書けない。
とにかくとてつもない自由さを感じ、人間の、馬鹿がつくほどの興味の強さや、体力や、実行力を感じた。
スイセイは目が開いて、すっかり顔が明るくなり、ハンサムになっていた。
案内してくれた男の子とも、言葉でない共通の何かをやりとりしていたみたい。
全部回って、男の子の部屋で麦茶をよばれている時、入り口の周りには4〜5人の住居者たちが集っていた。
会話に加わってくるでもなく、ただ玄関口に立って、私たちの様子を見てはにこにこしているだけ。
この人たちは暇なんか?。
自分の時間というものは、ないんか?。
自分の時間を人にあげて、もったいないとは思わないのか?。
インドネシアやベトナムを旅行した時、夕方になると、近所の子供たちが私たちの宿の外に集ってきた。
中には大人も混ざっていて、言葉なんか通じなくても、耳に指をつっこんで音をさせたり、変な形に口を曲げたり、日本語の口まねをしたりして、ただただ可笑しく、暗くなるまで一緒にいた。
歳はいくつなのかとか、何の仕事をしているのかとか、誰も聞かないし言わない。
目の前にいる体だけがその人のすべてで、子供も大人も皆同等で、そこには不思議な連帯感があった。
その感じを思い出して、感動してしまった。
「沢田マンション」の皆さま、本当にありがとうございました。
というわけで、いちどホテルに帰ってシャワーを浴びる。
目の前には、でっかく赤い月が出ている。
7時半にロビーで待ち合わせ、こんどは和香さんに会う。
今夜は、和香さん夫婦がおいしいお店に案内してくれるのだ。
そのお店は、何を食べても、本当においしかった。
ツキだしに出てきたのは、しらすの刺し身ポン酢がけ。
戻り鰹の刺し身とタタキ。
タタキには玉葱がたっぷりと、葱、にんにく、トマトが添えてあった。
そのトマトがまたおいしいんだ。
ミニトマトくらいの大きさで、皮が厚くて固く、野性的な味。
あとは、高知野菜の炊き合わせと、チャンバラ貝(貝からはみ出している、身の端っこの固いところが、刀に似ているからだそう)、鯖寿司。
高知の人って、ふだんからおいしいものを食べているんではないのかな?と思った。
土地が豊かで、いい作物がたくさん採れるのではないだろうか。
和香さんが言うには、高知の人はエンゲル係数が高い(食べ物にお金をかける)のだそうだ。お酒もよく飲むし。
お客さんがくると、うちの全財産を使って、借金してまでももてなす。
そしてもてなす側も、もちろん参加して一緒に楽しむのも高知ならでは。
皿鉢料理というのは、そういうことなんだって。
作った料理を大皿にいろいろ盛り合わせるのは、女の人も宴会に参加できるようにということなのだそう。
享子ちゃんも娘二人を連れて、芝ちゃんも来た。
なんかこの店で、私は話らしい話は何もせずに、ただただおいしい料理とおいしいお酒を飲んで、いい気持ちになっていたような気がする。
なんか、高知にいると、言葉を喋るのがもったいなくなる。
言葉なんかより、もっと大事なものがいっぱいで、そういう濃い液体みたいな空気にたゆたゆと浸っていたいような、そんな夜だった。
そして、牧野さんに行くといいよと奨められていた喫茶店に、梅さん(旦那さん)に連れて行ってもらう。
梅さんの真似をして同じカクテルをたのみ、ここでも私はたゆたゆに浸っていた。
トイレが、古い映画館のような、古い列車のような、油くさくいい匂いがしていたなあ。
かかっている音楽もとても良かったし、壁にかかっている版画も、じっと見ていると脳が溶けそうだった。
皆と別れてから、コンビニでビールや焼酎を買い、スイセイの部屋で桃ちゃん(「翼の王国」の)と3人で宴会。
今日1日、高知での私たちを温かい目で見守っていてくれた桃ちゃんに、心から感謝の気持ち。
私よりうんと若い桃ちゃんから、編集者としての懐の深さや太さを感じた夜でした。
ああ、長い一日だった。
ここまで読んでくださった皆さま、そして高知の方たち、ありがとうございました。

