2006年11月下

●2006年11月30日(木)曇り

天気予報では晴れのはずだったんだけど。
残念ながら、けっこうどんよりしています。
でも、新しいことが始まるので、気持ちはハリハリ。
1時から、来年からの連載の打ち合わせ。
川原さんと編集さんがいらっしゃる。
すでにぼやり考えていたことや、川原さんの意見を聞いて出てきたアイデアなど、その場でどんどん出し合った。
気がついたら4時半でした。
川原さんとは、いつかふたりで何かできたらいいなとぼんやり思っていました。
でも、企画を考えようとか、そのためにエイッと腰を上げて頑張ろうとか、そういう感じには自然とならなかった。
近所だけど、いつもいつも会っていたわけでもなく、なんとなく何かがある時に、誘ったり誘われたり。
そんなつかず離れずな距離で、気がつけばおつき合いは4年くらいになる。
その間に、それぞれ別々の仕事をやりながら、歳を重ねながら、ふたりとも少しずつ歩みを進めてきた。
そして、交叉点のところで、偶然ふたりが並んで立ったような。
きっと偶然ではないんだけど、今がお互いに、いっしょに何かをやれる時期なんだな、っていう感じがするのです。
それが、なんかおもしろい。
今週は、夕方の教育テレビを皆勤賞なみに見ている。
今日の『おじゃる丸』が、素晴らしかった。
今はもう何十年も誰も住んでいない古い洋館があって、屋根のてっぺんに風見鶏がついている。
ある日の月光町の朝から夜までを、その風見鶏の視点で眺めている、っていうようなストーリーだった。
誰かと誰かが喧嘩しながら歩いていたのに、夕方帰ってくる時にはすっかり仲直りしていたり、誰かの両親がひさしぶりにふたりで映画を見に行って、「楽しかったわね。また行きたいわねぇ」と言い合いながら夜道を帰ってきたり。
子供たちは今夜はおじいちゃんの家で夕飯を食べるんだけど、「じゃあ、デザートにプリンをつけてのー」なんて言いながら、風見鶏が見下ろす小道を通る。
そんなささやかな出来事しか起きないのだけど、死んだ人とか、神さまとか、風見鶏の視線はそういうものだった。
しかし、ジーンと味わっているいいところで、仕事の電話がかかってきてしまった。
後半はどういう展開になったのだろう。
夜ごはんは、ゆで餃子(中華街の冷凍もの。にんにく、黒酢、醤油、ごま油、豆板醤のタレと香菜で)、野菜スープ(白菜、人参)。

●2006年11月29日(水)晴れ

青空ではないけど、充分晴れている。
シーツやらバスマットやら大物を洗濯。
ひさびさに掃除機をかけ、あちこち雑巾がけ。
計画通り美容院にも行った。
昼間はずいぶん暖かかったのに、陽が落ちてからぐんぐん寒くなってきた。
でも、北海道のアムたちはもっともっと寒いんだから、贅沢はいうまい。
夜ごはんは、鮪の中落ち、牡蠣酢、小松菜のおひたし、人参の千切りサラダ、ひじき、おから、きのこ炊き込み玄米(椎茸、舞茸、こんにゃく)、油揚げと葱の味噌汁。
味噌汁の具が多すぎて、スイセイに怒られる。
「ちゃんとバランスを考えてくれんにゃあ」。

●2006年11月28日(火)雨のち曇り

めちゃくちゃ寝坊。
ついに1時まで寝てしまった。
くたびれてというのではなく、惰眠をむさぼる感じ。
目が覚めるとガスストーブのジーーーという音が聞こえてくるけれど、眠りの入り口を通過したとたん、何も音がしなくなるな、などと思いながら惰眠をくり返した。
カーテンの向こうはどんより暗く、寒い。
私は、やる仕事がないとほんとにダメになる。
今は書類が届くのを待っているので、新しい本の作業ができないのです。
それを口実に、どこまでもどこまでも怠けてしまう。
でも、市がやっている子宮ガン検診を11月中にしなければならないことに気がつき、頑張って行ってきました。
乳ガンの検診も申し込んできた。
図書館にも行った。
子宮ガンの検診は、異常なし。
なんとなく気分が明るくなり、買い物をして帰る。
夜ごはんの支度まで、マフラーの続きを編む。
夜ごはんは、かしわうどん(鶏肉、長ねぎ、かまぼこ、ほうれん草)、ほうれん草のおひたし(しらすのっけ)、牛蒡の味噌漬け、おから。
今夜は、お楽しみの『僕の歩く道』だ。
明日は晴れるみたいだから、美容院に行こう。

