2007年12月下

●2007年12月31日(月)快晴

昨日の日記、誤字がいっぱいあって読みにくく、すみません。
でも、そういう頭の日だったので、直さないでおくことにします。
昨夜は、『武士の一分』のキムタクがずいぶんかっこよく、夢に出てきた。
役者さんは全員よかったけど、小間使いのおじさん(爺さん?)がとくに素晴らしかったせいか、この人も出てきた。
おじさんの家に、私とキムタクが泊まりにいくというストーリーだった。
トイレに起きてからも、また続きがみれた。
まだまだ夢の中に浸っていたかったが、11時半に起きる。
今日はりうが来るので。
布団を干しておいてやらねば。
私は今夜、『紅白』でキムタクを見る時、ちょっと恥ずかしいかも。
ミニバラは、水もあげてないのに、すっかりワイン色に紅葉してきれい。
今年最後の買い物に行き、大掃除の続きをやる。
窓拭きもやった。
8時前にりうが来た。
いつものように3人で『紅白』。
私は、おせちの準備をしつつ、ご馳走をつまみながら、ちびちびと飲みながら。
終わったら、大急ぎで蕎麦を茹で、年越し蕎麦。
りうの食欲にスイセイとふたりで感嘆する。
あっという間にザルの底が見え、追加でもう1袋茹でた。
りうは自分で長芋をおろしていた。
このところの飲み疲れのせいで、風呂に入ったら、私は早々に眠くなってしまう。
せっかくりうが来たのに、あんまり話もできずにバタンキュー。
でも、3人で家族写真を撮った。

●2007年12月30日(日)晴れ?

眠りの底からよみがえってきたら、もう3時にだった。
昨夜は、とても楽しかった。
ふだんバラバラに暮らしている家族が、年末で実家に帰ってきたような会だった。
誰にも気がねすることなく、みんな思い切り楽しんだ。
気がつくと誰かが洗いものをしていて、誰かがお湯を沸かし、台所の床をすみずみまで雑巾がけしていた。
本当に、今年はみんな頑張った。
また来年も頑張ろう!と、馬鹿のように何度も乾杯した。
歌も歌ったなあ。
私は、1時半くらいに目を開けていられなくなり、どうにか布団を敷いて、失神するように寝た。
だから、その後皆がどうしていたか知らない。
渡さんの歌声が聞こえていたような気がするけど。
お茶を沸かして飲んだあともあった。
風呂に入り、後片づけをしながら白いご飯を炊いて、朝ごはんをしたのは5時だった。
梅干し、塩辛、れんこんと豚バラのバトナム風煮込み(昨夜の残り)、生卵、土鍋の白いご飯。
なんで今日は、『まる子』も『サザエさん』もやらないんだろう。
この年末も含め、今年は怒濤のような年だったな。
夜ごはんはなし。

●2007年12月29日(土)曇り

二日酔いを醒ますべく、ひたすら眠る。
1時まで寝ていた。
1時半にリーダーが来てくれて、大掃除に突入。
リーダーは、台所のタイルや棚やら、あちこちピッカピカにしてくれた。
私は、普段やれない上の方の埃を払い、玄関まわり、トイレ、廊下を真面目にやる。
とちゅうから餃子の皮を練ったりして、料理の準備に入り、リーダーは5時半までみっちりやってラーメンを食べ、居酒屋のアルバイトに出掛けていった。
6時くらいから、皆が集まりだした。
川原さん、ナツコ、ちよじ、ヤーノのご近所さん忘年会です。
餃子の皮をのばしたり、包んだりして手伝ってもらう。
リーダーがずっと食べたがっていたので、ウーロン茶のコマーシャルでやったごま団子も作る。
ちよじが鷄手羽の揚げづけを作ってきてくれた。
その他のメニューは、白あえ(ごぼうと糸こん炒り煮の残りで)、大根スティックの柚子味噌添え、白菜サラダ(塩もみして、柚子汁、白ごま油、薄口しょうゆ)、れんこんと豚バラのベトナム煮込み、オレキエッテと白菜のグラタン(ポルチーニ入りトマトソース、ホワイトソース)、ゆで餃子(白菜、豚ひき、ニラ)、タレ(葱、黒酢、醤油、石垣島ラー油)、たたき梅キュー。
アルバイトを終えたリーダーは、10時前にやっと戻ってきて合流。
歌声と共に夜がふける。