●2005年9月16日(金)晴れ、涼しい

1時半からテレビの打ち合わせ。
1時間ほどで終わり、ヒラリンと街へ買い物に出る。
アムプリンの日だし、明日から高知と広島に行くので、お土産を紀伊国屋でさがそうと思って。
いつもの並木道を自転車で走り抜ける時、ついこの間まで蝉時雨がすごかったのに、すっかり静かになっていることに気がつく。
それでも、弱々しい鳴き声が聞こえていた。
カトキチは、半ズボンにTシャツ姿で元気そうに働いていた。
私たちが買って、あと2人くらいで売り切れ。
最近涼しくなってから、早い時間に売り切れてしまうそうだ。
ええことじゃ。
帰ってから、着替えなどリュックに詰める。
なんとなしにいそいそとして、みどりちゃんの高知の記事が載っている本や、「クウネル」の昔の号なんか、じっくり読み込んだりして。
なので、週末は旅行中ということで、今週は今日までの日記を早めにアップすることになりました。
この続きは、来週日曜日の深夜にいつもの通りアップいたします。
夜ごはんは、ざる蕎麦、鯵といかのお刺し身、天ぷら(れんこん、椎茸、じゃが芋)、青菜の辛子和え(水菜、せり、にら)、胡瓜とレタスの塩もみ。
では皆さん、よい週末をお過ごしください。

●2005年9月15日(木)曇り、涼しい

昨日とは打って変わって、すっかり秋の風だ。
シーツまで洗って干すが、いつ落ちてきてもおかしくないような灰色の雲が、向こうの方に固まっている。
仕事をしながらも、ザワザワと風が鳴ると急いでベランダに出る。
それは木々の葉っぱを揺らしている音なのだが、何度でも出る。
ハルは、べったりとお腹をつけて腹ばいになっている。
耳だけが時々動く。
今日みたいな日は、ハルも気持ちがいいのだろうか。
なんか、しっとりと落ち着いた気分になるような日だ。
原稿を書くのにちょうどいい日和。
夕方までに、「翼の王国」の原稿を仕上げてお送りする。
今日の「クインテット」は、ドヴォルザークの新世界をやった。
あの、「遠き山に陽が落ちてー」という曲。
ヨガをしながら、じっと目をつぶって聞きほれる。
ちょうどいいところでハルが吠え、下からはチキンライスの匂いがしてくる。
本当に陽が短くなった今日この頃、天気予報の通り、夕方からポチポチと雨が落ち始めました。
けれどすぐに止む。
夜ごはんは、軍鶏の塩焼き(昨夜のうちに切って、塩をまぶしておいた)、じゃがいものオムレツ(トマトソースでじゃが芋を炒め、モッツァレラを加えて具に)、もやしとにらの炒め物(軍鶏から出た脂で)、納豆、麩と葱の味噌汁、玄米。
トマトソースのオムレツには、醤油をちょっとかけて食べるのが案外好き。
これは、昔「カルマ」で働いていた時に、田舎風オムレツというメニューがあって、じゃが芋とベーコンをバジル入りのトマトソースで炒めた具に、円盤型のオムレツをかぶせたものなんだけど、従業員たちはご飯にのっけ、醤油をかけて食べていた。
その名残だと思う。
夜、長そでを着ないと寒いほど。
虫の声も本格的だ。