●2006年11月27日(月)曇り、寒い

今日も朝からスープをとる。
トリガラ、ブーケガルニ、玉葱、昆布だし(昨夜、味噌汁を作らなかったので、残っていた)で煮ています。
最近、ブーケガルニを作るのがおもしろい。
セロリの軸のカーブしたところに、タイム、ローリエ、パセリをはさんで、たこ糸でぐるぐるしばるんだけど。
いろんな形ができて、オブジェみたい。
今日のは、どことなく門松チックだった。
昆布とブーケガルニって、どうなんだろう。
出来上がりが楽しみだ。
なんとなしに胃が重苦しいので、何も食べずに読書三昧。
今、中沢新一さんの『音楽のつつましい願い』を読んでいる。
これも丹治君が貸してくれたのだけど、とてもいい。
11人の作曲家の長いプロフィールと、それぞれの人柄が浮かび上がってくる小さな物語の短編集。
ひとりずつゆっくり読んでいるのだけど、レオシュ・ヤナーチェクという人のところがとても好きで、何度も読んでしまう。
丹治君は、この人のプロフィールを読むだけで、泣けてくるそうです。
ヤナーチェクという作曲家は、人の話し声にとても興味を持っていた。
さっきまで立ち話していた相手の声が気になると、その微妙な旋律を、大急ぎで手帖にメモする。
手帖を持っていない時には、シャツの袖口に五線譜を書いて音符を書き込んだ。
「だれかがわたしに語りかけるとき、わたしは彼が実際に述べていることよりも彼の声の抑揚に耳を傾ける。そこからわたしがただちに知るのは、彼がどんな人間であるか、どんな気持ちでいるか、うそをついているかどうか、動揺しているかどうか、ただ月並みな会話をしているだけなのかどうかということである。わたしはどんな隠れた悲しみをも感じることができる、というよりは聞くことができる。…それらはわたしが魂をのぞきみるための窓なのだ。(イーアン・ホースブルグ『ヤナーチェク』和田旦也訳)」 これに続く中沢新一さんの文章が、すごく好き。
ちょっと長いけど、ここに書き写させていただきます。
「ここでヤナーチェクは、わたしは内臓に直結している音楽しか、信用することはできない、とまでも断言しているのである。魂の微妙なゆらぎや動揺は、まっさきに内臓の反応となってあらわれる。それは、身体の全体にたえず繊細な変化をつくりだしているのである。その変化が、発話の器官をふるわせて、そこに声の調子や抑揚や微妙な強弱となって、外にあらわれる。ヤナーチェクは、そこにあらわれる微妙な変化や動揺をとおして、魂のおかれている状態を、鋭く感知できる耳をもっていた。魂は、発話の旋律となって、自分の真実を、この作曲家の前にさらしだす。ところが、楽器の奏でる旋律では、そういう真実は消えてしまう、と彼は考えるのだ。
その理由は、楽器というものが、魂の状態を直接表現するメディアではないからだ。それは、いくつもの次元の弦を同時に巻き込みながら、ピンクの内臓をふるわせている魂の息づかいを、いったん楽器に特有の音色の領域に平準化した上で、翻訳をおこなう道具だ。ヤナーチェクは、楽器というものの本質である、こういう抽象化の能力に、おおいに疑いをだいているのだといえる。彼は、魂を語るものを翻訳する作業において、内臓的な発話の旋律のほうが、楽器の奏でる旋律よりも、はるかに繊細で、すぐれた表出能力を持っている、という点に注目していた」。
ああ、本当に頭がいい人の文章というのは、音楽みたいだなあ。
後半も素晴らしく、この章全部をコピーして頭の中に貼りめぐらし、いつでも眺めていたいような文章です。
そして、ヤナーチェクの作曲したものを、ぜひとも聞いてみたいな。
さて、スープにはじゃが芋、人参、ブロッコリーの茎、ソーセージを途中で加えた。
透き通った金色のスープができた。
昆布だしの味はよく分からないけど、とにかくとてもおいしくできた。
夕方、外がやけに黄色い。
光のせいなのか、イチョウの葉っぱのせいなのか。
とても綺麗で、なんとなくこの世っぽくなくて、しばし見とれていた。
夜ごはんは、ブロッコリーのクリームスープ(昼の残りにホワイトソースを加えた)、レバーカツ(千切りキャベツ、クレソン)、おから、玄米。
夜、編み物を始める。
紫色の毛糸でセーター、ミントグリーンのモヘア糸でマフラー。