●2007年12月28日(金)曇りのち晴れのち雨

8時半に起きた。
風呂に浸かって目を覚まし、『チクタク』の作業。
ふるさと万年茶とほうじ茶のミックスを、水筒にたっぷり詰めて。
おでんも煮ながら。
12時にはひととおり終わり、ふー、間に合った。
1時からスタッフ皆が集まって、打ち合わせ。
これで仕事納めです。
4時くらいに打ち合わせは終わり、そのまま川原さんとワインで乾杯。
明日もまた忘年会で会うのだから、今夜はほどほどに… とお互いに思いながら、でもこんなに楽しくおもしろい夜は今しかないのだから… 。
と、3人それぞれが盛り上がり、気がついたら2時だった。
私だけ風呂に入り、3時に倒れ込むように寝る。
川原さんは仮眠して、朝、クマちゃんの工房へと出掛けていった。
夜ごはんは、おでん、白いご飯、梅干し、なめこの佃煮、海苔。

●2007年12月27日(木)快晴

昨夜は鼻水とくしゃみが出ていたので、薬を飲んで寝た。
おかげで今朝は、すっきり。
9時半に起きた。
なんだか私は、中国からこっち、とても元気みたい。
もしかすると、走っているせいで体力がついたのかもしれないなあ。
あちこち掃除して、洗濯して、マットやらクッションも干した。
本当は『チクタク』の作業にとりかかりたいけど、半端な時間なので、準備だけしておく。
あとで、インタビューが終わってから買い物に行き、それから没頭しよう。
今日は、走る時間があるだろうか。
1時から「天然生活」のインタビュー。
『おかずとご飯の本』について。
インタビュアーが赤澤さんだったので、3時まで延々お喋りしてしまった。
テンションが下がらないので走りに行きたかったが、年末の買い物もある。
なので、「紀ノ国屋」までスイセイと散歩。
たぶん、明日あたりから正月用の野菜がドッと高くなるんだと思う。
今日はまだふつうの値段で、八百屋さんでブリブリに元気な小松菜とほうれん草と白菜を丸ごとを買う。
夜ごはんの支度をしながら、細々とお総菜作り。
29日がご近所さん忘年会になったので。
明日は『チクタク』の作業で丹治君や川原さんたちが来るので、おでんも煮ておいた。
夜ごはんは、ごぼうと糸こんと牛こまの炒り煮、なめこおろし、ほうれん草と小松菜のおひたし、細魚の刺し身、寒ブリの刺し身、メンチカツ(スーパーの)&千キャベツ、玄米。
そういえば最近、ずっと味噌汁を作ってないな。
飲みたいとも思わないのが不思議。

●2007年12月26日(水)冬晴れ

朝からずーっと『チクタク』のパソコン作業。
リーダーにもらったCDをエンドレスでかけながら、ごきげんでやる。
ようこちゃんにもらった靴下を履いて、ナツコにもらったコーヒー豆でコーヒーをいれる。
時々、森の妖精からのプレゼント(アムが送ってくれたエゾまつぼっくりと鳥の羽)を触る。
そしたら今日は、かおるちゃんからのプレゼントがドアのところにぶら下がっているのを、宅急便のお兄さんが教えてくれた。
わーい。
カメラケースだ!。
夕方になるにつれ、集中力が切れてくたびれが。
それと同時に、あちこちから仕事の電話があり、細々とした作業もやる。
皆さん、師走の追い込みで、風邪もひいていらっしゃる。
その渦巻きに私も巻き込まれながら、やる。
気がついたら7時半で、大急ぎで夜ごはんの支度。
夜ごはんは、ハヤシライス(この間作って冷凍しておいたデミグラスソースで)、ほうれん草と春菊のバター炒め、白菜とキャベツのサラダ。