●2005年9月14日(水)快晴、風強し

1時から打ち合わせ。
ミキちゃんが先に着いて、しばらくしたら「暑いですね――」と、明るい声で赤澤さんが入ってきた。
さっきスイセイとお昼を食べながら、「今日はあんがい涼しいのう」と言い合っていたばかり。
でも、さすがに外は暑いらしい。陽が強いのだ。
赤澤さんは夏娘だから、もちろんしっかり焼けていた。
会うのは『野菜だより』以来で、本当にひさしぶりなんだけど、心はご近所さんなので、ぜんぜんひさしぶりの感じがしなかった。
さくさくと打ち合わせは進み、何も問題点はなく、30分くらいで終わってしまう。
あとは、しばし雑談。
次は丹治君がいらして、『日々ごはん5』の終盤の作業をやる。
風がたっぷり入ってくる部屋で、写真を選んだり、扉の言葉を選んだり、表紙の絵を選んだり。
丹治君が原稿を読み込んでいる間、私は自分の部屋で「翼の王国」の原稿書きだ。
ハワイアンの賛美歌のCDに合わせ、歌っている声が聞こえてくる。
ハワイから帰ってきたばかりの丹治君。
作業が一段落ついた時、ベランダに出て、「気持ちいいなー」と風に吹かれていました。
短い間の旅行だったけど、きっと丹治君の体には、明るい海や風や光がしみ込んでいるんだろうな、という気がしました。
買い物に行き、『おじゃる丸』を見ながらヨガ。
散歩から帰ってきたスイセイに、ヨガをやりながら、「今日はシャモ(軍鶏)スキだよー」と声をかけると、「え?シャモキライ?え?」なんて言っている。
ひさしぶりの好物だから嬉しいのだ。
夜ごはんは、軍鶏スキ焼き(焼き豆腐、車麩、水菜、セリ、白滝、椎茸、舞茸)、たたき胡瓜とセロリの塩もみ、たくわん、玄米。

●2005年9月13日(火)快晴、真夏日

ひさびさに強力な二日酔い。
あまりに暑いので、クーラーをつけてごろごろする。
お昼にスイセイが茹でてくれた蕎麦をちょっと食べ、また布団にもどって寝たり起きたりだ。
それにしても、昨夜は楽しかったなあ。
みどりちゃんと銭湯に入って、牧野さんと外で待ち合わせ、まだ明るいうちに3人で裏道をタラタラ歩いた。
おばあちゃんがやっている古い模型屋さんを見つけて、入ったり。
まず、牧野さんお奨めのモツ焼き屋に連れて行ってもらった。
ビールをチェイサー代わりに、老酒を飲む。
牧野さんはどんどんモツ焼きをたのみ、ぐんぐん老酒を飲む。
強いなあ。
私も頑張ったが、みどりちゃんはしっかりついて行っていた。
さすがだ。
そして阿佐谷に回って「西瓜糖」に行き、久家さんの古墳の写真を眺めながら、白ワインのソーダ割りをキュッと飲む。
そしてもう一軒。
牧野さんのお奨め、飲み屋街にある焼酎の店に連れて行ってもらった。
2杯くらい飲んで、けっこう私はでき上がってしまう。
10時にはお開きになりました。
帰る時、駅で牧野さんがトイレに行くというので、ホームでみどりちゃんと立ち話をしていたら、牧野さん、たこ焼きを持って表れました。
ベンチに座り、ハフハフと3人でほお張る。
もう、ここまですべてが牧野さんの演出という感じ。
大人ののんべえっていう。
というわけで、今日はゆっくりゆっくり過ごす。
夕方の明るいうちに風呂に入ってヨガをやる。
今日もまた、夕焼けが綺麗だった。
夜ごはんは、スイセイが出掛けているのでひとりで気ままに食べる。
スモークサーモンといり卵の混ぜ寿司、冷やしトマト、舞茸とずいきの炒り煮(残り物がまだあった)、キクラゲと干ししいたけのスープ(一昨日の残り)。