●2006年11月26日(日)曇りのち雨

どんよ〜り。
昨夜は、2時くらいに帰ってきた。
ちょっと飲み過ぎました。
よう子ちゃんの展示を見てから、お蕎麦屋さんで新蕎麦をつまみに飲んでいるうちに、いい気持ちになってしまった。
よう子ちゃんの展示が、とってもおもしろかったので。
私の仕事も一段落したし、風邪も治ったし。
それで、かおるちゃんとよう子ちゃんを誘い出し、スイセイと4人で飲みにくり出した。
ふたりともお酒が飲めないのに。
私はまず、「スモールライト」でモヒート、ハーブリキュールのジンジャーエール割り、リカールのミントジュレップを飲んだ。
そして「いらぶちゃー」に場所を移し、さつま芋の焼酎を2杯。
前に、日記に「いらぶちー」と書いてしまったのをマスターが見ていてくれて、「いらぶちゃー」だと教えてくれました。
沖縄の魚の名前だそうです。
「いらぶちゃー」はビニールのシートで覆われていて、知らないお客さんも一緒にぐるっと囲む感じが、炬燵みたいで温かかった。
なんか、ここにくると、いつでもすぐにいい気持ちになってしまう。
マスターの若者がいいんです。
酔っ払いとして、甘えたくなってしまう。
というか、蕎麦屋で日本酒を飲んでいたのに、めちゃくちゃのセレクトで私は飲み過ぎです。
というわけで、今日はハードな二日酔い。
3時にはどうにか起き、布団の中で「暮らしの手帖」を読む。
最近、いろんな本をあちこちから送ってくださるのが、とても嬉しい。
倫子ちゃんの『りんこ日記』、石田千さんの『屋上がえり』、そしてなんと『ちびまる子ちゃん』のマンガが8巻だ。
読書の秋だなあ。
夜ごはんは、鰺の開き、おから、小松菜おひたし、白菜漬け、白ご飯。

●2006年11月25日(土)快晴

9時半に起きた。
よく晴れているので、まず毛布を洗濯。
しっとり汗をかくまでヨガをやった。
さて、今日は何をしよう。
『日々ごはんG』は、ゆうべ帯文の確認をして、ようやく手が離れた。
本屋さんに並ぶのは、クリスマス頃だそうです。
皆さま、もうしばらくお待ちください。
さて、次に出す本の作業を始めようか。
それとも、図書館に行ってこようか。
「f'eve」でかわしまよう子ちゃんの展示が今日からなので、陽が落ちないうちに見に行く予定です。

●2006年11月24日(金)快晴

軽くヨガをやって、朝ごはん。
人参の千切りサラダとパンとスープ(昨夜の残り)にしたのだけど、人参が果物みたいにおいしくてびっくりした。
赤ワインビネガーのせいもあるのだろうか。
午後からは、『日々ごはんG』のキャプション(写真の説明の文)を書く作業。
びっくり!。今、8という数字がGにできた。
今まで、古いパソコンではどうやっても出てこなかったのに。
すごいなー。新しいパソコンの威力だ。
3時くらいに終り、街へ買い物。
自転車屋さんでタイヤに空気も入れ、コーヒー豆も買った。
「紀ノ国屋」にて、夜ごはんの買い物。
このところずっとやる気のないような淋しいごはんだったので、おいしいものが食べたかったのです。
大阪の実演の鯖寿司を買った。
いろいろ買って表に出ると、外はもう真っ暗。
私の自転車は、こぐたびにギューイギューイという音がする。
こんどスイセイに油を注してもらわないと。
家に帰り着いたら、金色に光る三日月が。
大男の親指の爪のような月。
夜ごはんは、鯖寿司、お雑煮(大根、白菜、せり、柚子皮)、おから(ひじき煮、炒りごま、葱入り)、おぼろ豆腐、白菜漬け。
おからに炒りごまを入れたら、プチプチと香ばしく、とてもおいしくできた。
スイセイは毎年、この時期になると「お雑煮が食べたいのう」とせがむ。
そして毎年、「お正月まで我慢した方が楽しみが増えるし、おいしいよ」と私が答える。すると、りうもそうだったけど、ふたりしてすごーくいやな顔をする。
それを思い出し、「紀ノ国屋」でお餅を買ってお雑煮を作ってやった。