●2007年12月25日(火)曇り

9時に起きた。
10時になるのを待ってみどりちゃんに電話したら、洗濯物を干しているところだった。「あれ?こんな時間に高山さんが起きていることもあるんだねえ」と笑われる。
ふふ。
たまには起きていることもあるんです。
今日で私は、ついに50歳になった。
と思っていたが、スイセイに計算をしてもらったら、まだ49歳だった。
「1958年プラス50は、2008年じゃろ?」。
私はここ数年、自分が48歳なのか、47歳なのか、49歳なのかはっきりしないまま、毎年50歳の目前のつもりでいた。
これって、毎年日記に書いているかもしれないが、今年こそ、50歳になるのだと決め込んでいた。
損したなあ。
そして母から手紙が届いた。
昨夜は、みっちゃん(双子の兄)の娘の彼氏がプレゼントを持って遊びに来て、リカ(娘)が石狩鍋を作り、ひと足早い誕生会を4人でやったらしい。
そして手紙には、衝撃的なことが書いてあった。
「なおみちゃんもお誕生日おめでとう。母さんは二人がクリスマスに生まれるように、計画的にお医者さんに頼んで産みました。予定日はもう少し早かったんですが(おそかったのかな?)ちょっと待って人工的に(ブーチといってゴムの紐を入れて人工的に陣痛をおこす)。二人とも標準体重でめでたく出産しました」。
ゲゲ、聞いてないよそんなこと。
高山家は熱心なクリスチャンだったから、私たちがクリスマスに生まれたことを、「神様に一生懸命お祈りしたの。奇跡のようだったのよ!」と、さんざん母に言われて育った。
やるなあ、お母さん。
私のパンク的精神は、母ゆずりかも。
そして、父が10代のころに書いた文章も同封されていた。
タイトルは、「特攻くずれ」という。
大学の文集に書かれたものらしい。
朝ごはんを食べながら、涙がこみ上げる。
自分の特攻隊時代について、「軍隊で知った享楽の魅力」とはっきり書いてあった。
飛行機に乗った時の、尋常でない私の高揚感は、もしかしたら父親の遺伝子なのかもしれない。
父は14〜5歳のころ、少年特攻隊員に志願した。
小型飛行機を自分で操縦し、訓練として、空の上で宙返りだとかいろいろやったらしい。
もちろん、自分の飛行機もろとも敵船につっこむのが目的で。
髪の毛をオキシフルで脱色して金髪にし、もうあとはつっこむばかりと覚悟を決めた2日後に、終戦になった。
サン・テグジュペリの飛行機好きのことが書かれた本を、こんどまた、図書館で借り直してみよう。
両親について、あまりに知らないことが多いことにびっくり、と同時に、ムクムクと強烈な興味が湧いてきている。
こんど、取材しに実家に帰ってみようと思う。
あちこち掃除機、雑巾がけ、ワックス塗り。
4時くらいに散歩に出る。
走ってみたら腿のつけ根が痛いような気がして、無理をせずに大股歩き。
グラウンドでストレッチをして帰ってくる。
空には重たい雲がひろがっているが、その上には、あの輝く偉大な世界があるはず。
さあ、『ハイジ』を見よう。
夜ごはんは、赤飯(ヒロキ君のもち米で)、豚と玉葱の生姜焼き(千キャベツ添え)、白菜の蒸し煮(柚子、大根おろし、万能ねぎ、醤油)。
夜、ピンポンがなって出てみたら、リーダーとナツコが誕生日プレゼントを持って、冬の子供みたいに立っていた。

●2007年12月24日(月)冬晴れ

昨夜は、吉祥寺に着いてから、いつものように近所の蕎麦屋でスイセイと落ち合った。
冷や奴と新蕎麦のあまりのおいしさに、涙がにじんだ。
中国料理も、もちろん濃厚でしたたるようなおいしさがあるけれど、日本のみずみずしく清楚ないおいしさは、きっとどこの国にもないものだろう。
帰ってから、ちびちびとウイスキーを飲みながら土産話をしているうちに、スイセイとふたりで盛り上がってしまう。
スピードがぐんぐん増し、頭が冴えすぎて、ふたりの脳みそと脳みそが直につながっているようになった。
喋るより先に、お互いの頭のスクリーンに、イメージ映像を写し合う感じ。
3時まで話が止まらなかった。
出会ったばかりのころ、私たちはそんな風だったのを思い出してしまった。
おかげでちょっと二日酔い。
生理でもあるので、日記を書いたりして、のらくらと過ごす。
私は昨日、中国での仕事が終わってから、生理が始まった。
風邪も出掛ける前にすっかり治ったし、今回の旅は、まったくもって万全であった。
土鍋で白米を炊き、梅干し&海苔と納豆で朝ごはん(といっても2時)。
スーツケースを片づけ、洗濯物をやるだけで、今日はせいいっぱい。
これを書いたらまた寝よう。
夜ごはんは、中華そば(ゆで卵、ほうれん草、海苔)、白いご飯、キムチ、広島菜。
広島菜の漬物は、私が中国に行っている間、ダメにならずに冷蔵庫の中でずっと待っていてくれた。
背中から首にかけてガチガチに凝っていたので、風呂から上がり、スイセイにマッサージしてもらってよれよれとなる。