●2005年9月12日(月)快晴

10時から本の撮影。
1時半には終わってしまった。
「終わっちゃったね」と、みどりちゃんと言い合う。
2時くらいから、撮影最後のごはんを10人で食べる。
私は干しダラとじゃがいものグラタンと、ポテ(ポトフの豚版)を作る。
ヒラリンにはサラダを作ってもらった。
セロリと人参のサラダと、レタスとトマトと玉葱のサラダ。
それらがとてもおいしかった。
ヒラリンの料理って、強く主張しない。
味がなじんでいて優しくて、ただただおいしい。
皆も感心していた。
私は自慢な気持ちになる。
牧野さんは、ワインが入ってきたらがぜん元気になり、おもしろいことをいっぱい喋ってらした。
喋っていたというより、牧野さんのは誰かに話しかけている風ではあまりなく、独り言に近い感じ。
これから話そうとしている続きを思うとたまらなくなるらしく、「クーックックッ」と、手の平で口を押さえ、自分自身で吹きだしたりしながら。
それがすごく可愛いらしい。
「おいしいものは皆で食べるといいですよね。 良いことは、皆にすぐに教えるのがいいですよね。 幸せは、皆で食べるといいですよね。 もっと、ワインがあるといいですよね…」。
これが、食べながら私の隣で牧野さんがぶつぶつ言っていたこと。
おもしろいので私がメモをとり始めたら、ふと見ると自分で続きを書いている。
「豚肉からセロリへのハシゴ。うまいねー。セロリ、ポリポリ食べて、また、ちょっと豚肉へもどってくる。白ワインだね。豚肉に合うよ。酒はね、オヤジになったような気分でのむとね。 酒一杯のむと、オヤジになっちゃう、僕」。
その紙の裏に、アリヤマ君の水性ボールペンの書き味を皆で試しているうちに、なぜか全員がサインすることに(これは、アリヤマ兄貴が決めた)…。
いろんな字がある。
久家さんのミミズがくねったような、強い筆跡。有山達也の也の字が、ちょっと斜めに延びているシャレた感じ。
伊澤(編集者)さんのきちっと詰まった字。
ちよじ、ひらりんは平仮名で小さい字。
文ちゃんは、いい所の奥さん風の字。
みどりちゃんのは、立派だ。
そして牧野さんだけ、”いちばんおいしいさしみの魚「ちょっと」牧野伊三夫”なんて書いてある。
書きながら、また「グフッ…」と自分につっこみ笑いをしていらした。
牧野さんは、私よりけっこう年下なんだけど、いかにも小津安二郎の映画に出てきそうな、向田邦子のお父さんのような、昭和のロマンチズムの匂い。
いつも白かストライプのワイシャツと、夏は麻のズボンで、シャツはズボンの中に入れ、ちゃんとベルトをしめている。
そして井伏鱒二のような、太い縁の眼鏡だ。
ひさびさに皆に会ったので嬉しく、撮影が終わって、私は飲みたい気分になってきた。
でも、有山君も久家さんも忙しいみたいで、なんとなく帰りたそうにしている。
その間、牧野さんは畳の部屋で昼寝。
みどりちゃんは残ってくれた。
というわけで、これから牧野さん、みどりちゃん、私で銭湯に入ってから飲みに繰り出そうということになりました。
では行ってきます。

●2005年9月11日(日)曇りのち雨

お昼に試作をひとつやる予定だったが、スイセイは頭がフラフラしているらしく、自分でお粥を作っている。
つまんないなあ。
仕方がないので、1人分だけ作る。
今日はあちこち掃除。
雑巾がけをしてワックスもぬった。
涼しいムームーみたいなのの裾が邪魔なので、パンツの中に入れ、ちょうちんブルマー風にしてやる。
そんなこんなしているうちに、とうとう雨が降り出した。
ベランダに足を出し、風に揺れる木々をしばし眺める。
郁子ちゃんの『ピアノ』が、びったしで、ぼうーっとする。
胸が開くような、いろんなことがなんでもなくやれるような、愛情が膨らんでくるような、大きい気持ちになる。
最近、家で仕事してるだけだけど、なんだかひとりでパタパタしていたな。
明日は皆に会えるから、とてもとても嬉しい。
夜ごはんは、牛肉の塩焼き(大根おろし、葱、ポン酢醤油)、野菜炒め(人参、ピーマン、玉葱、小松菜)、大根の塩もみ(残りもの)、炒り豆腐(残りもの)、キクラゲと干し椎茸のスープ、玄米。



日々ごはんへ めにうへ