●2006年11月23日(木)曇り、夜になって雨

天気予報の通り、朝から曇って肌寒い。
のどの奥がべかべかする。
まだ、完全には風邪が治っていないのだろうか。
今日はだらだらの日と決め、カーテンだけ開けて、布団の中で1日中過ごす。
いきいきと読書三昧。
本は、丹治君が貸してくれたもの。
『わたしのおじさん』『それからはスープのことばかり考えて暮らした』を、次々に読み耽った。
すごくいい。
すごく好きな世界。
とちゅうで起き出し、またスープをコトコト煮込む。
今日みたいに寒い日は、スープ日和だし、本の内容もぴったり。
冷凍してあったローストポークの残り、人参、玉葱、タイム、パセリの茎、冬瓜、トマト、ソーセージ。
味つけはまた岩塩のみで煮込んでいたのだけど、とちゅうで固形スープの素も少し加えた。
思いついて、お米の形のパスタも加えてみた。
牛乳とサワークリームで仕上げたら、なかなかおいしいのができました。
イチョウの木は、ずいぶん黄色になってきた。
スイセイはスープを食べて、この寒空の下、「ルウム」に出掛けて行った。
曇り空だと、窓は一面真っ白なのだけど、夕暮れ時(4時過ぎ)は青になる。
時間のことを忘れて青い色だけ見ていると、昼間の青空に見えなくもない。
夜ごはんは、かじき鮪の味噌漬け(ゆでほうれん草、かぼす添え)、スープの残り、白いご飯。

●2006年11月22日(水)快晴

10時に起きた。
昨夜は、3時近くまで『東京タワー』を読んでいたわりには、スッキリ目が覚めた。
読み終わってみて、ドラマを見るより先にやっぱり原作を読むべきだったと、すごく反省している。
起きてすぐに、塩豚と玉葱とブーケガルニでスープを煮始める。
『日々ごはん8』の作業で、1時に丹治君と浅井さんがいらっしゃった。
校正さんの直しと私の直しのつき合わせをしたり、扉の一文を決めたり、写真を選んだり。
ひとつひとつゆっくり作業をして、終ったのは4時半くらい。
その間中煮ていたスープも、ちょうど出来上がった。
冬瓜、じゃが芋、人参、手羽先、大豆入りで、味つけは岩塩だけ。
噐に盛ってから、こしょうをひいたり、粒マスタードやサワークリームを好きなように加えて食べた。
浅井さんは、けっこう食べられるものと食べられないものがはっきりしているらしいのだけど、本当においしそうにじっくり味わいながら食べていて、それがすごく嬉しかった。
ふたりを見送りがてら、近所にできたカフェにスイセイと行ってみる。
「貸し本カフェ」だそうで、店内には本やマンガがたくさん並んでいた。
私の本も揃えていてくださって恥ずかしかったけど、こんど、ひとりでお昼を食べに行って、マンガを読もう。
楽しみがひとつ増えました。
ピクルスと煮卵をつまみにビールを1本を飲んだので、夜ごはんはなし。
スイセイには、カレーラーメン(塩豚、白菜、長葱、香菜)を作ってやる。

●2006年11月21日(火)快晴

ピッカピカの天気。
ひさびさに洗濯物をいっぱい干す。
空は、一面の鰯雲。
スイセイの朝ごはんを作って、空を見ながら軽くヨガ。
レシピの直しなどやって、街へ買い物に。
本屋さんで、『たべる しゃべる』を手にとって開いている女の子がいて、ものすごくドギマギしてしまった。
思わず、ちょっと奥に隠れた。
『東京タワー』を買ってきました。
夜ごはんの支度まで、読書タイム。
スイセイは、月に一度の検査で、7時くらいに帰ってきた。
結果は、ここ最近の今までの中でいちばん良かったそう。
正常値にかなり近いそう。
すごいなあ。
毎日、ちゃんと走っているものな。
お酒の回数も、毎日のごはんも、この調子でやっていけばいいのだ。
私はとても嬉しいっす。
夜ごはんは、真だらのソテー(レモンバターソース、粉ふきいも)、めかぶ、冷やしトマト、スイトンスープ(昨日の残り)、玄米。
『僕の歩く道』を見て泣く。
布団を敷く時、干したての温かさがまだ残っていた。
そして、テントウ虫が2匹もはさまっていた。
『東京タワー』は、とても不思議な本だ。
なんか、とても生々しい。
頭の中に浮かんでくるオカンは、田中裕子なんかではなく、スイセイの広島の母ちゃんのような生のおばちゃん。
小説というよりも、何十年分もの日記を読んでいるようなリアルさがある。
どんな物語りでも、たとえば父親はこういうタイプとか、読者がイメージしやすいように、そこからはずれないように書かれていると思うのだけど、この本はそういうことも無視してあり、急にイメージからはずれる人格が出てきたりもする。
分からないことは分からないままに書いてあるし。
現実生活の自分の中では、そんなふうに曖昧なまま解釈しているものだから、そのへんでリアルさを感じるのかも。



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