●2008年1月31日(木)快晴
昨日は、8時過ぎに吉祥寺に帰ってきました。
東京は、暖かい。
いつものように近所の蕎麦屋で、スイセイと待ち合わせ。
中国での10日間、とても充実した日々だったけれど、スイセイもまた、怒濤のような楽しい毎日を過ごしていた様子。
高知からシバちゃんたちがやって来て、「トネリコ」には、タカシ君と郁子ちゃんも参加して、皆で歌ったんだそう。
そのあとの「三鷹ハウス」でも、皆がお喋りをするBGMのようにして、タカシ君が歌ってくれたんだそう。
歌って踊ったんだそう。
まあ、なんとうらやましいことよ。
今朝は、たっぷり眠って10時半には起きた。
洗濯物を思うぞんぶんにやり、たまったメールチェックなど。
元気なんだけど、眠気の固まりがコリのように脳みその奥にある。
陽の当たる畳の部屋に、毛布だけかけて横になり、郁子ちゃんの新しいCDをかけながら、絵本のような(『気配と余韻』これから発売されるCDブックです)のを、ゆっくりめくる。
郁子ちゃんのため息みたいなのや、体の奥にのたうつような重い言葉のコラージュ。
それらをひとつひとつ読んでは、想いは遠くに飛んで、ちぎれる。
そのうちに眠気がやってきて、スヤスヤ。
その気持ちのいいこと。
中国では、相変わらず毎朝四時半に目が覚めて、それからちっとも眠れない。
一睡もできないような夜もあった。
ふだん私は、眠りの世界と現実が半々くらいの割合で、たぶん生きている。
中国にいる間は、現実の方があまりに強く、自分が言ったことや、誰かが言ったせりふを、何度も何度も反芻したりしていた。
ちっとも眠りの世界に入ってゆけない。
夢などまるでみなかった。
でもこの仕事で、高山なおみという料理家としてでなく、ひとりの技術スタッフとして、舞台裏の黒子として参加させてもらっていることが、とても刺激になる。
ふだんは、本を作るにもテレビに出るのでも、自分が主体になってやっているから。
自分の身を、自分の個性を控えることの難しさ。
それがすべて、いい作品ができ上がるための道に繋がっている。
この歳になって、人から注意を受けたり、そのことで自分の奥底まで省みたりすることがあるだなんて。
自分はもう若くないし、自信もあるから、落ち込むことがあってもちゃんとはい上がれる。
感情的にならずに、正しいことに向って、自分を調整することができる。
それが、とてもありがたいと思う。
10年前にこの仕事をもらっていたら、もっとパワーもあって、バリバリ頑張れるような気もしていたけれど、けっきょくは、今の自分にちょうど見合っているんだと思う。
とにかく、毎回ものすごく楽しい。
4時になる前に、スイセイと走りにいく。
薄暗くなるころ、風がすごく冷たい。
この10日の間に、ますます本格的な冬になったのだ。
スーパーでたっぷり買い物をして帰ってくる。
小ぶりの鰯の新しいのが安かったので、10匹ほど買った。
手開きにして、半分は濃いめの塩水に、残りはみりんと醤油を合わせたものに浸ける。
干物を作ろうと思って。
この間「トネリコ」に行った時、シミズタに「魚干し網」というのをもらったので。
夜ごはんは、するめイカと菜の花の中華風炒め、あぶ玉煮(豆腐、あげ玉、卵)、大根と青じその塩もみ、南瓜のポクポク煮、、梅干し、たくわん、大根と大根葉の味噌汁、玄米。
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