●2007年12月23日(日)晴れ

■■■スイセイ留守ごはんX8・4日目■■■
遅い朝方、物干しなどにしっかりと雨露が残っていたが、文句のない快晴。
これを見逃すわけに行かず、急いで洗濯(うちのにはスピーディモードというのがある)。
ふとんを和室に拡げて陽に当たるようにし、干したことにする。
これで、主なアリバイは成立する。
後は細かい掃除だ。
今夜は家人のご帰還故、てきぱきと動く。
それはスパイ大作戦の如し。
午後、チイとヒビキ母子とルウムで待ち合わせ。
チイに「オリヂナル・カレンダ」を渡しがてら、ヒビキと遊ぶ。
ヒビキは当年3.5歳、すっかり人間になっていて会話ができる。
すでに嗜好もあるようで、ルウムの物物に興味があるようだ。
ゆとりの在る笑みを含んだ目で、素直な子だ。
未来のような、ええものを貰うた気分の帰り道、夕陽が降りるのを待ちきれぬか500円玉大、銀の満月がそこのビル脇にお出ました。
■■■スイセイ留守ごはんX8・終わり■■■

夕方6時過ぎに成田に着き、バスに乗って帰ってきました。
東京は、暑い。
中国は寒かった。
思っていたよりは、厳しくなかったけど。
むこうでの仕事は、やれるだけのことを思い残すことなくやって、出発時間ぎりぎりまで走り回り、無事にすべてが終わった。
飛行機のリクライニングシートに体をうずめ、いつものように、上空のすばらしい眺めをつまみにシャンパン。
ちょうど、昼間の青空から、太陽が少しずつ傾き、真っ暗になるまでの3時間ほどの飛行だった。
眼下にひろがる雄大な雲海が、夕方に移りゆくにつれ、色も姿もじわじわと変えてゆく。
その偉大な大スペクタルをちょっとでも見逃したくなくて、本を読むのをやめ、機内食もほとんど食べずに、延々と眺めていた。
まるで、景色の交響曲。

シャンパンをちびちび飲みながら、おごそかな世界を鑑賞する。
こんなにも、残酷なほどに贅沢なことが、この世にあってよいのだろうか。
私はいったい、誰に感謝すればいいのだろうか。
ふと、向田邦子さんの空の上での最後の気持ちを想い、ダムのごとく涙が吹き出す。
成田に着く直前、斜め右上には白銀に輝く満月が。

●2007年12月22日(土)曇り後雨そぼ降る

■■■スイセイ留守ごはんX8・3日目■■■
夕方、この冬の、年の瀬の、土曜日の人込みの、西洋聖誕祭(クリスマス)の賑わいにはぐれて、つべたい曇天の下自分の白い息を見ながら、肩をすぼめて歩く。
電車で移動。
「のらぼう」に「オリヂナル・カレンダ」配達。
けふは丁度冬至か。
小雨も重なり、西荻はもう暗い。
この時期、さぞ忙しかろう開店準備中にお邪魔した。

何ヶ月の無沙汰にも関わらずマキオ君は、ケンとマサはまるで家族のような親しさで迎えてくれた。
そうか、このマッチ売りの男が訪ねた場所は、サンタの家だったか。

1杯のかけそば。

●2007年12月21日(金)曇り

■■■スイセイ留守ごはんX8・2日目■■■
他に誰もいない家は、真自分と真向き合わせられる。
冬の、年の瀬は暗黒がより濃く感じる。
酒飲んで、ごまかしたい気もするが、猶予はできてもそれをなくすることはできない。
基本のキ。
年末はそういう時かも知れない。
暗黒の底のない風呂に肩まで浸かる。

きりたんぽ。
パックの鳥肉一枚丸ごとを最近の「ためしてガッテン」方式で焼いたら成功した。



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